毎日映画コンクールとは? わかりやすく解説

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毎日映画コンクール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/27 08:36 UTC 版)

毎日映画コンクール
受賞対象 作品、監督、脚本、俳優、スタッフ
開催日 毎年2月上旬
会場 めぐろパーシモンホール
日本
主催 毎日新聞社
スポーツニッポン新聞社
初回 1946年
最新回 2024年
最新受賞者 夜明けのすべて
公式サイト https://mainichi.jp/mfa/

毎日映画コンクール(まいにちえいがコンクール)は、1946年に創設された、毎日新聞社スポーツニッポン新聞社などが主催する映画の賞である。

概要

前年1月1日からその年の12月31日までに公開された全作品の中から、日本映画大賞をはじめ同優秀賞、個人賞(監督賞、脚本賞、主演俳優賞、助演俳優賞、撮影賞、美術賞、音楽賞、録音賞、技術賞)、記録文化映画賞、スポニチグランプリ新人賞、大藤信郎賞田中絹代賞、日本映画ファン賞、外国映画ベストワン賞、外国映画ファン賞の各賞が選ばれる。対象作品は洋画邦画を問わない。

毎年2月上旬に授賞式が行われ、第65回(2010年)は初めてtvk(テレビ神奈川)で授賞式の模様が生放送されたが、翌年(第66回、2011年)以降はオープニングセレモニーのみ生放送され、授賞式は後日録画放送される。

第65回から第74回(2019年)までの授賞式は、川崎市の協力で市内にあるミューザ川崎シンフォニーホールで執り行われていたが第75回(2020年)以降は、再び都内に戻り目黒区の協力でめぐろパーシモンホールで執り行われている。

第37回(1982年)までは毎日新聞社のみの主催だった[1]。毎日新聞社は当時、経営再建中で、単独の映画賞を持っていないフジサンケイグループが毎日映画コンクールを譲り受けたいと、岡田茂日本映画製作者連盟会長に相談に訪れた[1]。岡田は懇意にしていたスポーツニッポンの記者・脇田巧彦を東映本社に呼び「伝統ある毎コンが他社に渡っていいのか」と伝えた。脇田は驚き、すぐにスポーツニッポン新聞社社長の和田準一に報告。和田は毎日新聞東京本社代表・小池唯夫に掛け合い、毎日映画コンクールの授賞式とレセプションを盛大にする、スポニチも主催に入る、スポニチ新人賞を新設する、スポニチが応分の資金援助をするという改善策が決まり、第38回(1983年)以降、毎日映画コンクールは毎日・スポニチの共催となった[1]

第79回(2024年)は、ジェンダーレスの観点から俳優部門の男女の区別が撤廃され、男優主演賞と女優主演賞は主演俳優賞に、男優助演賞と女優助演賞は助演俳優賞に統一された[2]。女性に限定していた田中絹代賞も休止となった[3]。またアニメーション映画の表彰も、アニメーション映画賞(第44回で創設)が廃止され、大藤信郎賞のみとなった[4]

部門

作品部門

俳優部門

スタッフ部門

  • 監督賞
  • 脚本賞
  • 撮影賞
  • 美術賞
  • 音楽賞
  • 録音賞

ドキュメンタリー部門

  • ドキュメンタリー映画賞

アニメーション部門

TSUTAYA DISCAS映画ファン賞

(2024年時点の名称)

  • 日本映画部門
  • 外国映画部門

特別賞

  • 特別賞

歴代各賞

注:下記は年度表示であり、授賞式の年は翌年(2月)。

第1回(1946年) - 第10回(1955年)

目次[注 1] : 第1回(1946年) - 第2回(1947年) - 第3回(1948年) - 第4回(1949年) - 第5回(1950年) - 第6回(1951年) - 第7回(1952年) - 第8回(1953年) - 第9回(1954年) - 第10回(1955年)

第1回(1946年)
  • 作品部門
第2回(1947年)
第3回(1948年)
第4回(1949年)
第5回(1950年)
第6回(1951年)
第7回(1952年)
第8回(1953年)
第9回(1954年)
  • 作品部門
    • 日本映画大賞 『二十四の瞳
    • 教育文化映画賞 『蚊』、『佐久間ダム』
    • ニュース映画賞 毎日世界ニュース第145号特報「衆院大乱闘事件」新理研映画社
  • 俳優部門
  • スタッフ部門
    • 監督賞 木下恵介『二十四の瞳』『女の園』
    • 脚本賞 木下恵介『二十四の瞳』『女の園』
    • 撮影賞 小原譲治『愛と死の谷間』『鶏はふたたび鳴く』
    • 美術賞 木村威夫或る女』『黒い潮』
    • 音楽賞 木下忠司『女の園』『この広い空のどこかに』
    • 録音賞 大野久雄『この広い空のどこかに』『女の園』『二十四の瞳』
    • 色彩技術賞 杉山公平他・大映作品『千姫』の色彩技術関係者
第10回(1955年)

第11回(1956年) - 第20回(1965年)

目次[注 2] : 第11回(1956年) - 第12回(1957年) - 第13回(1958年) - 第14回(1959年) - 第15回(1960年) - 第16回(1961年) - 第17回(1962年) - 第18回(1963年) - 第19回(1964年) - 第20回(1965年)

第11回(1956年)
第12回(1957年)
第13回(1958年)
第14回(1959年)
第15回(1960年)
  • 作品部門
    • 日本映画大賞 『おとうと
    • 教育文化映画賞
      • 長編記録映画 『人間みな兄弟』
      • 理科映画 『新昆虫記―蜂の生活』
      • 短編劇映画 『北白川こども風土記』
      • 科学映画 『マリン・スノー=石油の起源』
        • 企画賞 『マリン・スノー=石油の起源』
    • ニュース映画賞
      • 朝日ニュース「血ぬられた安保新条約」を含む第797号日本映画新社
      • 毎日ニュース「ハガチー氏デモ隊に囲まる」(特報添付)を含む第289号毎日映画社
  • 俳優部門
  • スタッフ部門
  • 特別賞
    • ヘンリー小谷
      • 日本映画の先覚者として近代的撮影技術を確立した功績
    • 教育文化映画特別賞 吉田六郎 『新昆虫記―蜂の生活』に示した画期的撮影技術
第16回(1961年)
第17回(1962年)
  • 作品部門
    • 日本映画大賞 『切腹
    • 教育文化映画賞
      • 一般教養映画 『尾瀬
      • 社会教育映画 『石ころの歌』
      • 科学映画 『パルスの世界―エレクトロニクスと生体と―』
      • 学校教材映画 『ジガバチモドキの観察』
        • 企画賞 『私たちの修学旅行』
    • ニュース映画賞 朝日ニュース「ある生活・お盆を迎えた老人の島」を含む第893号日本映画新社
    • 大藤信郎賞[注 3] 手塚治虫『ある街角の物語』
      • アニメーション映画の領域で独創的な着想と優れた技術によって新鮮な様式美をつくりだした。
  • 俳優部門
  • スタッフ部門
  • 特別賞
    • 教育文化映画特別賞 小林米作『パルスの世界』
      • その他科学映画の顕微鏡撮影に示した優れた技術
第18回(1963年)
第19回(1964年)
  • 作品部門
    • 日本映画大賞 『砂の女
    • 教育文化映画賞
      • 科学映画 『結晶と電子』
      • 児童映画 『白さぎと少年』
      • 教養映画 『美しい国土 その生いたち』
      • 産業映画 『日本のさけます』
        • 企画賞 『北海に生きる』『父と母とその子たち』『アメリカの家庭生活』
    • ニュース映画賞 朝日ニュース「大臣のイス」を含む第993号日本映画新社
    • 大藤信郎賞 『殺人 MURDER』和田誠
      • 風刺的なアイデアと秀れた音楽処理により動画映画に新しい境地をひらいた
  • 俳優部門
  • スタッフ部門
  • 特別賞
    • 帰山教正
      • 日本映画草創期における先駆的な映画啓蒙運動の功労
    • 佐田啓二
      • 多年にわたり大衆に親しまれた演技者としての功績
第20回(1965年)
  • 作品部門
    • 日本映画大賞 『赤ひげ
    • 教育文化映画賞
      • 学校教育映画 『つるのおんがえし
      • 記録映画 『姫路城
      • 社会教育映画 『盲ろう児』
      • 一般教養映画 『和華子』
        • 企画賞 『日本の祭』
    • ニュース映画賞 大毎ニュース「ベトコン狩り」を含む第718号理研映画
    • 大藤信郎賞
      • 久里洋二
        • 独創的な発想とユニークな造形によって個性ゆたかな作品を継続的に製作し、日本のアニメーション映画の発展にも寄与した。
      • 『ふしぎなくすり』における村治夫、岡本忠成をはじめとする電通映画社製作グループ
        • 奇抜なデザインによる造形と動きが、人形映画に新生面を開いた。
  • 俳優部門
  • スタッフ部門
  • 特別賞
    • 監督特別賞 市川崑『東京オリンピック』
    • 撮影特別賞 東京オリンピック撮影集団

第21回(1966年) - 第30回(1975年)

目次[注 2] : 第21回(1966年) - 第22回(1967年) - 第23回(1968年) - 第24回(1969年) - 第25回(1970年) - 第26回(1971年) - 第27回(1972年) - 第28回(1973年) - 第29回(1974年) - 第30回(1975年)

第21回(1966年)
  • 作品部門
    • 日本映画大賞 『白い巨塔
    • 教育文化映画賞
      • 学校教材映画 『近代百年の歩み』
      • 記録映画 『伝統工芸
      • 科学映画 『ヒトの染色体』
      • アニメーション映画 『月夜とめがね』
        • 企画賞 『原子力発電の夜明け』
    • ニュース映画賞 読売国際ニュース「わが人生最良の日」を含む第912号読売映画社
    • 大藤信郎賞『展覧会の絵』、手塚治虫虫プロダクション
      • 風刺的なアイデアをもとに、バラエティーに富んだ技法を駆使して、日本のアニメーション映画の水準を高めた。
  • 俳優部門
  • スタッフ部門
    • 監督賞 山本薩夫『白い巨塔』
    • 脚本賞 橋本忍『白い巨塔』
    • 撮影賞 飯村雅彦『湖の琴』『一万三千人の容疑者』
    • 美術賞 山崎正夫他人の顔』『紀ノ川』
    • 音楽賞 武満徹『他人の顔』『あこがれ』
    • 録音賞 藤好昌生『あこがれ』
第22回(1967年)
  • 作品部門
    • 日本映画大賞 『上意討ち 拝領妻始末
    • 教育文化映画賞
      • 科学映画 『特別天然記念物・ライチョウ』
      • アニメーション映画 『マッチ売りの少女
      • 学校教材映画 『新昆虫記・谷川にすむ虫』
      • 記録映画 『夜明けの国』
        • 企画賞 『母たち』
    • ニュース映画賞 毎日ニュース特集「流血の中の訪米」を含む第676号毎日映画社
    • 大藤信郎賞 久里洋二
      • 『二匹のサンマ』および『部屋』の2作品において鋭い風刺とユーモアあふれる構想を色彩、音響のすぐれた技法で的確に表現し独自の作風をうちたてた。
  • 俳優部門
  • スタッフ部門
  • 特別賞
    • 下村兼史
      • 『或る日の干潟』『ライチョウ』など数々の生物記録映画、とくに鳥類の生態をとらえた、すぐれた作品を永年にわたり製作、その結果は記録映画としてだけでなく、鳥類学の分野でも貴重な資料として高く評価されている。
第23回(1968年)
第24回(1969年)
第25回(1970年)
第26回(1971年)
第27回(1972年)
  • 作品部門
    • 日本映画大賞 『忍ぶ川
    • 教育文化映画賞 『明治の洋風建築』
    • ニュース映画賞 中日ニュース「水俣からの告発~生きる証」を含む第947号中日映画社
    • 大藤信郎賞 『鬼』川本喜八郎
      • 人形アニメーションに能の様式と邦楽伴奏を取り入れ、古典的な題材に作者の新しい解釈を加味し、おそろしくも哀れ深い作品に昇華させた。
  • 俳優部門
  • スタッフ部門
第28回(1973年)
  • 作品部門
    • 日本映画大賞 『津軽じょんがら節
    • 教育文化映画賞 『色鍋島』
    • ニュース映画賞 中日ニュース第1039号 特集「たとえぼくに明日はなくとも」
    • 大藤信郎賞 『南無一病息災』(株)エコー
      • 庶民の切ない祈りをこめた絵馬にモチーフをとり、その素朴な画風をフォーク調の歌と語りに乗せて昔噺を構成し、アニメーション映画に滋味豊かな新分野を展開した。
  • 俳優部門
  • スタッフ部門
第29回(1974年)
  • 作品部門
    • 日本映画大賞 『砂の器
    • 教育文化映画賞 『日本の稲作~そのこころと伝統』
    • ニュース映画賞 毎日ニュース第1031号「恐怖の爆弾事件」
    • 大藤信郎賞 『詩人の生涯』川本喜八郎
      • 従来のアニメーションの形式を破ったユニークな立絵風の作品。音声によるダイアローグを廃したスーパーインポーズ形式は弦楽を交えた音響効果と相まって、画面全体が視覚詩として表現されている。
  • 俳優部門
  • スタッフ部門
第30回(1975年)

第31回(1976年) - 第40回(1985年)

目次[注 2] : 第31回(1976年) - 第32回(1977年) - 第33回(1978年) - 第34回(1979年) - 第35回(1980年) - 第36回(1981年) - 第37回(1982年) - 第38回(1983年) - 第39回(1984年) - 第40回(1985年)

第31回(1976年)
第32回(1977年)
  • 作品部門
  • 俳優部門
    • 男優演技賞 高倉健『幸福の黄色いハンカチ』
    • 女優演技賞 岩下志麻『はなれ瞽女おりん』
  • スタッフ部門
    • 監督賞 山田洋次『幸福の黄色いハンカチ』
    • 脚本賞 山田洋次、朝間義隆『幸福の黄色いハンカチ』
    • 撮影賞 宮川一夫『はなれ瞽女おりん』
    • 美術賞 該当なし
    • 音楽賞 佐藤勝『幸福の黄色いハンカチ』
    • 録音賞 中村寛『幸福の黄色いハンカチ』
第33回(1978年)
  • 作品部門
  • 俳優部門
  • スタッフ部門
    • 監督賞 野村芳太郎『事件』『鬼畜』
    • 脚本賞 新藤兼人『事件』
    • 撮影賞 川又昴『事件』『鬼畜』
    • 美術賞 森田郷平『事件』『鬼畜』
    • 音楽賞 武満徹『愛の亡霊』
    • 録音賞 久保田幸雄『サード』
第34回(1979年)
第35回(1980年)
第36回(1981年)
第37回(1982年)
第38回(1983年)
第39回(1984年)
第40回(1985年)

第41回(1986年) - 第50回(1995年)

目次[注 2] : 第41回(1986年) - 第42回(1987年) - 第43回(1988年) - 第44回(1989年) - 第45回(1990年) - 第46回(1991年) - 第47回(1992年) - 第48回(1993年) - 第49回(1994年) - 第50回(1995年)

第41回(1986年)
第42回(1987年)
第43回(1988年)
第44回(1989年)
作品部門
第45回(1990年)
第46回(1991年)
第47回(1992年)
第48回(1993年)
第49回(1994年)
第50回(1995年)

第51回(1996年) - 第60回(2005年)

目次[注 2] : 第51回(1996年) - 第52回(1997年) - 第53回(1998年) - 第54回(1999年) - 第55回(2000年) - 第56回(2001年) - 第57回(2002年) - 第58回(2003年) - 第59回(2004年) - 第60回(2005年)

第51回(1996年)
第52回(1997年)
第53回(1998年)
第54回(1999年)
第55回(2000年)
第56回(2001年)
第57回(2002年)
作品部門
第58回(2003年)
第59回(2004年)
第60回(2005年)

第61回(2006年) - 第70回(2015年)

目次[注 2] : 第61回(2006年) - 第62回(2007年) - 第63回(2008年) - 第64回(2009年) - 第65回(2010年) - 第66回(2011年) - 第67回(2012年) - 第68回(2013年) - 第69回(2014年) - 第70回(2015年)

第61回(2006年)
第62回(2007年)
第63回(2008年)
第64回(2009年)
作品部門
第65回(2010年)
  • アニメーション部門
    • アニメーション映画賞 『カラフル
    • 大藤信郎賞 該当なし
  • ドキュメンタリー部門
    • ドキュメンタリー映画賞 該当なし
第66回(2011年)
  • アニメーション部門
    • アニメーション映画賞 『蛍火の杜へ
    • 大藤信郎賞 『663114』
第67回(2012年)
  • ドキュメンタリー部門
    • ドキュメンタリー映画賞 『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』
第68回(2013年)
  • ドキュメンタリー部門
    • ドキュメンタリー映画賞 『立候補
  • アニメーション部門
    • アニメーション映画賞 『かぐや姫の物語
    • 大藤信郎賞 『海に落ちた月の話』
第69回(2014年)
  • ドキュメンタリー部門
    • ドキュメンタリー映画賞 『SAYAMA みえない手錠をはずすまで』
  • アニメーション部門
第70回(2015年)
  • ドキュメンタリー部門
    • ドキュメンタリー映画賞 『沖縄 うりずんの雨』

第71回(2016年) -

目次[注 2] : 第71回(2016年) - 第72回(2017年) - 第73回(2018年) - 第74回(2019年) - 第75回(2020年) - 第76回(2021年) - 第77回(2022年) - 第78回(2023年) - 第79回(2024年)

第71回(2016年)
  • ドキュメンタリー部門
    • ドキュメンタリー映画賞 『桜の樹の下』
  • TSUTAYA×Filmarks映画ファン賞
    • 日本映画部門 『君の名は。』
    • 外国映画部門 『ズートピア
  • 特別賞
第72回(2017年)
第73回(2018年)
第74回(2019年)
  • TSUTAYAプレミアムファン賞
    • 日本映画部門 『凪待ち』
    • 外国映画部門 『ジョーカー』
  • 特別賞
第75回(2020年)
第76回(2021年)
第77回(2022年)
第78回(2023年)
第79回(2024年)[2]

脚注

注釈
  1. ^ 下記は年度表示であり、授賞式の年は翌年(2月)。
  2. ^ a b c d e f g 下記は年度表示であり、授賞式の年は翌年(2月)。
  3. ^ 1962年に創設
出典
  1. ^ a b c 脇田巧彦 (2011年12月27日). “連載 最後のカツドウ屋 岡田茂 映画こそ我が人生 実録東映六十年(77)”. 埼玉新聞 (埼玉新聞社): p. 14 
  2. ^ a b 「夜明けのすべて」毎日映画コンクールで日本映画大賞、主演賞は河合優実&横浜流星”. 映画ナタリー. ナターシャ (2025年1月17日). 2025年1月17日閲覧。
  3. ^ 第79回毎日映画コンクール候補決定 音楽賞”. ひとシネマ. 毎日新聞社 (2024年12月19日). 2025年1月31日閲覧。
  4. ^ “アニメーション映画賞廃止で大藤信郎賞に一本化、毎日映画コンクール”. アニメーションビジネス・ジャーナル. (2024年12月20日). http://animationbusiness.info/archives/16475 2025年1月17日閲覧。 

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4
また逢う日まで デジタル大辞泉
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5
カルメン故郷に帰る デジタル大辞泉
76% |||||

6
切腹 デジタル大辞泉
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7
古都 デジタル大辞泉
76% |||||

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戦争と人間 デジタル大辞泉
76% |||||

9
晩春 デジタル大辞泉
76% |||||

10
暁の脱走 デジタル大辞泉
76% |||||

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