青春の殺人者
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青春の殺人者 | |
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The Youth Killer | |
監督 | 長谷川和彦 |
脚本 | 田村孟 |
原作 | 中上健次 |
製作 | 今村昌平 大塚和 |
製作総指揮 | 多賀祥介 |
出演者 | 水谷豊 原田美枝子 |
音楽 | ゴダイゴ |
撮影 | 鈴木達夫 |
編集 | 山地早智子 |
製作会社 | 今村プロ 綜映社 ATG |
配給 | ATG |
公開 | ![]() |
上映時間 | 132分 |
製作国 | ![]() |
言語 | 日本語 |
『青春の殺人者』(せいしゅんのさつじんしゃ)は、1976年公開の日本映画[1][2] [3][4][5][6]。水谷豊・原田美枝子主演。新時代の旗手としての期待を一身に集めていた長谷川和彦の第1回監督作品で[2]、公開当時、大型新人監督登場として話題を呼んだ[5]。
1974年に千葉県市原市で起きた親殺し事件を下敷きにした中上健次の短編小説『蛇淫』をもとに[5]、田村孟が脚本を執筆した。深い理由もなく、行きがかりから両親を殺してしまった青年とその恋人の末路を、突き放した視点から描く[5]。
第50回キネマ旬報ベスト・テン1位の他、日本映画監督賞(長谷川和彦)、脚本賞(田村孟)、主演男優賞(水谷豊)、主演女優賞(原田美枝子)と主要部門を独占[1][2]。新人の第1回作品がキネ旬のベスト・ワンになるのは異例であった[7][8]。
あらすじ
千葉県の空港近くでスナックを営む若者・斉木順は、ある日自身が普段乗っている車を勝手に持っていった両親から車を取り返しに実家に訪れる。順は、父から自身の恋人・ケイ子の悪口と共に「ケイ子と別れなければスナックを辞めてもらう」と言われてしまい激昂する。順は父を包丁で刺殺してしまい、直後に帰宅した母はその状況に悲観して息子から包丁を奪い無理心中を図ろうとしたため、彼は母をも殺めてしまう。
スナックに戻った順は、ケイ子に「オーナーである両親と大喧嘩したから今日限りで店を閉める」と言って車で彼女を家に送り届け、一方的に別れを告げて去ってしまう。夜遅く再び実家に戻った順は、懐中電灯の明かりだけを付けて両親の遺体を毛布で包んでロープで縛っていた所、ケイ子が家に来てしまう。遺体を見つけたケイ子は血で汚れた風呂場を洗うのを手伝い、順と2人で遺体を車に乗せて夜明け前の港に訪れ2つの遺体に重りを付けて遺棄する。
順はケイ子とドライブして数時間後、海水浴場でアイスキャンディーを食べていると、自身が子供の頃に両親と過ごした海辺での思い出に涙する。その時ふと順は、何事もなかったようにもう一日だけ真面目に働いてみることを思い立ち、ケイ子と2人でスナックに戻ることに。しかしスナックまであと少しと言う所で、空港建設の反対デモ取締りのため機動隊の検問に遭った順は、自責の念にかられて両親を殺したことを自供してしまう。
キャスト
- 斉木順
- 演 - 水谷豊
- スナック『キャサリン』の雇われマスター。普段は強気な態度で責任感がなく周りの人のせいにする性格。ただし、中学時代は委員長をやるなど真面目な性格で優等生だった。気ままな行動で振り回す父や、過保護で色々と指図して子供扱いする母に反発している。
- 順の父
- 演 - 内田良平
- 夫婦でトラック専門のタイヤ工場のような自営業をしている。順が働くスナックのオーナー。気位が高く気ままな性格で、これまでに順に気前よく家電製品などを買い与えているが、突然取り上げるようなことをしている。ちなみに順が子供の頃は、海水浴場でアイスキャンディー売りの仕事をしていた。
- 順の母
- 演 - 市原悦子
- これまでに夫と自宅のタイヤ工場で必死に働いている。ケイ子のことをあまり良く思っておらず陰で「あの女」呼ばわりしている。機転が利く我慢強い性格だが、順に対して過保護。心の中では「新しい服を買いたい、温泉に行きたい」など色々欲求があるが、働き詰めのせいで自身のことは後回しになっていて質素な生活を送る。
- 常世田ケイ子
- 演 - 原田美枝子
- 順の恋人で、彼のスナックで働く。中学生の頃に左耳だけ難聴になったため左から話しかけられても聞こえない状態。子供っぽい性格で、順に対していつも甘えるような言動をしている。本人によると「中学生の頃に順が住んでいた家の庭に生えていたイチジクの実を、勝手に食べたことがバレて母に叩かれて左耳が失聴した」とのこと。
- ケイ子の母
- 演 - 白川和子
- 家は、海のそばにあり、過去に斉木家が近所に住んでいたためお互いのことを良く知っている。ケイ子が中学生の頃はしつけに厳しい性格だったが、現在は酒浸りで娘の服を勝手に着るなどややだらしない性格。
- 宮田道夫
- 演 - 江藤潤
- 順の高校時代のクラスメイトで、ケイ子とも親しくしている。昔撮った学生時代の8ミリ映画の映像を自身と郁子の結婚披露宴で流す打ち合わせのため、徹と3人で順に会いに来る。
- 石川郁子
- 演 - 桃井かおり
- 宮田の恋人で、同じく順とは高校時代のクラスメイト。ケイ子とも顔見知り。宮田とは高校時代に付き合い始めその後2人とも東京の大学に進学している。事前に言っておいた8ミリ映画の映写機を実家に忘れたと言う順を責める。
- 日高徹
- 演 - 地井武男
- 宮田の大学の友人。大学7年生。宮田の披露宴で司会を任される。
- 漁師の女
- 演 - 女A(高山千草)、女B(三戸部スエ)
- ケイ子の家のご近所さん。順も中学時代に同じ地域に住んでいたため、彼のことも良く知っている。ケイ子の母の家で3人で楽しく酒を飲み、たまたま訪れた恋人同士のケイ子と順をからかう。
- 湯沢勉[1]、佐久間宏則[1]、ブラックエンペラー市原支部[1]
スタッフ
- 原作 - 中上健次
- 企画 - 多賀祥介
- 監督 - 長谷川和彦
- 脚本 - 田村孟
- 助監督 - 石山昭信、矢野広成、草水良一、相米慎二(杉田二郎名義)[1][9]
- 製作 - 今村昌平、大塚和
- 音楽 - ゴダイゴ
- 撮影 - 鈴木達夫
- 美術 - 木村威夫
- 録音 - 久保田幸雄
- 照明 - 伴野功
- 編集 - 山地早智子
- 製作担当 - 浅尾政行[1][9]
- 制作進行 - 榎戸耕史(榎戸耕名義)[1][9]、平山秀幸(平山秀之名義)[1][9]、飯塚勇
サウンドトラック
収録曲
- 想い出を君に託そう(オープニング)
- 白い小鳥-インストゥルメンタル#1-(順とケイ子)
- 作曲:タケカワユキヒデ、編曲:ミッキー吉野
- 順と父
- 作曲・編曲:ミッキー吉野
- 死体
- 作曲・編曲:ミッキー吉野
- 死者の声
- 作曲・編曲:ミッキー吉野
- イエロー・センター・ライン-ショート・バージョン-(夕焼け-祭の街へ)
- 作詞:奈良橋陽子、作曲:タケカワユキヒデ、編曲:ミッキー吉野
- 想い出を君に託そう-未発表唄入りテイク-(回想-更地にてI)
- 作詞:奈良橋陽子、作曲:タケカワユキヒデ、編曲:ミッキー吉野
- 想い出を君に託そう-未発表インストゥルメンタル#1-(回想-更地にてII)
- 作曲:タケカワユキヒデ、編曲:ミッキー吉野
- 想い出を君に託そう-未発表インストゥルメンタル#2-(回想-更地にてIII)
- 作曲:タケカワユキヒデ、編曲:ミッキー吉野
- おかしなウエディング(8mmフィルム「磔刑(はりつけ)」)
- 作曲・編曲:ミッキー吉野
- 白い小鳥-インストゥルメンタル#2-(ケイ子のイチジク)
- 作曲:タケカワユキヒデ、編曲:ミッキー吉野
- 殺意-フラッシュ・バック
- 作曲・編曲:ミッキー吉野
- 憩いのひととき-インストゥルメンタル-(回想-海岸のアイスキャンディー売り)
- 作詞:奈良橋陽子、作曲:タケカワユキヒデ、編曲:ミッキー吉野
- マジック・ペインティング(回想-スナック開店風景)
- 作詞:奈良橋陽子、作曲:タケカワユキヒデ、編曲:ミッキー吉野
- 憩いのひととき-ショート・バージョン-(エンディング-高速道路)
- 作詞:奈良橋陽子、作曲:タケカワユキヒデ、編曲:石川鷹彦
- スティーヴ・フォックス笑い声
「想い出を君に託そう」「イエロー・センター・ライン」「マジック・ペインティング」「憩いのひととき」はゴダイゴのアルバム『新創世紀』に、「白い小鳥」はタケカワユキヒデのアルバム『走り去るロマン』に、それぞれフル・ヴァージョンが収録されている。
ライナー・ノーツには、杉本博士による解説及び長谷川和彦とタケカワユキヒデによる対談が記載されている。このサウンド・トラックは名義上、ゴダイゴのアルバムである。
製作
企画
1975年8月に長谷川の噂を聞きつけたATGの多賀祥介が「一本監督しないか」と長谷川に声をかけスタートした[3][10][11][12]。製作が決まってクランクインまで丸一年を要した[11]。
脚本
『文藝』1975年9月号に掲載された中上健次の短編小説「蛇淫」を長谷川が読み、両親をきっちり殺す映画を作ろうと考えた[3]。入念な事実調べを4カ月かけて行ったが[5]、脚本に難航し、田村孟に脚本を依頼した[3]。田村脚本は原作に調査事実を大胆に取り入れ、新しい真実に迫ろうとする意欲作だった[5]。しかし長谷川が脚本をいちじるしく改変したため田村からの激しい抗議が来たという[4]。長谷川はこの殺人事件を猟奇的で特殊なものとして捉えず、ごく普通の平凡な青年が何故か両親を殺害し、恋人と逃げようとするところに日常的な恐ろしさと悲しさがあると考えた[5]。どんな人間でも一度は親を殺して大人になる、地方出身の自身にしても大学に入って家を出るという平凡な行為の中で、精神的にはなし崩し的に親を殺しているのかもしれない、心優しい主人公はたまたま実際に殺人をおかしてしまった、この殺人者を自分自身として捉え得るかどうかが勝負どころと企図した[5]。
キャスティング
水谷豊の主演起用は長谷川監督が『傷だらけの天使』を観て気に入り『青春の蹉跌』の脚本で交流のあった萩原健一に紹介してもらったもので、水谷を「日本のジェームズ・ディーンやらないか」と口説いた[3][13]。「豊はしつこい演出にもめげずについてきてくれた」と述べている[3]。原田美枝子は当時17歳で大胆なヌードシーンを披露した。原田は過酷な撮影だった本作が嫌で、映画を一度も観ていないという[14]。
製作費
2000万円前後を予定していたが、結局3500万円かかった。長谷川は借金を1500万負ったという。監督は勿論、水谷もノーギャラ[3]。撮影当時、長谷川が30歳、水谷が24歳、原田は17歳であった。
撮影
1976年春から撮影が始まり、当初クランクアップは8月31日を予定していたが、10月頭まで延長した[9]。撮影は実際の事件の舞台となった市原市と静岡県伊豆・下田で行われ[15]、全編ロケ。今では考えられないようなゲリラ的撮影が多く、成田のスナック(設定上は成田だが撮影場所は市原)に火を付けて燃やすラストシーンも許可を取らずに一発撮り[16]。街の中に実際に建てたセットのスナックに火を着けた[16]。主演の二人に火の中で演技をさせた[16]。イメージより火が弱く、スタッフ総出で、ガソリンをバケツに入れて、入れ替わり立ち替わりセットにぶっかけた[9]。平日の夕方、道路沿いに建てられた建物が勢いよく燃えて、周辺は車が大渋滞になった[17]。地元の消防団がやってきて激怒し、「責任者出せ」と言うから、その日たまたま今村昌平がいて、皆で今村を指さし、消防団と今村が揉めている間、ガソリンをかけ続けた[9]。
映画評論家・監督の樋口尚文が長谷川和彦に本作の意図や制作過程についてロングインタビューを行い構成した『「青春の殺人者」という事件の現場』(2014年/87分)が、キングレコード『青春の殺人者』DVD、ブルーレイの映像特典として収録されている[18]。長谷川が田村孟の当初の脚本を撮影現場で大胆に変えて行った過程などが詳述されている。
音楽
長谷川によれば、「音楽は最初はビートルズを使うつもりだったが、著作権料と使用料だけで本編の予算の何倍もかかると言われて諦めた」とのこと。紆余曲折あってゴダイゴになった。長谷川は「インストにしようと思ったが、ゴダイゴが英語のボーカルのままでやりたいって言うから、まあいいかって決めた」と話している。ミッキー吉野は「長谷川監督が全曲英語詞で歌うゴダイゴに興味を持って、音楽を任せてくれた」と述べている[19]。当時、サウンドトラックを日本のロックバンドが、しかも英語詞で手掛けるというのは珍しかった[20]。
興行
本作の封切上映は、当時のATG唯一の常設館日劇文化劇場[4]を含む、日本中で4館だけだった[21]。長谷川は「映画はできたけど現場は大赤字で、1000万円近く赤字が出たから、あとはチケットを売って返すしかないと思って、1人で5000枚売った」「ATGにチケット代を精算する時に500万円の借金をした」などと述べている[3]。公開時のオリジナル版は132分だが、再上映は公開翌年に再編集された115分版での上映が多い[1][2]。
作品の評価
封切初日に日劇文化で観たという樋口尚文は「主人公が親を殺したのに自分を持て余している感じがリアルでした。当時は、ここまで無様なアンチヒーローを描いた映画ってなかった。感動を通過して衝撃を受けた」などと評している[4]。
山根貞男は1980年代も終わる『シティロード』1989年9月号で、80年代の日本映画界を総括し[22]、「底が抜けた」日本映画界に俳優・脚本家・テレビ演出家・小説家といった助監督経験のない有名人が映画監督に乗り出すケースが目につき、この事態はプログラム・ピクチュア体制の崩壊した1970年代から始まり今に至る、などと解説し、山根と『シティロード』編集部は「80年代、主な監督のデビュー作と日本映画界(※劇映画で16ミリ作品を除く)」という80年代の日本映画の年表を作り、この冒頭に1976年の本作『青春の殺人者』を持って来て、1977年の大林宣彦『HOUSE』、1978年の大森一樹『オレンジロード急行』、1979年の宮崎駿『ルパン三世 カリオストロの城』、柳町光男『十九歳の地図』の5本を80年代日本映画のプラットフォームを作った映画として掲載している[22]。
「特別な一本」として本作を挙げる染谷将太は、「今じゃ絶対撮れないというか、逆に新しいなと思いました。とにかく水谷豊さんの芝居が衝撃的でした。台詞に感情はこもってるんですが、どこか空洞に見える。そこがすごくリアルで、あと、親を殺して逃げるときの水谷さんの目が気持ち悪いくらいキラキラしてる、あんな芝居、どうやったらできるんでしょうか。親殺しってことで言えば、俺も『ヒミズ』で父親を殺す役をやっているのですが、話が来たときはさすがに、あっと思いました。特別、水谷さんを意識したわけじゃありませんが、結果的に近いものになったかもしれないな、と。それは時代を超えて繋がっているようにも思います。ただ『青春のー』で流れてる空気は今と確実に違いますね。汚く見えるというか、淀んでいるんですよね。それが映画にはっきり映し出されている(中略)俺、水谷さんも原田美枝子さんも市原悦子さんも全員、仕事でご一緒させてもらったことがあるんですよ。でもこの映画のことはとても聞けない。いや、すごく聞きたいんですが、触れちゃいけないんじゃないかって。皆さん『青春のー』の頃と、今は全然違うフィールドにいらっしゃるじゃないですか。3人が3人とも今が『青春のー』の延長線上にないというか、良い意味でこの映画を引きずってないというか、今さら掘り返せないです。『あれはあれだから』と言われちゃいそうで(笑)。その感じがまた恰好良いところではあるのですが。俺、小学校の頃から俳優の仕事をやらせてもらって、これまでいろんな現場を経験したんですが、『最近やってない監督で誰とご一緒したいですか?』と聞かれる度に、いつも『長谷川さんです』と答えていつもみんなに笑われてるんですよ。新作をお撮りになる機会があるなら、どんな役でもいいから出させていただきたいなという気持ちは強くあります(中略)今の映画も今を写してるのかも知れないんですが、『青春のー』で、改めて映画は、時代を切り取るものなんだと思いしらされました」などと評している[6]。
受賞歴
第50回キネマ旬報ベスト・テン1位となったインタビューで長谷川は「他にいい作品がなかったからでしょう。1位、2位、3位、4位なしの5番目の1位でしょう。そう思っています」と答えた[21]。
影響
日本映画界を牽引する俳優やクリエイターたちに絶大な影響をもたらした作品としていまなお語り継がれている[3]。有栖川有栖は「私にとっては特別な映画。ゴダイゴの音楽はいまも頭の中で鳴っている」などと述べている[23]。野沢尚は本作のシナリオに感銘を受けて脚本家を志したと話していた[24]。他に土井裕泰、瀬々敬久、浅香航大らが本作のファン、或いは大きな影響を受けたと話している[25][26][27]。また、後に共にディレクターズ・カンパニーを結成する石井聰互(石井岳龍)も[28]「『青春の殺人者』などの映画に救われたと言っても過言ではない。おかげで自分は犯罪者にならずにすんだ」などと述べている[29]。
ソフト状況
東和ビデオからビデオが長く発売されていた[5]。2014年2月12日にキングレコードから撮影監督・鈴木達夫の監修を経た史上最良のマスターでブルーレイ化&再DVD化され、発売されている[6][4][30]。BD:¥5,800、DVD:¥3,800(いずれも税抜き)[6]。特典映像は、長谷川監督自らが本作製作時に直面した脚本家・田村孟氏との創造上の相克などを語り尽くした82分の貴重なインタビュー、題して「『青春の殺人者』という事件の現場」[4]。
脚注
- ^ a b c d e f g h i j 青春の殺人者 - 国立映画アーカイブ“長谷川和彦とディレクターズ・カンパニー 青春の殺人者”. 国立映画アーカイブ (2022年). 2025年9月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年9月7日閲覧。
- ^ a b c d 青春の殺人者 – 第22回東京国際映画祭
- ^ a b c d e f g h i “「もう一本映画撮らないと死ねん」長谷川和彦が『青春の殺人者』トークショーで水谷豊&原田美枝子との思い出を語る”. MOVIE WALKER PRESS. ムービーウォーカー (2022年10月25日). 2025年9月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年9月7日閲覧。
- ^ a b c d e f 長谷川和彦監督が語り尽くす「青春の殺人者」新事実 本邦初公開の資料も
- ^ a b c d e f g h i 『ぴあシネマクラブ 日本映画編 2004-2005 青春の殺人者』ぴあ、2004年、393頁。ISBN 978-4835606170。青春の殺人者
- ^ a b c d 「第3章 1970's この映画のことは、怖くて出演者の誰にも聞けません 『青春の殺人者』 文・染谷将太」『観ずに死ねるか! 傑作青春シネマ 邦画編 〜総勢80人が語る極私的作品論』鉄人社、2014年、26-29頁。 ISBN 9784865370034。「観ずに死ねるか!傑作青春シネマ邦画編」出版記念特集上映会 6/6(金)上映「青春の殺人者」トークレポート
- ^ “上映作品 青春の殺人者”. 鎌倉市川喜多映画記念館 (2020年). 2025年9月7日閲覧。
- ^ 田山力哉『新しい映画づくりの旗手たち』ダヴィッド社、1980年、224頁。
- ^ a b c d e f g #平山、22-25頁。
- ^ 田山力哉『新しい映画づくりの旗手たち』ダヴィッド社、1980年、214-221頁。
- ^ a b 長谷川和彦「顔と言葉 非現実的な予算の中で」『キネマ旬報』1976年9月下旬号、59頁
- ^ 「対談 長谷川和彦×相米慎二」『月刊シナリオ』日本シナリオ作家協会、1980年8月、8頁。
- ^ 長谷川和彦監督、水谷豊に猛アプローチ! 「日本のジェームズ・ディーンやらないか?」
- ^ 長谷川和彦監督が35年間新作を撮っていない理由とは
- ^ 中島丈博「熱気あふれる『青春の殺人者』伊豆・下田ロケ訪問」『キネマ旬報』1976年10月下旬号、77−79頁。
- ^ a b c 白井佳夫「邦画の焦点 新しいジュリーを誕生させ… 異色監督・長谷川和彦の復活!」『週刊平凡』1979年10月11日号、平凡出版、150–151頁。
- ^ #鈴木、55頁。
- ^ 映画ドットコム “長谷川和彦監督が語り尽す『青春の殺人者』の新事実 本邦初公開の資料も“
- ^ 「ミッキー吉野 BAND狂時代」『デイリースポーツ』連載、2014年5月14日付(41)
- ^ 轟夕起夫『轟夕起夫の映画あばれ火祭り』河出書房新社、2002年、239頁。
- ^ a b 『週刊朝日』(朝日新聞出版) 1977年1月28日号、31頁。
- ^ a b 山根貞男「面白くなるゾ! 日本映画 変貌する日本映画界 新しい映画的感性がどう飛翔するか これからを担う気鋭監督たち 80年代、主な監督のデビュー作と日本映画界(※劇映画で16ミリ作品を除く)」『シティロード』1989年9月号、エコー企画、26–27頁。
- ^ “呉勝浩×有栖川有栖 初対談! 「だからミステリーは面白い!」”. CREA. 文藝春秋 (2023年5月5日). 2025年9月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年9月7日閲覧。
- ^ 野沢尚のミステリードラマは眠らない - 電子書店パピレス
- ^ 公開記念 監督・プロデューサーが語る『ハナミズキ』ができるまで
- ^ vol.21 映画「フライングラビッツ」 瀬々敬久監督 | 10Questions
- ^ 【イケメン発掘調査隊】第58回『悪の教典』浅香航大 - シネマトゥデイ
- ^ 「撮影現場訪問 逆噴射家族」『キネマ旬報』1984年4月下旬号、138頁。
- ^ 「観ずに死ねるか!傑作青春シネマ邦画編」出版記念特集上映会 6/5(木)上映「狂い咲きサンダーロード」トークレポート
- ^ 青春の殺人者
参考文献
- 鈴木隆『俳優 原田美枝子 映画に生きて生かされて』毎日新聞社、2011年。ISBN 9784620320854。
- 平山秀幸『呑むか撮るか 平山秀幸映画屋(カツドウヤ)街道』ワイズ出版、2016年。ISBN 9784898303023。
関連項目
外部リンク
固有名詞の分類
- 青春の殺人者のページへのリンク