下田市とは? わかりやすく解説

しもだ‐し【下田市】

読み方:しもだし

下田


下田市

読み方:シモダシ(shimodashi)

所在 静岡県

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

下田市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/04/07 08:45 UTC 版)

しもだし 
下田市
下田港と下田市街地
下田市旗
1958年12月20日制定
下田市章
1958年12月22日制定
日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 静岡県
市町村コード 22219-4
法人番号 8000020222194
面積 104.38km2
総人口 17,898[編集]
推計人口、2026年3月1日)
人口密度 171人/km2
隣接自治体 賀茂郡南伊豆町河津町松崎町
(以下、海上を隔てて隣接)
東京都:大島町
市の木 オオシマザクラ
市の花 アジサイ
下田市役所
市長 松木正一郎
所在地 415-8501
静岡県下田市河内101番地の1[1]
北緯34度40分46秒 東経138度56分43秒 / 北緯34.67953度 東経138.94531度 / 34.67953; 138.94531座標: 北緯34度40分46秒 東経138度56分43秒 / 北緯34.67953度 東経138.94531度 / 34.67953; 138.94531
市庁舎位置
外部リンク www.city.shimoda.shizuoka.jp

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町・村

ウィキプロジェクト

下田市(しもだし)は、伊豆半島南部に位置する静岡県都市。明治以前は旧伊豆国賀茂郡

概要

江戸時代江戸 - 大坂間あるいは西廻海運の風待ち湊として栄え、「伊豆の下田に長居はおよし、縞の財布が空になる」(下田ぶし1番)と唄われた。東海道三島宿から伊豆半島中央部を南北に縦断する下田街道の終点。僧行基発見とされる蓮台寺温泉などがあり、総称して下田温泉と称している。

1854年(嘉永7年)、日米和親条約が締結されると、箱館北海道函館市)とともに開港(下田は即時開港)。吉田松陰のアメリカ渡航失敗、ロシア使節エフィム・プチャーチン提督率いるディアナ号の遭難、アメリカ総領事タウンゼント・ハリス唐人お吉、商業写真の祖下岡蓮杖など、数々のエピソードを生んだ。

1926年初出の川端康成伊豆の踊子』や1928年初出の十一谷義三郎唐人お吉』といった小説のヒットが下田観光の起爆剤となり、加えて1933年の東京湾汽船(現・東海汽船)の客船就航や伊豆循環道路東海岸線伊東 - 下田線の完成による交通網の整備により、観光客が数多く訪れるようになった。さらに、1961年12月の伊豆急行線伊東駅 - 伊豆急下田駅間)開業に伴い、東京からの直通列車が設定され、観光客が急増した。観光業が町の産業の中心となり、1967年には観光客が500万人を超えた。

その後も、地震や水害など自然災害の影響を受けた年がありながらも、毎年、多くの観光客を迎え入れ、1987年度には観光客数が626万人あまりに達した[2]が、これをピークに以降は減少傾向に転じ[2]バブル崩壊リーマン・ショックが追い打ちをかけた。同時に、1987年下田船渠解散、企業の営業所・寮の統廃合や流通業の変化による消費の分散傾向が、下田を初めとする賀茂郡の中心であった市内経済に打撃を与え、海水浴やイベント中心型観光都市からの脱皮を模索している。

2011年東日本大震災に伴う計画停電、鉄道の運休、観光自粛ムードの広がりにより、観光客数が激減。この影響でホテル、旅館、その他観光関連産業の事業所を中心として、従業員、パート・アルバイトの大量解雇が発生。ハローワーク下田は、空前の人数の求職者、雇用保険手続きの失業者であふれた。観光業に過度に偏った下田市の弱点があらためて露呈した。

地勢

上空から見た下田市街地
上記俯瞰写真範囲の垂直空中写真。
1976年撮影の6枚を合成作成。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)(現・地図・空中写真閲覧サービス)の空中写真を基に作成。

稲生沢川下流の沖積地に中心市街が広がる。市の面積の83%は山林・原野。天城山系から続く急峻な山々と多くの砂浜や入り江を含んだ約47kmに及ぶ海岸線は、美しい景観をみせる。 また、年平均気温は約17℃と温暖で、降水量も年間1900mm余りと多い。 このような気候と急峻な地形条件により、亜熱帯系から亜寒帯系までの幅広い植生を有している。 このため、四季を通して様々な草花や果実が生育し、黒潮の流れる太平洋が育む豊富な海産物とあわせて、魅力のひとつとなっている。下田港9km沖合いの神子元島は、静岡県最南端。 蓮台寺、河内、横川、北湯ヶ野などに古くから温泉がある。

  • 山:下田富士(192m)、武山(200m)、高根山(343m)、婆娑羅山(608m)、松野山(445m)、相ノ山(252m)
  • 河川:稲生沢川(全長20km)、大賀茂川(全長8km)

海域は大小の湾が入り組んでいる。 南海トラフ巨大地震が発生した際には、最大15mの津波が到達することが予想されている。これは静岡県下の市町村で最も高い値(南伊豆町と同値)である[3]

歴史

古代

  • 縄文時代:多くの遺跡により、早い時期から人が住んでいたことが分かる。
    • 縄文時代早期:須崎爪木崎遺跡、田牛上の原遺跡など、海岸に隣接する海岸段丘上に存在することが多い。
    • 縄文時代中期:吉佐美田京山遺跡、柿崎上ノ山遺跡群、河内湯原遺跡、椎原宮の前遺跡など遺跡数が多く、また、大きな集落が営まれていたことが推定される。
  • 古墳時代
    • 4世紀:吉佐美広畑遺跡で集落が営まれる。
    • 5世紀:白浜三穂ヶ崎遺跡[4]、須崎夷子島遺跡[5]で祭祀が行われる。
    • 5-6世紀吉佐美洗田遺跡で祭祀が行われる。
    • 6-7世紀:了仙寺洞窟遺跡で埋葬が行われる[6][7]
    • 7世紀頃:白浜上ノ山洞穴で埋葬が行われる[7]

飛鳥時代から平安時代まで

鎌倉時代から室町時代まで

  • 1334年:6月21日、妙忍により宝篋印塔が建立される。当初は藤原山の塔ノ平に建立、のちに虚空蔵堂・庚申堂傍らへと移建。昭和36年には現在地である河内重福院に移建。昭和63年、県指定有形文化財となる[13]
  • 1399年:平良盛、下田若宮八幡宮(下田八幡神社)に鰐口を施入する。2025年時点で「下田」の地名が確認できる最古の事例。市指定文化財[14]
  • 1449年:『伊豆峯次第』における第65番拝所、井田ヶ崎の心檀堂之岩屋(現下田市美穂ヶ崎の海蝕洞窟)において、走湯権現ないし伊豆山権現(のちの伊豆山神社)の修験者による墨書が残される[15]
  • 1498年:伊勢新九郎(北条早雲)、深根城に立て篭もる足利茶々丸関戸吉信を滅ぼす[16]

戦国時代から江戸時代まで

  • 1601年戸田忠次の子尊次三河移封に伴い下田が天領となる。同年、彦坂元正、伊豆金山奉行に就任。
  • 1606年大久保長安、伊豆金山奉行に就任。
  • 1607年:大久保長安、伊古奈比咩命神社(白浜神社)に鰐口を寄進する。
  • 1616年下田奉行設置。初代下田奉行、今村彦兵衛重長、須崎に遠見番所を設置する。
  • 1623年:遠見番所、大浦に移転。
  • 1636年:遠見番所を改築して船改番所とし、上下の廻船を検問。入津廻船3千艘といわれ繁栄した。
  • 1645年:2代目下田奉行、今村伝四郎正長、自俸を投じて武が浜に浪除堤を普請。
  • 1664年:3代目下田奉行、石野八兵衛、大浦切通しを開削。
  • 1668年:4代目下田奉行、今村伝三郎、町内の水道敷設。
  • 1683年:6代目下田奉行、服部久右衛門、井戸水に切り替え、水道木管を辻の木戸とする。
  • 1688年日向佐土原藩の御手船「日向丸」、将軍家御用材を積んで江戸へ向かう途中遠州灘で嵐に遭い、積荷の御用材の一部を海に捨てて遭難を逃れ下田港に寄港。御用材投棄の責任をとり乗組員16名全員が切腹。大安寺に埋葬され、「薩摩十六烈士の墓」が建立される[17]
  • 1689年:報本寺において山随権現祭幡廻し(市指定無形民俗文化財)[18]が始まる。
  • 1721年:御番所が浦賀に移転。それに伴い下田奉行廃止。浦賀奉行所支配の浦方御用所が置かれる。
  • 1727年:餓人2,151人を出し、1人宛荒麦3号60日分の夫食の救済を仰ぐ。
  • 1755年白浜村の三之助がルソンに漂流後、中国から長崎に送還。その後、同様に下田の清次郎等4名も帰国。
  • 1793年老中松平定信が海防検分のため、伊豆を巡見。
  • 1815年:専修念仏行者徳本が、巡錫。稲田寺、海善寺で説教。
  • 1815年:南京船「永茂」が漂着(翌年、長崎に出航)。
  • 1836年:下田町にうちこわし騒動、25人逮捕。
  • 1842年土屋三余、中村に竹裡塾を開く。
  • 1842年下田奉行再置宝福寺に仮奉行所を設置。
  • 1843年:幕府、洲佐里崎および狼煙崎に御台場を築く。沼津藩も三穂ヶ崎に台場を築く[19]。町役人平井平次郎『下田年中行事』編纂[20]
  • 1844年:幕府、洲佐里崎台場および狼煙崎台場を廃止。のち、下田奉行廃止

幕末

下田での上陸『ペリー提督・日本遠征記』
ペリー軍隊分列式の図・了仙寺『ペリー提督・日本遠征記』
ペリー来航記念碑

明治期

18が町村制施行時の下田町。(15.稲梓村 16.稲生沢村 17.浜崎村(のちに北部が白浜村として分離) 19.朝日村)
  • 1868年(明治1年):伊豆韮山県と一部菊間藩などの支配となる。
  • 1869年(明治2年):稲生沢、下田、稲梓に打ちこわし事件が起こる。
  • 1870年(明治3年):神子元島灯台完成。※現存する日本最古の現役灯台(国の史跡に指定)。
  • 1871年(明治4年):韮山県廃止により伊豆足柄県の管轄となる。
  • 1872年(明治5年):7月、下田郵便局設置される。
  • 1873年(明治6年):新民学校など、小学校が各地に創立される。
  • 1874年(明治7年):上大賀茂村と下大賀茂村が合併。大賀茂村となる。7月、下田警察署創置される。
  • 1875年(明治8年):岡方村、下田町に吸収合併。上大沢村と下大沢村合併、大沢村に。
  • 1876年(明治9年):足柄県廃止、伊豆国静岡県に編入、静岡県第九大区とす。須郷深山入会地をめぐり、9か村の争論起こる。「馬場七騒動」( - 1882年)。
  • 1877年(明治10年):茅原野村、北野沢村、本須郷村、新須郷村が合併、須原村となる。
  • 1878年(明治11年):賀茂郡所属の伊豆諸島は、東京府管轄となる。稲生沢橋(下田橋)が初めて架けられた。タウンゼント・ハリスニューヨークで死去。
  • 1879年(明治12年):大小区制廃止、郡制施行。賀茂那賀郡役所設置(宝福寺が仮庁舎)。私立豆陽学校創立(のちの静岡県立下田北高等学校、現在の静岡県立下田高等学校)。治安裁判所創置。
  • 1883年(明治16年):稲生沢川河口浚渫工事が始められた。
  • 1884年(明治17年):数村を合して戸長役場を置くこととなり、下田、柿崎、須崎、白浜の一町三村の役場を下田に置いた。下田沖に漂着したアメリカ船の船員により、「こっくりさん」が日本に伝えられたといわれる。
  • 1888年(明治21年)4月:下田銀行設立。
  • 1889年(明治22年):市町村制施行、自治制が定められた(今までの戸長、人民惣代、什長等の制度を廃して町長、助役、収入役、書記を置いた)。下田町稲梓村稲生沢村浜崎村朝日村となる。
  • 1890年(明治23年):斎藤きち(唐人お吉)、稲生沢川門栗で溺死(享年50)。稲生沢橋を改造し、下田橋と称す。
  • 1892年(明治25年):新民学校を下田尋常高等小学校と改称。
  • 1894年(明治27年):下田消防組設置。
  • 1895年(明治28年):下田町役場新築。
  • 1896年(明治29年):浜崎村より白浜村分立。那賀・賀茂郡廃止。新賀茂郡は、城東村宇久須村以南に郡域変更。
  • 1897年(明治30年)6月:下田信用組合設立。
  • 1898年(明治31年):9月22日、下田船渠合資会社設立。
  • 1899年(明治32年):3月13日、下田倶楽部、下田町の青年有志により発会。郡立中学豆陽学校設置。
  • 1900年(明治33年):11月、稲生沢銀行設立。
  • 1901年(明治34年):城山公園を開く。武ヶ浜に防風林として松を植栽。神子元島を下田町に払下げ。
  • 1902年(明治35年)11月11日:下田船渠(株)設立。
  • 1904年(明治37年):下田伝染病舎竣工。
  • 1905年(明治38年):天城新道完成。東京湾汽船、豆州共同汽船会社を吸収し、伊豆から東京への航路を独占。5月、町立女子技芸学校設立。
  • 1906年(明治39年):下田橋改修。
  • 1907年(明治40年)6月:岩崎吉太郎、南豆電氣(株)設立。
  • 1908年(明治41年):河津川水力電気(株)創立。10月21日、吉田松陰五十年祭、下田八幡神社で開催。11月1日、下田町役場主催の開港五十年祭(五十回忌大法会)、玉泉寺で開催。
  • 1911年(明治44年)1月1日:河津川水力電気(株)開業。4月5日、賀茂郡役所新築。9月22日より、都新聞にて信田葛葉「洋妾(らしゃめん)物語」連載(10月22日まで)[21]。※唐人お吉を題材とした最初の文学作品。
  • 1912年(明治45年・大正元年):4月6日、城山御料林が国からの払下げを受け下田町有林となった。現在の下田公園(同時に狼煙崎、赤根島、犬走島、みさご島等も払下げを受ける)。6月17日、下田橋が洪水で流失。足立鍬太郎、賀茂郡立豆陽学校長に着任。

大正期から昭和期・第二次大戦終戦まで

大正期の下田市街
  • 1913年大正2年):1月、信田葛葉「薔薇娘」刊行[21]。※前述の「洋妾物語」の単行本化。5月18日、前年に洪水で流失した下田橋を再び架橋。
  • 1914年(大正3年):3月3日、下岡蓮杖死去。6月19日、「伊豆鏡」刊。7月28日、「南豆風土誌」刊行。
  • 1915年(大正4年):2月28日、下田自動車(株)、開業(静岡県史年表)。4月29日、下田町町會で下田町の紋章を制定。戦後、6か町村合併により発足した下田町もこの紋章を採用し、市制施行後も引き継がれ、現在に至る。
  • 1916年(大正5年):2月20日下田自動車(株)設立。3月23日、下田 - 大仁間路線運行開始(静岡県史年表)。
  • 1917年(大正6年):蓮台寺に、久原鉱業(株)河津鉱業所を開設。12月、須崎町より出火し武ヶ浜類焼する。焼失家屋82戸。
  • 1918年(大正7年):9月18日、南豆馬車鉄道(株)設立(蓮台寺 - 武ヶ浜間)※静岡県史年表。下田町青年団創立。
  • 1919年(大正8年):東洋練乳設立(その後、森永乳業)。豆陽中学校、県へ移管。
  • 1920年(大正9年):3月1日、蓮台寺鉱山鉱夫スト。全国鉱夫同盟会蓮台寺支部発会。4月、郡立賀茂高等女学校開校(のちの静岡県立下田南高等学校、現在の静岡県立下田高等学校)。
  • 1922年(大正11年):5月27日、下田港、国指定港湾となる。11月、東京湾汽船、清水 - 下田間航路開設(静岡県史年表)。郡立賀茂高等女学校が県へ移管、県立下田高等女学校となる。
  • 1923年(大正12年):9月1日、関東大震災。下田にも津波が到来、下田町や白浜村等で床上浸水・家屋の全半壊等の被害あり。12月、稲生沢銀行が下田銀行に吸収合併。
  • 1924年(大正13年):10月1日、森斧水(森一)を筆頭とする豆陽中学の同窓生有志らが雑誌「黒船」を創刊。
  • 1925年(大正14年):開国70年。3月、下田 - 神津島間無線電信局開局。4月、のちの下田幼稚園の前身となる「華の園」開園。4月16日、エドガー・バンクロフト駐日米国大使がハリスゆかりの場所を訪ねるべく、下田を訪問。村松春水、雑誌「黒船」に唐人お吉について発表。
  • 1926年(大正15年・昭和元年):3月10日、「下田之友」創刊。9月、入間村(現在の南伊豆町入間)のニール号遭難事故慰霊塔に墓参に訪れたポール・クローデル駐日仏大使が来訪。
  • 1927年(昭和2年):9月、下田公園循環道路が和歌の浦まで完成。10月、玉泉寺にハリス記念碑建立、除幕式。下田町、武ヶ浜塵芥捨場に衛生上の問題が多く、芥焼場を敷根に設置。
  • 1928年(昭和3年):1月、昭和自動車創業(のちの伊豆下田バス)。5月13日、下田公園内にて下岡蓮杖翁碑除幕。雑誌「中央公論」昭和3年11月号にて十一谷義三郎「唐人お吉」掲載。
  • 1929年(昭和4年):5月、河津川水力電気(株)は東邦電力の傘下に入る。6月29日より、東京朝日新聞夕刊にて十一谷義三郎「時の敗者 唐人お吉」の連載を開始(10月6日まで、延べ64話)。7月13日、田方・賀茂郡町村長会、河津川水力電気(株)電灯料値下げ第1回交渉を元賀茂郡役所で開始。8月、真山青果脚本による「唐人お吉」が歌舞伎座で初演、市川松蔦がお吉を演じた。循環道路第2期工事(赤根島まで)完成。10月、下田婦人会創立。10月2日、下田町役場新庁舎落成式。10月24日、世界恐慌始まる。11月3日、第1回町民体育大会開催。11月17日、東京航空輸送社が水上機による東京 - 下田間の定期航空路開設。
  • 1930年(昭和5年):3月29日より、東京朝日新聞夕刊にて十一谷義三郎「時の敗者 唐人お吉【続篇】」の連載を開始(6月4日まで、延べ40話)。5月21日、武山閣開設。11月、下田町で初めての水道給水開始(毎日数時間、共用栓27箇所)。
  • 1931年(昭和6年)4月1日:東京航空輸送社、東京 - 下田 - 清水間の定期航空路開設。7月16日、東京湾汽船の貨物船「次郎丸」、大工町河岸にて爆破。焼死者2名。
  • 1932年(昭和7年)3月:下田銀行、伊豆銀行に吸収合併(その後、伊豆銀行も1943年(昭和18年)6月に静岡銀行に吸収合併)。9月11日、了仙寺境内に綿吉当主で元下田町長の鈴木吉兵衛の銅像を建立(その後、太平洋戦争に伴う金属供出により撤去)。11月11日、下田自動車、東海自動車に吸収合併。
  • 1933年(昭和8年)3月:森永練乳(株)下田工場設立。東京湾汽船「葵丸」、東京 - 大島 - 下田航路に就航。伊豆循環道路東海岸線伊東 - 下田間完成。4月21日、須崎の三井財閥別荘[注釈 1]敷地内に三井海洋生物学研究所[22]落成。6月11日、鍋田海岸に、東京文理科大学(現筑波大学)附属下田臨海実験所開設。南豆馬車鉄道、旅客営業休止。
  • 1934年(昭和9年):4月、下田幼稚園、町に移管。4月20日 - 5月3日にかけて開港80周年記念として第1回「黒船祭」挙行、ジョセフ・グルー駐日米国大使らを来賓に迎える。
  • 1935年(昭和10年):東京湾汽船「橘丸」、東京 - 大島-下田航路に就航。下田温泉(株)、河内から下田に引湯。
  • 1937年(昭和12年):8月、豆陽中学校プール竣工。8月9日、県、満州農業移民対策協議会開催。下田港新岸壁完成。
  • 1938年(昭和13年)9月18日:賀茂青年団員約40人、ヒトラーユーゲント派遣団一行と伊豆大島三原山頂で交歓会。
  • 1939年(昭和14年):4月、第6回黒船祭に米海軍重巡洋艦アストリア号の乗組員80余名が特別参加。7月12日、河津鉱山で朝鮮人労働者が争議。
  • 1941年(昭和16年):黒船祭中止。5月、河津川水力電気(株)は近隣の伊豆水力電気・伊東水力電気・狩野川水力電気と合併し、伊豆合同電気に改組。伊豆地方豪雨により、下田町浸水250戸、須崎鉱山浸水で閉鉱。
  • 1942年(昭和17年):伊豆合同電気、関東配電に統合(その後、関東配電は1951年(昭和26年)5月、電気事業再編成令により東京電力として発足)。賀茂教育会、柿崎の三島神社(柿崎神社)に吉田松陰像を建立(保田龍門作)。
  • 1943年(昭和18年):県下で米英思想撃滅運動。下田はアメリカの影響が特に強い地域として目をつけられ、黒船やお吉にちなんだ絵葉書、掲示、歌集などがことごとく禁じられた。
  • 1944年(昭和19年):雑誌「黒船」がこの年の3月号を最後に廃刊。11月頃から下田にも空襲や艦砲射撃による被害が相次ぐ。
  • 1945年(昭和20年):3月、藤沢海軍航空隊より派遣された14歳の海軍特別年少兵延べ二百数十名が、柿崎地内で特殊潜航艇海龍」・特攻艇「震洋」等の格納壕造営に従事。現在の「ハリスの小径」周辺に遺構がある。同月、海軍第一六突撃隊(第一六嵐部隊)、陸軍潜水輸送隊がそれぞれ下田に配備。7月、 第五七震洋隊が和歌の浦に配備。8月13日、第六海龍隊が下田に配備。8月13日未明、陸軍潜水輸送隊8号艇(いわゆる「まるゆ」)が鍋田浜沖に停泊中、空襲に遭い撃沈。乗組員のうち10名が戦死。8月15日、終戦。しかし前述の第一六嵐部隊はその後も徹底抗戦を訴え、デモ行進や町内各所にポスターを貼付するなどの行動に出たが、8月25日に武装解除のうえ撤収した。

第二次大戦後から昭和末期まで

  • 1946年(昭和21年):8月、南豆馬車鉄道、貨物営業休止。
  • 1947年(昭和22年):7月、1941年(昭和16年)より中断されていた黒船祭が、通算第8回として復活。
  • 1948年(昭和23年):7月、賀茂商工会議所設立(現在の下田商工会議所の前身)。
  • 1949年(昭和24年):4月、下田中学校開校。
  • 1950年(昭和25年):1月20日、下田町立図書館開館。
  • 1951年(昭和26年):下田保育所開所。6月9日、了仙寺と玉泉寺が、ともに国の史跡に指定。
  • 1952年(昭和27年):6月、下田信用組合が信用金庫法により下田信用金庫として改組。
  • 1953年(昭和28年):5月、開国100年の節目を迎えて開催された第14回黒船祭の席上において、下田公園内に建立された開国記念碑の除幕式を挙行。
  • 1954年(昭和29年):10月20日、現在の「広報しもだ」の前身となる「下田町報」創刊。12月1日、白浜村板戸から下河津村浜までの有料道路縄地道路が完成。現在の国道135号の一部。
  • 1955年(昭和30年):3月15日、富士箱根国立公園に伊豆半島が編入され、富士箱根伊豆国立公園となる。3月31日、下田町、浜崎村、白浜村、稻梓村、稻生澤村及び朝日村の6か町村合併、改めて下田町が発足。
  • 1956年(昭和31年):8月、下田電気ラジオ商組合が武山にアンテナを立てて在京テレビ局の放送波を受信、町内の64世帯にケーブルを敷設して配信を始める(のちのSHKの前身)。
  • 1957年(昭和32年):東本郷に新町役場完成(4月1日より業務開始)。11月28日、下田町武ケ浜から同町白浜を経て下河津村浜に至る道路が整備され、12月12日より前述の縄地有料道路を含め有料道路下田道路として開通。現在の国道135号の一部。
  • 1958年(昭和33年):5月17日、第19回黒船祭における式典の席上で、下田町とペリーの出身地であるアメリカ・ロードアイランド州ニューポート市との姉妹都市提携成立を宣言。6月5日、新下田橋完成。8月13日、羽田発名古屋行き全日空ダグラス DC-3が下田沖に墜落(全日空下田沖墜落事故)。乗客30人、乗員3人全員死亡。10月1日、下田町国民健康保険実施。
  • 1959年(昭和34年):3月31日、日本鉱業(株)河津鉱業所が操業停止。4月、賀茂商工会議所は下田商工会議所と改称。
  • 1960年(昭和35年):4月、当時の鈴木貞雄町長ら一行がニューポート市を初訪問。この年は日米修好100周年の節目であった。
  • 1961年(昭和36年):2月、下田電気ラジオ商組合による在京テレビ局の区域外再送信事業を加入者有志による自主経営に切り替え、任意組合下田テレビ協会(SHK)として再出発。10月20日、伊豆急行伊豆急行線の伊東 - 伊豆急下田間全線完工。11月1日、下田ロープウェイ開業。12月10日、伊豆急行線営業開始。同時に、国鉄の準急「伊豆」「おくいず」が伊豆急下田駅まで乗り入れ開始。
  • 1962年(昭和37年):1月、伊豆下田農協設立。3月、東海汽船の下田 - 伊豆諸島航路に貨客船「あじさい丸」が就航。6月3日、北海道音更町十勝川温泉と姉妹温泉の観光提携。8月24日、三宅島が大噴火。8月29日、三宅島の島民が東海汽船で下田町へ避難。
  • 1963年(昭和38年):12月、国鉄の準急「あまぎ」が伊豆急下田駅まで乗り入れ開始。
  • 1964年(昭和39年):柿崎武山地先の公有水面埋め立て(昭和40年1月14日竣工認可。現在の外ヶ岡地区)。10月1日、準急「伊豆」が急行へ格上げ。
  • 1965年(昭和40年)10月:国鉄の準急「おくいず」が「あまぎ」に統合。
  • 1966年(昭和41年):3月、国鉄の準急「あまぎ」が急行に格上げ。5月7日、群馬県沼田市と姉妹都市提携。9月1日、SHKが工事等による停電波を事前に予告する目的で自主放送を開始。12月16日、下田船渠(株)武ガ浜工場に1,000トン船台完成。
  • 1967年(昭和42年):3月20日、下田海中水族館開業。4月25日、前述の有料道路下田道路が東伊豆道路(河津町浜 - 東伊豆町片瀬 - 伊東市八幡野)の一部に編入される。現在の国道135号の一部。7月4日、下田町消防署庁舎落成。9月15日、第1回日米関係民間会議下田会議)開催(於:下田東急ホテル)。会議の開催に反対する複数の団体が町内で抗議デモを起こした。
  • 1968年(昭和43年):3月31日、南豆衛生プラント落成。4月3日、八百半デパート下田店開業。6月、じん芥処理場、現在地に移転。10月、国鉄の急行「あまぎ」を廃止すると同時に急行「おくいず」運行開始。11月1日、第1次住居表示実施(一丁目、二丁目、三丁目の一部)。
  • 1969年(昭和44年):4月25日、国鉄の特急「あまぎ」運行開始。9月1日、第2次住居表示実施(三丁目の一部、五丁目、六丁目)。
  • 1970年(昭和45年):2月1日、下田青年会議所創立。5月1日、第3次住居表示実施(柿崎、武ガ浜)。5月6日、落合浄水場竣工。下田町漁協設立。11月28日、SHKが「下田有線テレビ放送」の社名で株式会社に改組。
  • 1971年(昭和46年):1月1日、市制施行で下田市発足、県下19番目の市。6月、下田公園にて第1回「あじさい祭」開催。11月5日、須崎御用邸完成。
  • 1972年(昭和47年):1月、下田船渠、大野造船、下田造船が合併。2月22日、昭和天皇香淳皇后が完成間もない須崎御用邸を初訪問。4月5日、武ガ浜 - 柿崎に渚ライン開通。7月、小林テレビ設備(有)設立。10月、下田船渠(株)武ガ浜新工場完成(3,000トン船台。その後、同年12月に4,300トン、昭和48年10月に5,000トン、昭和49年10月に7,500トンに、それぞれ拡張)。11月15日、学校給食共同調理場、浜崎小学校敷地内に完成。
  • 1973年(昭和48年):1月11日、下田市観光キャッチフレーズとして一般公募25,021点の中から「伊豆の太陽」が特選として採用される[注釈 2]。1月21日、第1回下田・河津間駅伝競走大会開催。4月30日、本郷地区住居表示実施(東本郷1-2丁目、西本郷1-3丁目、敷根、高馬)。11月、市議会で「伊豆急ショッピングセンター建設に反対する請願」を採択。12月、市が下水道計画を発表。浄化センターは柿崎赤崎海面埋立を予定。地元柿崎地区が反対。
  • 1974年(昭和49年):1月4日、石油危機の影響により市役所に物資対策本部設置。5月9日、伊豆半島沖地震。建物や商品などに大きな損害。市内被害額およそ20億円。この影響により同月開催予定だった第35回黒船祭は中止。
  • 1975年(昭和50年):第36回黒船祭に、当時のニューポート市長ハンフリー・J・ドネリー夫妻が参加。ニューポート市長の訪問はこれが初めて。10月8日、稲梓、稲生沢を中心に集中豪雨。死者4人、床上浸水600余戸の大被害。災害救助法発動。10月28日、山口県萩市と姉妹都市提携。
  • 1976年(昭和51年):3月、国鉄の急行「おくいず」を急行「伊豆」に統合。7月11日、集中豪雨。死者5人、床上浸水1,200戸。道路寸断、伊豆急不通、交通網が遮断されたため孤立状態となった観光客6,000人余を、船舶延べ21隻を動員して下田港から伊東港や熱海港へピストン輸送。10月9日、再び集中豪雨が発生。床上浸水10戸、床下浸水39戸[23]
  • 1977年(昭和52年):4月20日、伊豆急下田駅前に、伊豆急ショッピングセンター「サンプラーザ」(現、東急ストア下田店)開店。初日、1万5千人の人出。10月4日、東海汽船・神津島村・新島村などの出資により神新汽船設立。
  • 1978年(昭和53年):1月14日、伊豆大島近海の地震。この影響で伊豆急行が伊豆稲取 - 河津間で不通となる。3月1日、神新汽船が東海汽船の下田 - 伊豆諸島航路を引き継ぎ、東海汽船の貨客船「あじさい丸」にて運航開始。6月14日、伊豆急行が全線運転再開。6月22日、集中豪雨により、南豆各地で浸水、土砂崩れ被害。
  • 1979年(昭和54年):6月27日、カーター米大統領が来下。下田中学校の体育館を会場にタウンミーティングを開催するとともに、市内中心部でパレードを行った。
  • 1981年(昭和56年):10月1日、国鉄の特急「あまぎ」と急行「伊豆」を統合し、特急「踊り子」として運行開始。
  • 1982年(昭和57年):4月1日、 有料道路だった東伊豆道路がこの日より無料開放。現在の国道135号。4月、下田市議会臨時会において、当時の駐日米国大使マイケル・マンスフィールドに特別名誉市民の称号を贈ることを前提とした、名誉市民条例の一部改正案が成立。同時に本人にも贈呈について打診していたが、「本国国務省の『大使在任中は栄典の類を受けてはならない』との意向による」との理由で辞退の申し出があった。
  • 1983年(昭和58年):4月、富山県砺波市の提唱により発足した「フラワー都市交流連絡協議会」に、山形県長井市・鹿児島県和泊町とともに参加。11月22日未明、下田八幡神社の本殿が火災により全焼。のちに出火原因が放火によるものと判明、容疑者逮捕。
  • 1984年(昭和59年):3月17日、中島橋交差点から了仙寺前に至る下田マイマイ通り(市道平滑中島線)開通式。この年より、ニューポート市でも「黒船祭」と称して催事を開始。下田市からも友好使節団が派遣されている。
  • 1985年(昭和60年):3月23日、「下田ワイワイ」開催。町おこしの一環として市内の企業・経済団体・官公庁などが市民総参加の祭りを創出すべく実行委員会を発足させて実施。
  • 1986年(昭和61年):2月17日、県下田総合庁舎、新築落成。8月10日、下田八幡神社の本殿が再建。11月21日、伊豆大島三原山噴火、全島民が島外へ避難。都内とは別に伊豆半島東岸の自治体にも島民受け入れの要請があり、下田市は島民280人余りを受け入れた[24]
  • 1987年(昭和62年):8月、浄化センター用地埋立工事着手、11月27日、下田船渠解散決議、138人の従業員全員解雇。11月30日、同労組が職場占拠。
  • 1988年(昭和63年):1月、下田船渠、労組が自主生産開始。2月9日、神新汽船「あじさい丸」引退。2月26日、「あじさい丸」の後継船として「あぜりあ丸」が就航。9月16日、下田船渠の元従業員らにより新下田ドック(株)設立。10月より操業開始。12月、マイケル・マンスフィールドが同月をもって駐日米国大使を離任するのに合わせ、下田市議会定例会にて特別名誉市民の称号を贈る決議を採択。翌年3月に駐日アメリカ大使館を通じて称号記と特別名誉市民章が贈られた。

平成期

  • 1989年(平成元年):4月26日、下田市民文化会館開館。5月、第50回黒船祭開催、あわせて記念誌が発刊された。7月、浄化センター用地埋立工事完了。
  • 1990年(平成2年):4月28日、JR東日本の特急「スーパービュー踊り子」の運行開始。10月1日、伊豆下田農協、伊豆東農協、南伊豆町農協、西伊豆農協の合併により、伊豆太陽農協設立。
  • 1991年(平成3年):9月10日、伊豆半島南部集中豪雨。
  • 1992年(平成4年):5月、浄化センター処理開始。須崎地区一部下水道供用開始。
  • 1993年(平成5年):8月31日、新下田ドック(株)、解散。12月、桧沢林道沿いの産業廃棄物処理施設からの公害被害が広がる。
  • 1994年(平成6年):ペリーロードが第7回静岡県都市景観賞で最優秀賞(静岡県知事賞)を受賞[25]
  • 1995年(平成7年):10月、桧沢林道沿いの産廃埋立処分場で火災(翌月にも隣接する事業者の処分場で火災)。
  • 1996年(平成8年):5月、桧沢の産廃施設で火災。7月、「自然破壊と廃棄物公害を防止する住民連合会」が発足、産廃公害に反対する住民運動が始まる。
  • 1997年(平成9年):7月11日、静岡県のテクノスーパーライナー希望」、清水港-下田港間を結ぶカーフェリーとして就航。10月、南伊豆町湊の国立湊病院が、下田市と賀茂郡5町1村[注釈 3](当時)により設立された共立湊病院組合に移譲され「共立湊病院」として開院。
  • 1998年(平成10年):8月12日夜、桧沢の産廃焼却場の上空に敷設の東京電力の送電線が断線し、南伊豆町一帯で大規模停電事故発生。27時間あまりかかって翌13日夜に復旧。9月、桧沢の産廃埋立処分場の実質的経営者ら4人が逮捕。無許可で産廃を埋め立てた疑い。10月2日、下田市議会において、市民グループから2,842人の署名により直接請求された「下田市における『外ヶ岡交流拠点[注釈 4]』(リープロ施設)建設の是非を問う住民投票に関する条例の制定について」を反対多数で否決(賛成3、反対14)。
  • 1999年(平成11年):4月、桧沢の産廃焼却施設事業者の産廃収集運搬業・同処分業、特管産廃収集運搬業・同処分業の各許可取消。9月2日、下田港沖にて防波堤建設工事中、特殊潜航艇海龍」が海底で発見される[26]。12月31日、「伊豆新世紀創造祭」が「チェンジ伊豆2000!」を愛称として開幕。「伊豆ワカガエル大作戦」をスローガンに伊豆各地で各種イベントを開催(2001年1月1日まで)。
  • 2000年(平成12年):9月、7月から続く三宅島の噴火に伴い全島民が島外へ避難。下田市には、主に漁業関係者が、保有する漁船とともに避難してきた[27]。11月15日、前述の「外ヶ岡交流拠点」が「ベイ・ステージ下田」の名称で開館。
  • 2001年(平成13年):8月10日、下田市と賀茂郡5町1村(当時)とで「賀茂地区合併問題調査検討会」を設置[28]。翌2002年(平成14年)5月29日には「賀茂地区合併検討委員会」と改める[28]
  • 2002年(平成14年):5月、前年に死去した下田市特別名誉市民で元駐日米国大使のマイケル・マンスフィールドの顕彰碑が下田公園内に建立。10月、下田信用金庫は伊豆信用金庫と合併[29](その後、伊豆信用金庫も2006年(平成18年)年10月16日に三島信用金庫と合併[30])。10月3日、神新汽船「あぜりあ丸」が利島にも寄港を開始。
  • 2003年(平成15年):2月、東伊豆町が合併協議からの離脱を表明[28]、のちに松崎町・西伊豆町・賀茂村も追随して合併協議から離脱し[28]、「賀茂地区合併検討委員会」は3月31日をもって解散した[28]。8月8日、ベイ・ステージ下田が道の駅に登録、「道の駅開国下田みなと[31]」となる。この年、第58回国民体育大会(NEW!!わかふじ国体)の夏季大会・秋季大会が静岡県で開催。下田市では夏季大会の公開競技としてビーチバレー(成年男子)が9月13日から15日にかけて白浜海岸を会場として実施された[32]。10月、下田市・河津町・南伊豆町の1市2町による法定合併協議会を設置するも、12月に河津町が離脱を表明、翌年1月に合併協議会を解散。
  • 2004年(平成16年):下田開港150周年の節目を迎える。6月、南伊豆町議会、下田市・南伊豆町合併協議会の設置議案を否決[33]
  • 2005年(平成17年):4月16日、政府の主催で日露修好150周年記念式典ならびに記念講演会を開催。10月、テクノスーパーライナー「希望」の運航を休止。
  • 2006年(平成18年):10月、伊豆下田バス営業廃止。南伊豆東海バス・新東海バスに事業譲渡。
  • 2007年(平成19年):7月1日、家庭ごみ収集の有料化開始(市指定ごみ袋にごみ収集手数料を設定)[34]
  • 2008年(平成20年):3月末、県立下田北高校と県立下田南高校が閉校。4月1日、両校を統合し、新たに県立下田高校が開校。6月5日、下田市・河津町・南伊豆町・松崎町による「南伊豆地区1市3町合併協議会」発足[35]。7月、ニューポート市で開催の黒船祭に下田市長を団長とする親善訪問団が参加。ニューポート黒船祭が25回目の節目を迎えるとともにニューポート市と下田市の姉妹都市提携50周年を記念して、両市長が署名した友好宣言書をタイムカプセルに封入し埋設。タイムカプセルは姉妹都市提携100周年を迎える2058年に掘り起こして開封されることになっている[36]
  • 2009年(平成21年):南伊豆地区1市3町合併協議に関し、6月に南伊豆・松崎の両町議会において合併関連議案が否決されたことにより、賀茂地区の合併は事実上破綻[37][38]
  • 2011年(平成23年):黒船祭、東日本大震災の影響などにより中止。代わりに市民有志により5月21日・22日にチャリティーイベントが開催された。12月10日、伊豆急行線開業50周年。
  • 2012年(平成24年):5月1日、旧・県立下田南高校跡地に下田メディカルセンター開院(南伊豆町にあった共立湊病院が下田市に新築移転)。5月1日、下田市議会全員協議会において、市内の敷根公園前面(標高約50メートル)を新市庁舎移転先の候補地とする旨の報告あり。
  • 2013年(平成25年):3月8日、下田市議会3月定例会において、新市庁舎移転先について再検討を要するとの見解が示される。
  • 2014年(平成26年):4月、市立下田認定こども園開園。6月、下田市議会全員協議会において、市内敷根の民有地を新市庁舎移転先の候補地とする旨の報告あり。9月30日、SHK小林テレビなど市内をサービスエリアとするCATV事業者が在京キー局のうち4局(日本テレビテレビ朝日TBSテレビフジテレビ)の区域外再送信を終了[注釈 5]。11月18日、神新汽船の「あぜりあ丸」、老朽化により引退。12月19日、前述の「あぜりあ丸」の後継船「フェリーあぜりあ」就航。
  • 2015年(平成27年):5月、第76回黒船祭において下田市PRマスコットキャラクター「ぺるりん」お披露目。12月11日、下田市議会12月定例会において市庁舎の敷根民有地移転の条例改正案を否決。議員定数13人中賛成7人・反対6人で、可決に必要な出席議員の3分の2以上(9名以上)の賛成[注釈 6]を得られなかった。
  • 2016年(平成28年):4月13日、玉川大学と「連携・協力に関する基本協定」を締結[39][40]。6月、下田市長選が2000年以来16年ぶりの選挙戦となる[注釈 7]。7月より市長に就任した福井祐輔が、下田市PRマスコットキャラクター「ぺるりん」について嫌悪感を露わに存在を否定する発言を行い、物議を醸す。9月、市内須崎に完成の新・学校給食センター、同年度2学期の開始に合わせ本格稼働。
  • 2017年(平成29年):2月、下田市議会全員協議会において、市内河内の稲生沢中学校近傍地を新市庁舎移転先の候補地とする旨の報告あり。4月1日、同日付で施行の過疎地域自立促進特別措置法の一部を改正する法律に基づき、下田市の全域が過疎地域の要件に該当する地域として指定される。7月21日、THE ROYAL EXPRESS(ザ・ロイヤルエクスプレス)の運行開始。10月2日、下田市議会9月定例会において、市庁舎を稲生沢中学校近傍地へ移転する旨の条例改正案を否決。議論の中で「市民への説明不足」との指摘があったことから、その後2か月あまりをかけて市民向けの説明会等を実施のうえ、12月7日の12月定例会において再び議題にかけ、採決の結果、議員定数13人中賛成11人・反対2人で、賛成が出席議員の3分の2を超え可決[注釈 6]。12月、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会におけるアメリカ合衆国・サーフィン競技のホストタウンに認定[41]。同じくホストタウンに認定された同じ県内の牧之原市と連携をとって施策を推進していくこととなった[41]
  • 2019年(平成31年):3月15日、県より告示の稲生沢川洪水浸水想定区域図にて、新市庁舎建設予定地は2.2メートルの浸水地域に含まれていることが判明[42]

令和期

  • 2019年(令和元年):5月、第80回黒船祭開催。平成元年に発刊された第50回記念誌を継承し、さらに第50回以降の開催内容を加筆した、第80回記念誌が発刊された。
  • 2020年(令和2年):1月、新市庁舎建設工事の入札が不調に終わる。3月13日、特急「スーパービュー踊り子」の運行終了。翌3月14日、特急「サフィール踊り子」の運行開始。3月16日、黒船祭について新型コロナウイルス感染拡大のため中止を決定した。7月16日、下田市独自の新型コロナウイルス対策「下田モデル」を提唱するとともに、これに基づく具体的行動として「下田ルール」を実施した。「下田モデル」は翌2021年7月に改訂し「新・下田モデル」として運用中。11月、市役所移転事業の延期を表明。新型コロナウイルス感染症の影響による財源不足と計画地の浸水対策で設計の見直しが必要になったことが理由。
  • 2021年(令和3年):1月1日、市制施行50周年。1月14日、市制施行50周年記念式典を下田市民文化会館にて挙行するとともに、その席上において「下田市グローカルCITYプロジェクト」の開始を宣言[43]。3月13日、特急「踊り子」の車両をリニューアルし、あわせて全車両を指定席とした。12月19日、NHK静岡放送局開局90周年ならびに市制施行50周年記念として「NHKのど自慢」を下田市民文化会館にて公開生放送。
  • 2022年(令和4年):1月14日、ともに御用邸を有する神奈川県葉山町ならびに栃木県那須町と「御用邸所在地友好都市協定」を締結。4月1日、少子化の影響に伴い、市内4校の中学校を再編。稲梓稲生沢下田東の3校を下田中学校へ統合。これにより市内の中学校は下田中学校1校のみとなった。4月1日、伊豆太陽農協が県東部地域の各農協と統合し富士伊豆農業協同組合(JAふじ伊豆)として発足。7月から8月の海水浴場開設期間中、白浜大浜海水浴場において、反社会的勢力の資金源のひとつとされる違法営業の貸パラソル業者等の締め出しを目的に、格闘技興行・アイドルの野外イベント・渋谷のハロウィンなどで実績のある都内の警備会社と契約し警備員を現地に投入。
  • 2023年(令和5年):3月、この時点で市内唯一の幼稚園であった下田幼稚園が、市立下田認定こども園への統合により閉園。4月1日、下田市、南伊豆町、松崎町および西伊豆町の1市3町でごみ処理を共同で行うことを目的に「南伊豆地域清掃施設組合」を発足、下田市長が組合管理者をつとめる。7月25日、市役所移転事業の一環として旧・稲生沢中学校校舎を整備・改築する工事の起工式を挙行。7月28日、下田市観光協会事務局窓口にてマンホールカードの配布を開始[44]
  • 2024年(令和6年):4月、旧・稲生沢中学校校舎を活用した市役所新庁舎が完成し、4月21日に記念式典を挙行、4月30日より現庁舎から一部機能を移転し業務開始。9月、吉佐美大浜海水浴場で開催のアロハシャワー(旧・ビッグシャワー)が、本年の開催をもって終了。
  • 2025年(令和7年):1月27日、下田警察署が現庁舎の建て替え工事に伴い、旧・下田東中学校校舎を活用した仮庁舎に一時移転。2027年秋まで同地で業務を行う。2月、市内唯一の産婦人科医院が1月末をもって分娩業務の取り扱いを終了。これにより賀茂地区では出産を取り扱う医療機関が皆無の状態となり、下田市では遠方の産婦人科へ通院する妊産婦向けに交通費・宿泊費の一部負担[45]や救急車による緊急搬送サービス[46]などの対応をとる。3月、以前から下田でさかんなサーフィンを軸としたまちづくりを推進することを目的に「下田市SURF CITY構想」を策定[47]。6月、南伊豆町が南伊豆地域清掃施設組合からの離脱を表明。組合側は再考を求めたものの翻意には至らず。8月、南伊豆地域清掃施設組合の本年度末での解散を表明。

人口

下田市と全国の年齢別人口分布(2005年) 下田市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 下田市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
下田市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 30,318人
1975年(昭和50年) 31,700人
1980年(昭和55年) 31,007人
1985年(昭和60年) 30,209人
1990年(平成2年) 30,081人
1995年(平成7年) 29,103人
2000年(平成12年) 27,798人
2005年(平成17年) 26,557人
2010年(平成22年) 25,013人
2015年(平成27年) 22,916人
2020年(令和2年) 20,183人
総務省統計局 国勢調査より

静岡県内の市でもっとも人口が少ない。市制施行直後の1971年4月1日時点で3万900人余り[48]、多いときは1976年4月1日時点で3万2100人強に達した[48]が、以降は減少傾向に転じ、1992年4月1日時点で3万人を割り[48]、2023年4月1日時点で2万人を割り[48]、現在も人口減少に歯止めがかからない状況が続いている。その間、2017年4月1日には市全域が過疎地域に指定された[49][50]

行政

現職首長

松木正一郎2020年7月5日就任、2期目)

歴代首長

下田町長 - 旧六カ町村合併後の下田町の首長

氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 鈴木貞雄 1955年昭和30年)4月13日 1962年(昭和37年)2月26日 元・東京農業大学講師。1923年・第1回卓球全日本選手権優勝者[51]。帰郷後、家業の旅館経営の傍ら下田町議・静岡県議などをつとめる。旧六カ町村合併前の旧・下田町における最後の町長。2期目の途中で辞任。
2 外岡文雄 1962年(昭和37年)4月10日 1964年(昭和39年)6月1日 元・教諭。旧六カ町村合併前の旧・朝日村における最後の村長。1962年(昭和37年)4月6日に無投票にて初当選するも、1期目の途中で辞任。
3 石井基 1964年(昭和39年)7月5日 1970年(昭和45年)12月31日 2期目の途中で、市制施行に伴い左記の日付にて退任。翌1971年(昭和46年)1月1日より市長として引き続き職務にあたる。

下田市長 - 市制施行後の首長。

氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 石井基 1971年(昭和46年)1月1日 1976年(昭和51年)7月4日 町長時代と合わせて連続3期を務めたのち、任期満了で退任する。
2 青木義男 1976年(昭和51年)7月5日 1984年(昭和59年)7月4日 下田市消防団長、下田市議会議員を経て、1976年(昭和51年)6月27日初当選。2期を務める。
3 池谷淳 1984年(昭和59年)7月5日 2000年(平成12年)7月4日 下田市議会議員を経て、1984年(昭和59年)7月1日初当選。歴代の市長としてはもっとも長い4期を務める。
4 石井直樹 2000年(平成12年)7月5日 2012年(平成24年)7月4日 2000年(平成12年)6月25日初当選。3期を務める。地元出身。2期目・3期目は無投票当選。
5 楠山俊介 2012年(平成24年)7月5日 2016年(平成28年)7月4日 歯科医の傍らNPO法人で町おこしに尽力。2012年(平成24年)6月24日無投票当選。1期を務める。地元出身。無所属。その後、2023年(令和5年)4月23日執行の下田市議会議員選挙に立候補し、当選。
6 福井祐輔 2016年(平成28年)7月5日 2020年(令和2年)7月4日 元自衛官、防衛大学校教授などを歴任。2016年(平成28年)6月12日当選。先々代の市長・石井直樹が初当選した2000年(平成12年)6月25日以来16年ぶりの選挙戦となり、対抗馬として立候補した当時の現職・楠山俊介を破った。1期を務める。現・土佐清水市域の出身。無所属。
7 松木正一郎 2020年(令和2年)7月5日   地元出身。建設会社勤務を経て静岡県職員。2020年(令和2年)6月21日、当時の現職・福井祐輔を大差で破り初当選。2024年(令和6年)6月23日、三つ巴の選挙戦を制し再選を果たす。

市議会

  • 定数:13名(2023年(令和5年)4月23日執行の下田市議会議員選挙において選出[52]
    • 2024年(令和6年)6月、このうちの1名(女性)が下田市長選挙に立候補したため自動失職[53]。1名欠員の12名(男性11名・女性1名)で運営している。
  • 任期満了日:2027年(令和9年)4月29日[54]
  • YouTube「下田市議会公式チャンネル」:https://www.youtube.com/channel/UC0r97thOds0s77hspuHe8Fw

市庁舎

下田市役所東本郷庁舎(旧本庁舎)

1957年(昭和32年)に建造した当時の下田町役場庁舎を市制施行後も引き続き市庁舎として使用していたが、2009年(平成21年)頃から庁舎建て替えの検討が始められ[42]、その後2011年(平成23年)に発生した東日本大震災をきっかけに庁舎の所在地一帯(静岡県下田市東本郷一丁目)が津波浸水想定区域内にあることがクローズアップされたため[42]、市役所自体を安全な箇所へ移転するよう方針転換を余儀なくされた。その後、移転先は紆余曲折をたどった末、2017年(平成29年)に河内にある稲生沢中学校の近傍への移転が決定した[42]が、近くを流れる稲生沢川が洪水を起こした際に最大2.2m浸水するとの想定が県から示された[42]他、2020年(令和2年)には新型コロナ対策による財源不足と前述の浸水対策への対応等により市役所移転計画が延期とされた[42]。2021年(令和3年)、翌年春に閉校を控えていた稲生沢中学校の校舎(鉄筋コンクリート4階建て)の耐震診断を行った結果、建物の健全性が確認されたため、校舎をリノベーションする方針を打ち出し[42]、2023年(令和5年)7月より整備・改修工事に着手、2024年(令和6年)4月30日より市役所新庁舎(河内庁舎)として業務を開始した[1][55]。一方、旧本庁舎(東本郷庁舎)には引き続き一部の課が残って業務を行っているが[1]、河内庁舎敷地内に建設中の新築棟(鉄筋コンクリート2階建て)が完成する2026年をもって旧本庁舎を引き払い、すべての機能が完全移転することになっている[42][56]。なお、完全移転後の旧本庁舎の取り扱いについては、今後、外部の有識者らを委員とする検討委員会を設け、利活用の方向を探るとしている。

  • 河内庁舎へ移転済の組織[57]:総務課(人事係)、財務課、企画課、防災安全課、観光交流課、産業振興課、建設課、議会事務局、監査委員事務局
  • 東本郷庁舎に残留の組織[57]:総務課(総務係・情報推進係)、出納室、市民保健課、福祉事務所、税務課、選挙管理委員会
  • その他の所在地にて執務の組織[57]
    • 教育委員会:四丁目(市立中央公民館[58]内)。2026年の河内庁舎新築棟完成に伴い移転予定。移転後の空きスペースには、同じく四丁目に所在する市立図書館が移る予定。
    • 上下水道課:河内(落合浄水場[59]
    • 環境対策課:敷根(清掃センター[60]

省庁・国の機関

県の機関

  • 静岡県警察 下田警察署(東中)
  • 賀茂危機管理庁舎(敷根)
    • 賀茂地域局[61]
  • 下田総合庁舎[62](中)
    • 下田財務事務所
    • 賀茂保健所
    • 賀茂児童相談所
    • 下田土木事務所
    • 賀茂農林事務所

その他の機関・組織・団体

  • 下田地区消防組合[63][64](六丁目):河津町・南伊豆町・松崎町・西伊豆町と消防事務を共同処理
  • 伊豆斎場組合[64](六丁目):東伊豆町・河津町・南伊豆町と火葬場事務を共同処理
  • 南豆衛生プラント組合[64](敷根):南伊豆町とし尿処理事務を共同処理
  • 一部事務組合下田メディカルセンター[64][65](六丁目):東伊豆町・河津町・南伊豆町・松崎町・西伊豆町と病院事務等を共同処理
  • 公益財団法人 下田市振興公社[66](四丁目・下田市民文化会館内):市民文化会館・敷根公園・下田市民スポーツセンター・まどが浜海遊公園の管理運営

主な公共施設

  • 下田市民文化会館[67](四丁目)
  • 下田市総合福祉会館[68](四丁目)
  • 敷根公園[69](敷根)
  • 下田市民スポーツセンター<サンワーク下田>[70](敷根)
  • 下田市立中央公民館[58](四丁目)
    • 1854年(嘉永7年)、ペリー艦隊の艦船に便乗してアメリカへの渡航を企てて失敗した吉田松陰と弟子の金子重之輔が一時的に拘束されていた場所で、「吉田松陰拘禁之跡」と刻された石碑が建っている[71][72]
  • 下田市立図書館[73](四丁目)
  • 田牛青少年海の家[74](田牛)
  • あずさ山の家[75](須原)※休館中

地区

  • 稲梓(いなずさ)地区 - 旧稲梓村
    • 須原(すはら) - 旧須原村(旧茅原野村・旧北野沢村・旧本須郷村・旧新須郷村)
    • 宇土金(うどがね) - 旧宇土金村
    • 箕作(みつくり) - 旧箕作村
    • 荒増(あらぞう) - 旧荒増村
    • 堀之内(ほりのうち) - 旧堀之内村
    • 落合(おちあい) - 旧落合村
    • 北湯ケ野(きたゆがの) - 旧北湯ヶ野村
    • 椎原(しいばら) - 旧椎原村
    • 相玉(あいたま) - 旧相玉村
    • 横川(よこかわ) - 旧横川村
    • 加増野(かぞうの) - 旧加増野村
  • 稲生沢(いのうざわ)地区 - 旧稲生沢村
    • 河内(こうち) - 旧河内村
    • 立野(たちの) - 旧立野村
    • 蓮台寺(れんだいじ) - 旧蓮台寺村
    • 大沢(おおさわ) - 旧大沢村(旧下大沢村・旧上大沢村)
    • 本郷(ほんごう) - 旧本郷村
      • 高馬(たこうま)
      • 西本郷(にしほんごう)
      • 東本郷(ひがしほんごう)
    • 敷根(しきね)
    • 中(なか) - 旧中村
      • 西中(にしなか)
      • 東中(ひがしなか)
  • 白浜(しらはま)地区
  • 浜崎(はまざき)地区 - 旧浜崎村
    • 柿崎(かきさき) - 旧柿崎村
    • 須崎(すざき) - 旧須崎村
  • 下田(しもだ)地区 - 旧下田町
    • 一丁目
    • 二丁目
    • 三丁目
    • 四丁目
    • 五丁目
    • 六丁目
    • 旧岡方村(きゅうおかがたむら) - 旧岡方村
    • 武ガ浜(たけがはま)- 旧下田町、旧柿崎村
    • 外ケ岡(そとがおか)- 旧6か町村合併後、埋立で生じた土地
  • 朝日(あさひ)地区 - 旧朝日村
    • 大賀茂(おおがも) - 旧上大賀茂村、旧下大賀茂村
    • 吉佐美(きさみ) - 旧吉佐美村
    • 田牛(とうじ) - 旧田牛村

姉妹都市・友好都市等

姉妹都市

  • 沼田市群馬県
    • 毎年8月に開催される「沼田まつり」の名物・迦葉山弥勒寺の日本一を誇る大天狗面と、蓮台寺温泉に伝わる天狗伝説との間に縁があり、弥勒寺の大天狗面が下田温泉の祭りに参加したことを機に市民同士の相互交流が生まれ、姉妹都市提携に発展した。1966年(昭和41年)5月7日提携[76][77]
  • 萩市山口県
    • 1854年長州藩(現:萩市)出身の吉田松陰がアメリカへの密航を企てて下田に入港中の米艦隊に接近、応対に出た乗組員に乗船させてほしいと懇請したものの拒絶された下田踏海事件などの歴史的な縁による。1975年(昭和50年)10月28日提携[76][78]
  • ニューポート市アメリカ合衆国ロードアイランド州
    • 幕末に下田に来航したペリーの出身地。1958年(昭和33年)5月17日、第19回黒船祭における式典の席上で、姉妹都市提携成立を宣言[76]

御用邸所在地友好都市協定

2012年(平成24年)、神奈川県葉山町の町議会議員有志からの「御用邸がある町として友好関係を築きたい」という提案をきっかけとして、栃木県那須町との間で交流が始まり、2021年(令和3年)5月8日、両町で友好都市協定を締結[79][80]。その後、下田市からも申し出があり、翌2022年(令和4年)1月14日に1市2町による「御用邸所在地友好都市協定」を締結した[81][82][83]

フラワー都市交流連絡協議会

1983年(昭和58年)4月、富山県砺波市の呼びかけで花をテーマとしたまちづくりを進める自治体が結集し「フラワー都市交流連絡協議会」が発足。下田市は砺波市・山形県長井市鹿児島県和泊町とともに発足当初から参加しており、2026年(令和8年)現在、下記の9都市が加盟。各都市間の交流を通じて、観光など各種産業や経済の振興、教育文化の振興など魅力ある地域づくりを図ることを目的とし、これまでに交流訪問事業や各都市間の花苗等の交換、交流物産展、東日本大震災被災地へのシンボル花の提供などの活動を行っている[84]。また、加盟自治体持ち回りで毎年総会を開催しており、下田市では1986年(昭和61年)5月17日、1990年(平成2年)6月24日、1998年(平成10年)6月20~22日、2009年(平成21年)6月20~22日[85]、2018年(平成30年)6月17・18日に総会が開催された[86]

  • 中富良野町(北海道):町のシンボル花 - ラベンダー ※1988年(昭和63年)加盟
  • 長井市(山形県):市のシンボル花 - アヤメ
  • 砺波市(富山県):市のシンボル花 - チューリップ
  • 下田市(静岡県):市のシンボル花 - スイセン
  • 大野町(岐阜県):町のシンボル花 - バラ ※1999年(平成11年)加盟
  • 宝塚市(兵庫県):市のシンボル花 - スミレ ※1995年(平成7年)加盟
  • 萩市(山口県):市のシンボル花 - ツバキ ※2002年(平成14年)加盟
  • 久留米市(福岡県):市のシンボル花 - ツツジ ※1988年(昭和63年)加盟
  • 和泊町(鹿児島県):町のシンボル花 - エラブユリ

経済

海水浴・サーフィン・スキューバダイビング・釣りなどのマリンスポーツ、温泉と自然、幕末の開国関連の史跡、海産物が魅力となっている観光業が市の産業の主力。概要欄に記載のとおり、観光客数は1961年の伊豆急行開通を機に増加の一途をたどり、1987年(昭和62年)度には過去最多の626万人あまりを記録したが、これをピークに以降は減少傾向に転じ、1998年(平成10年)度には500万人未満、2000年(平成12年)度には400万人未満、2009年(平成21年)度には300万人未満、2011年(平成23年)度は東日本大震災の影響を受けて対前年度比79.94%の238万人あまりにまで落ち込んだ[2]。翌年度以降は再び増加に転じたものの300万人台を回復するまでには至らず、2020年(令和2年)度には新型コロナウイルス感染拡大の影響により110万人あまりと大幅に減少した。翌年度からは少しずつ客足が戻り、2023年(令和5年)度には209万人弱にまで回復している[87]

観光業以外では水産業もさかんで、キンメダイ、イセエビ、アワビ、サザエ、テングサ等の様々な漁獲物が水揚げされる。とりわけキンメダイの水揚量は年間 900 トンと下田市魚市場の取扱量の 70%以上を占めている[88]。農業は、みかんなどの柑橘類をはじめとして米、わさび、花卉、露地野菜などが栽培されており[89]、収穫物の一部は地元の特産品直売所に出回っているが、大半が自家消費を目的とした小規模な営農である[90]。工業は、下田船渠解散後、零細な食品製造業が大半である。商業は、大規模小売店舗法廃止に代表される各種の規制緩和、道路網の改善や通信販売の発達により、地盤沈下が著しい。

  • 下田市観光協会[91](外ケ岡)
  • 伊豆白浜観光協会[92](白浜)
  • 下田商工会議所[93](二丁目)
  • 伊豆漁業協同組合[94](外ケ岡)
  • 富士伊豆農業協同組合伊豆太陽地区本部(東本郷)

漁業

静岡県管理の漁港

下田市管理の漁港

  • 白浜漁港
  • 外浦漁港
  • 須崎漁港
  • 吉佐美漁港
  • 田牛漁港

情報・通信

新聞社

  • 伊豆新聞 - 伊東市に本社を置く、静岡新聞系列の地方紙。下田市には支社を置き、下田市と賀茂郡5町に下田・賀茂版が流通している。

ケーブルテレビ

電話番号

市外局番は下田市全域が「0558」。単位料金区域が共通(下田MA)となる下田市・賀茂郡河津町・賀茂郡南伊豆町・賀茂郡松崎町・賀茂郡西伊豆町の間では相互で市外局番を省略してのダイヤルが可能。一方、同じ市外局番ながら単位料金区域が異なる伊豆市の一部・伊豆の国市の一部・沼津市の一部(修善寺大仁MA)とは相互の通話に市外局番からのダイヤルが必要である。[95]

郵便

下田市の郵便番号は「415-00xx」および「413-07xx」で、市内全域が下田郵便局の集配区である。このうち「413-07xx」のエリアは2015年まで箕作郵便局の担当区であった。

教育

大学の付属機関

専門学校

高等学校

中学校

小学校

その他

交通

伊豆急下田駅

鉄道

伊豆急行
伊豆急行線
下田ロープウェイ
  • 新下田駅 - 寝姿山駅

路線バス

  • 東海バス
  • 下田市自主運行バス(運行委託先:東海バス)
  • 南伊豆町自主運行バス(運行委託先:東海バス)
  • 下田市コミュニティバス稲梓循環線「いなみん号」[99](運行委託先:伊豆バス

道路

市内の中島橋交差点は、国道135号( - 終点・小田原市)、国道136号( - 終点・三島市)、国道414号( - 終点・沼津市)が集まる3国道の起点となっている[100]

高速道路
須原IC(予定)、下田北IC(予定)、蓮台寺IC(予定)、敷根IC(予定)、下田IC(予定)
国道
県道

港湾・航路

文化財[101]

国指定文化財

有形文化財

  • 長谷寺木造阿弥陀如来坐像
  • 天神社木造大日如来坐像

史跡

天然記念物

県指定文化財

有形文化財

  • 鰐口…慶長12年に伊豆金山奉行として縄地金山の開発に従事していた大久保長安が伊古奈比咩命神社(白浜神社)に寄進したもの。
  • 鰐口…応永30年に十連寺という寺院に寄進され、文明5年に諏訪神社に再寄進されたもの。個人所有の伝来品。
  • 鰐口…応永28年に伊豆国内、おそらくは稲梓地内の寺社に寄進されたもの。個人所有の伝来品。
  • 河内の宝篋印塔

史跡

  • 吉田松陰寓寄処…下田湾内に停泊する黒船に乗り込むことでアメリカへの密航を企てた吉田松陰が、下田港へ向かう途上で数日間滞在した邸宅。かねてより患っていた皮膚病の湯治のために立ち寄った蓮台寺温泉で懇意となった地元の医師の邸宅であり、滞在当時そのままの姿を今に伝えている。

天然記念物

市指定文化財

有形文化財

  • 宝徳院木造不動明王坐像
  • 白浜神社木造薬師如来坐像
  • 稲田寺木造阿弥陀如来坐像
  • 天神社木造四天王像
  • 観音寺木造観音菩薩立像
  • 観音寺木造薬師如来坐像
  • 曹洞院木造薬師如来坐像
  • 曹洞院木造二天立像
  • 鰐口…応永6年に平良盛により下田若宮八幡宮という神社に施入され、元禄13年に現下田八幡神社の裏山から出土したと伝わるもの。2025年現在で「下田」の地名が見える最古の資料。
  • 御正躰…嘉禄元年に忌部能次により若宮という神社に施入され、文化9年に現伊古奈比咩命神社(白浜神社)の裏山から出土したと伝わるもの。
  • 水草双鳥鏡…文化9年に現伊古奈比咩命神社(白浜神社)の裏山から出土したと伝わるもの。
  • 山吹双鳥鏡…文化9年に現伊古奈比咩命神社(白浜神社)の裏山から出土したと伝わるもの。
  • 亀甲地双雀鏡…文化9年に現伊古奈比咩命神社(白浜神社)の裏山から出土したと伝わるもの。
  • 第三代下田奉行石野八兵衛位牌
  • 『下田年中行事』
  • 『寂用禅師語録』
  • 『豆州下田湾之図』
  • 『吉田泰盛寺領寄進状』
  • 『北条家寺中安堵朱印状本覚寺宛』
  • 『北条家寺中安堵朱印状太梅寺宛』
  • 『佐野北条氏忠朱印状』
  • 『安国寺恵瓊奉制札』

有形民俗文化財

  • 仏谷の十六羅漢三十三観音
  • 小白浜三十三観音・エンマ
  • 元理源寺三十三観音

無形民俗文化財

  • 白浜神社の三番叟
  • 落合高根神社の鬼射
  • 報本寺の山随権現祭幡廻し

史跡

  • 洗田遺跡
  • 夷子島遺跡
  • 遠国島遺跡
  • 三穂ヶ崎遺跡
  • 火達山遺跡
  • 金山古代製鉄遺跡
  • 深根城址
  • 下田城址
  • 下田御番所跡
  • 下田奉行所跡
  • 三穂ヶ崎台場遺跡
  • 長楽寺
  • 欠乏所跡
  • 吉田松陰拘禁之跡(長命寺跡)
  • 武ガ浜波除けと今村公勒功碑
  • 戸田忠次の墓
  • 薩摩十六烈士の墓
  • 今村伝四郎等三代の墓

名勝

  • 爪木崎-俵磯海岸
  • タライ岬-釜の浦海岸

天然記念物

旧跡・寺社・観光施設など

旧跡

  • ペリーロード …市内三丁目。平滑川河口から了仙寺に至る川沿いの道。下田条約締結のために稲生沢川河口付近に上陸したペリー艦隊一行が、この道を行進して了仙寺へ向かったとされる。かつては花柳街だった。なまこ壁や伊豆石造りの民家などがあり、風情あるたたずまいを見せる[102]
  • 安直楼…市内三丁目。「唐人お吉」こと斎藤きちが晩年に営んでいた小料理屋跡。きち自身も飲みながら接客していたため、酔った勢いで客と喧嘩することがたびたびあり、悪評が広まって店自体は数年で廃業。その後、建物は別人の手に渡り、所有者が寿司店を開業。下田でも老舗の部類に入る寿司店として100年余り営業してきたが1999年10月1日にて閉店。現在は前述の寿司店経営者の親族が管理しているが、普段は県外に在住しており現地には不在のため、屋内は原則非公開。ただし、きちの命日である3月27日や5月中旬の「黒船祭」などにあわせて年に数回、不定期ではあるが、屋内に風を通す目的で開放され、その際に見学もできる[103]
  • 旧澤村邸…市内三丁目。ペリーロードの一角に建つ邸宅。1915年に建てられ、賀茂地区の政治・経済に多大な足跡を残した澤村久右衛門およびその養子の澤村正三が居住していた。久右衛門は下田船渠(解散)を創業し、下田信用金庫の理事長や東海自動車の取締役などをつとめた他、戦前には当時の下田町議会議員や下田町長に加え静岡県議会議員などもつとめた。久右衛門から家督を継いだ正三も下田市議会議員などをつとめた。下田市内の旧家によく見られる「なまこ壁」を施した母屋と、伊豆石を用いた蔵が、いずれも良好な状態で保存されている。1985年に下田市歴史的建造物の指定を受けた後、2008年に澤村家から下田市へ寄贈。2010年から2011年にかけて耐震改修ならびにリノベーションを実施し、2012年より観光交流拠点として使用されている。入場無料、水曜日定休日(水曜日が祝日と重なる場合は翌日が定休日)。なお、母屋2階は地元芸者衆の稽古場として使用されているため、立ち入りおよび見学は1階部分のみ。また、母屋裏手の蔵はギャラリーとして写真展などに活用されている[104]
  • ハリスの小径…下田湾の柿崎にある遊歩道。太平洋戦争末期に造営された特攻艇「震洋」等の格納壕跡がある[105]
下田海中水族館

博物館施設

神社

寺院

  • 宝福寺…一丁目。唐人お吉菩提寺。唐人お吉記念館あり。
  • 稲田寺…一丁目。境内にお吉の恋人鶴松の墓、安政大地震の供養塔「津なみ塚」[106]
  • 海善寺…一丁目。戸田忠次の陣屋跡地と伝わる。14代将軍徳川家茂が一時滞在。
  • 了仙寺…三丁目。国指定史跡。下田条約締結の地。5月になると境内に植栽しているアメリカジャスミン(ニオイバンマツリ)が見頃を迎え、境内は紫色の花と香りに包まれる。また、境内には開国に関する資料館として黒船ミュージアム「Mobs」(モッブス)がある。
  • 長楽寺…三丁目。市指定史跡。日露和親条約調印の地[107]
  • 理源寺…三丁目。廃寺。境内跡地に「元理源寺三十三観音」。
  • 大安寺…四丁目。境内に「薩摩十六烈士の墓」。
  • 泰平寺…四丁目。境内に「戸田忠次の墓」[108]
  • 本覚寺…四丁目。『北条家寺中安堵朱印状本覚寺宛』を所蔵。
  • 福泉寺…西本郷。長楽寺以前に日露和親条約の談判が行われた地。
  • 玉泉寺…柿崎。国指定史跡。日本最初の米国領事館が設けられた。
  • 観音寺…須崎。木造観音菩薩立像と木造薬師如来坐像は市指定文化財。
  • 禅福寺…白浜。白浜神社の別当寺と伝わる古刹。
  • 曹洞院…大賀茂。境内に江戸時代初期の名匠左甚五郎の作と伝わる山門「響門」。
  • 宝徳院…吉佐美。本尊の不動明王坐像は市指定文化財。境内に「仏谷の十六羅漢三十三観音」。
  • 揚林寺…吉佐美。廃寺
  • 長谷寺…田牛。本尊の阿弥陀如来座像は国指定重要文化財。
  • 蓮台寺…蓮台寺。廃寺。
  • 広台寺…蓮台寺。安政東海地震で大津波に襲われた際、露使プチャーチンと幕府勘定奉行の川路聖謨が避難した地と伝わる。
  • 成就院…堀之内。廃寺
  • 太梅寺…横川。伊豆最古の禅語録『寂用禅師語録』のほか「安国寺恵瓊奉制札」など貴重な史料を所蔵する。
  • 向陽寺…宇土金。別名「下田達磨大師」。元大正製薬社長上原正吉・小枝夫妻により本堂再建。同社の影響力は強く、境内には首相経験者や大企業社長らの名で寄進された地蔵菩薩が立ち並ぶ。
  • 報本寺…加増野。境内に「報本寺の枝垂桜」。8月になると「山随権現祭礼幡廻し」が行われる[109]

観光施設

温泉

  • 下田温泉
    • 観音温泉(横川)
    • 相玉温泉
    • 河内温泉
    • 蓮台寺温泉
    • 白浜温泉
  • 吉佐美温泉
主な日帰り温泉
  • 観音プリンシプル(観音温泉)
  • 昭吉の湯
  • 千人風呂 金谷旅館(河内温泉)
  • クアハウス石橋旅館(蓮台寺温泉)
  • 下田プリンスホテル(白浜温泉)
  • 下田ベイクロシオ
  • 黒船ホテル
  • いづみ荘
  • 昭和湯 - 市内三丁目。賀茂地区唯一の銭湯。湯は引湯している。
  • 下田大和館(吉佐美温泉)
  • リブマックスリゾート伊豆下田(吉佐美温泉)

海水浴場

市内には2023年(令和5年)時点で10か所の海水浴場があるが[110]、そのうち白浜中央、九十浜、入田浜、田牛などは環境省による水浴場の水質調査により、最高ランクの「AA」の中でも「極めて水質が良好」と評価されたことがある[111]

  • 白浜 (しらはま) 海岸
  • 外浦海水浴場
  • 九十浜海水浴場(くじゅっぱま)…須崎半島の先端にあり、遠浅の海に向かって白い砂浜が伸びる海水浴場[112]。須崎御用邸に近く、海岸の長さは約50メートル程度の小規模な海水浴場で、遠くに伊豆諸島が見渡せる[113]。爪木崎と同様、穴場的な海水浴場と評される[114]。白浜や外浦とともに、白い砂とコバルトブルーの海が特徴的な海岸である[115]
  • 爪木崎海水浴場(つめきざき)…いけんだ浜とも[116]。「いけんだ」とは、爪木崎のかつての呼称「池之段」が訛ったものである[117]。管理を行っている須崎区が実施した利用者アンケートにより、砂浜や磯が楽しめ、またシュノーケリングや磯遊びもできるという意見が上がっている[116]
  • 鍋田浜海水浴場(なべたはま)
  • 吉佐美海岸(きさみ)…吉佐美区の多々戸浜、入田浜、大浜はそれぞれ白い砂が美しいビーチとしてしゃれている[118]。また多々戸浜ではアカウミガメの産卵が確認されたことがある[119]
    • 多々戸浜海水浴場(たたどはま)
    • 入田浜海水浴場(いりたはま)
    • 舞磯浜海水浴場(まいそはま)
    • 吉佐美大浜海水浴場
  • 田牛海水浴場(とうじ)…田牛海岸ではアカウミガメの産卵が確認されたことがある[120]
  • 柿崎海水浴場(かきさき)…下田湾の中にある海水浴場[110]。長さ約180メートル、幅最大15メートルと小規模ながら波が穏やかで、家族連れに親しまれていた海水浴場だったが、白浜大浜や吉佐美大浜などの人気に押されて入客が低迷したため、1997年を最後に開設が取りやめられ、荒廃していた。その後、2022年夏までに地域のにぎわい創出の起爆剤として地元住民によって整備が図られ、25年ぶりに海開きされた[121]

マリンスポーツ

  • サーフィン…白浜(大浜)、多々戸浜、入田浜、吉佐美大浜が主要なサーフポイントになっている。
  • スキューバダイビング…須崎ダイビングセンター

その他観光地

イベント

1月
  • 下田・河津間駅伝競走大会
2月
  • 落合高根白山神社の鬼射(おびしゃ)…毎年2月11日に奉納。
3月
5月
6月
7月
8月
  • 報本寺山随権現祭礼幡廻し…毎年8月11日に実施。
  • 下田八幡神社例大祭(太鼓祭り)…毎年8月14日、15日に実施。
9月
  • アロハシャワー(旧ビッグシャワー)…1992年10月、外ヶ岡ヘリポート(当時)を会場に「ビッグシャワー・イン・下田Bay」の名称で開始。当初は市内の企業・団体・官公庁対抗カラオケ大会などをメインに開催していた。1999年、ベイ・ステージ下田建設に伴い、会場を吉佐美大浜海水浴場に移し、開催時期も9月上旬に改める。「下田では9月になってもまだ夏気分を楽しめる」ことをアピールし、「ビッグシャワー 海洋浴の祭典」の名称で継続していたが、2020年以降、新型コロナウイルス感染拡大の影響により中断。2023年、前述の「海洋浴の祭典」で披露されていたフラダンスを前面に押し出すべくイベントのコンセプトをリニューアルし「アロハシャワー」の名称で再開するも、2024年をもって終了[124][125]
10月
  • 河内諏訪神社例大祭…若衆手作りの手筒花火大会が披露[126]
  • 白浜神社例大祭…例大祭で披露される「三番叟」は市指定無形民俗文化財。
  • さんま寿司まつり[127]
11月
  • 伊豆大特産市
12月
不定期開催
  • 竹たのしみまくる下田…2017年から年間を通じて不定期に開催。市内の放置竹林から切り出した竹で制作した灯篭を市内中心部の各所で照らす。

出身著名人等

著名な出身者

江戸時代以前

  • 中根東里…江戸時代中期の儒学者。陽明学者。
  • 平井平次郎…江戸時代後期の町役人。下田町会所書役、のち寄役。1843年に『下田年中行事』(全87巻)を完成させた。当時の下田町の様子や町政に関する種々の記録、伝承等を丹念に記録しており、江戸時代の下田地域の政治と生活の実態を知る上で貴重な資料を残した。
  • 松本雲松…江戸時代後期の絵師、仏師。下田市・河津町・南伊豆町・松崎町を中心に多くの仏像・仏画・絵画作品を残した。
  • 篠田雲鳳…江戸時代後期から明治時代初期の儒学者、教育者、詩人。主に江戸で活躍し、書も能くした奇才で絶世の美女だったという。
  • 下岡蓮杖…江戸時代末期から明治時代初期の写真家、画家。日本商業写真の祖。
  • 小川清助…江戸時代末期から明治時代初期の石工。第一回内国勧業博覧会で褒章を受章。

政治家

  • 森一…下田町長(1949-1950)、下田町議会議員。森斧水(もり ふすい)の雅号で雑誌編集者、郷土史家としても活躍。1924年~1944年にかけて郷土雑誌『黒船』を刊行。幕末の下田開港に関する資料・文献等の収集に力を注ぎ、没後これらのコレクションは下田開国博物館に引き継がれている。
  • 和泉覚…第4代創価学会理事長、参議院議員

実業家

文化人

スポーツ選手

  • 大野修聖…プロサーファー。2004年度・2005年度・2013年度JPSAグランドチャンピオン。2020年東京五輪サーフィン日本代表選手団コーチ。2024年、日本初のサーフィンプロリーグ「Sリーグ」初代チェアマン。2024年パリ五輪サーフィン日本代表選手団ヘッドコーチ。

ゆかりの人物等

  • 村松春水…医師、郷土史家。現在の焼津市出身。明治28年(1895年)より下田町に移り住み、医業の傍ら、幕末の下田の歴史を掘り起こした。とりわけ「唐人お吉」こと斎藤きちについての研究で知られ、大正末期より下田町の郷土雑誌『黒船』に研究成果を寄稿。唐人お吉が世に知られるきっかけをつくった。
  • 若山牧水…1913年10月、下田沖に浮かぶ神子元島で灯台守を勤める大学時代の旧友に会うため島へ渡り、現地で1週間を過ごした。滞在中に詠んだ80首あまりの歌は1914年4月出版の歌集『秋風の歌』に「秋風の海及び燈台」として収録された[131]
  • パーシー・ノエル…ジャーナリスト。雑誌『黒船』に村松春水が寄稿した唐人お吉に関する研究論文をきっかけにお吉に心酔し、自らもお吉を題材とする物語を書こうと、1925年1月に下田を訪れ、村松のもとへ頻繁に通い、お吉について取材を重ね、2年にわたり下田に滞在した。のちにノエルが執筆した物語を台本に、山田耕筰が歌劇「黒船」を作曲している。また、1925年4月に当時の駐日米国大使エドガー・バンクロフトが下田を訪問しているが、これはノエルの斡旋により実現したものとされる。
  • 石原裕次郎…1961年12月10日、伊豆急行線の開業式典に出席。前日9日にはヘリコプターで伊豆急下田駅に降り立った[132]
  • なかにし礼…1963年、最初の妻との新婚旅行で下田東急ホテルに宿泊中、映画「太平洋ひとりぼっち」のロケで同ホテルに宿泊していた石原裕次郎と偶然知り合う。当時、シャンソンの訳詞を生業としていたなかにしに、石原が作詞家になるよう勧め、これをきっかけに作詞活動を始めた[133][134]
  • 三島由紀夫…1964年から1970年まで下田で夏を過ごした。同地滞在中は下田東急ホテルを定宿とし、ホテルから歩いて行ける距離にある地元の菓子店のマドレーヌを「日本一」と大絶賛し、こよなく愛した[135]
  • 糸居五郎…元ニッポン放送アナウンサーで「オールナイトニッポン」草創期のパーソナリティーのひとり。毎年7月に下田東急ホテルで2週間ほどの夏休みをとっていたことがあり、1960年代にはこの時にいつも同ホテルで会っていたという三島由紀夫とも親交を持っていた。
  • マイケル・マンスフィールド…元駐日米国大使(1977~1988)。在任中、下田最大の催事「黒船祭」に通算9回出席した他、1979年6月27日のカーター大統領(当時)と地元市民とのタウンミーティング開催のきっかけをつくるなどの功績により、1988年に下田市より特別名誉市民の称号を贈られた[136]。死去の翌年2002年に建立された顕彰碑が市内の下田公園内にある。
  • 梅宮辰夫…上述のJIBT(Japan International Billfish Tournament)国際カジキ釣り大会に出場していた記録がある[137][138][139]
  • 松方弘樹…上述のJIBT(Japan International Billfish Tournament)国際カジキ釣り大会に出場していた記録があり[137][138][139]、入賞歴もある[140]
  • 有馬稲子…女優。かつて下田に在住していたことがあり、下田市民文化会館名誉館長もつとめていた。地元産の酒米で醸造した日本酒「黎明[141]」は有馬の命名によるもの。
  • 桑田佳祐…シングル「ヨシ子さん」の歌詞に出てくる「上鴨そば」というフレーズは、市内にある桑田の行きつけのそば屋のメニューに由来する。
  • 山田和樹…指揮者。1999年、下田市民文化会館での新日本フィルハーモニー交響楽団によるベートーヴェン第9」演奏会に副指揮者として随行したことから下田との関わりが始まる。2006年、下田市民文化会館事業アドバイザー。2014年、下田市民文化会館名誉館長に就任[142]
  • 岡崎大五…作家。バックパッカー向けの旅行雑誌『旅行人』執筆陣のひとり。2003年、下田に移住。2010年、下田市観光大使。同年、車で沖縄県を除く46都道府県を周って下田のPR活動を行う「下田キャラバン」を敢行。2023年より下田市議会議員。
  • 加山雄三…2008年4月、旧・県立下田北高校と旧・県立下田南高校を統合して県立下田高校が開校した際、ペンネームの「弾厚作」名義で校歌を作詞・作曲した。
  • アントニオ猪木…市内横川の「観音温泉」にたびたび宿泊した[143][144]
  • 秋山翔吾…プロ野球選手。2017年より下田市で冬の自主トレーニングに励んでおり[145]、市内で少年野球教室を開催[146][147][148][149]するなど地元市民との交流にも積極的に取り組んでいる。2024年12月28日、自身の出身地で下田市と同じく黒船来航地という共通点のある横須賀市で、同市と下田市の小学生による野球の親睦交流試合「秋山翔吾Special Match KUROFUNE CUP」を開催[145](次回以降は両市で交互に開催予定[150])。2025年1月13日、下田市より「下田応援大使」に任命された[151]

下田を舞台にした作品

文学・記録

  • 「Yoshida Torajiro」…ロバート・ルイス・スティーヴンソンによる評伝集『Familiar Studies of Men and Books』に収録された吉田松陰に関する伝記。
  • 『日本遠征記』…マシュー・ペリーによる遠征記録集(全3巻)。日本遠征に関するあらゆる記録をまとめたもの。
  • 日本滞在記』…タウンゼント・ハリスよる日記。
  • 『日本日記』…ヘンリー・ヒュースケンによる日記。
  • 下田日記』…川路聖謨による日記。
  • 『勇魚捕(いさなとり)』…幸田露伴による小説。下田に生まれた彦右衛門という人物が血気にまかせて故郷を飛び出し上方から西国へと遍歴した半生の激動が、明治と時代が移り穏やかな後半生を過ごす彦右衛門の回想の形式で語られる。
  • 『伊豆の旅』…島崎藤村による紀行文。
  • 『豆南豆北』…蒲原有明による紀行文。
  • 冬の蠅』…梶井基次郎による短編小説。
  • 伊豆の踊子』…川端康成による短編小説。
  • 有難う」…川端康成による掌編小説。
  • 「下田の女」…中島敦による短編小説。1926年に第一高等学校文科甲類へ入学した中島が、初めて『校友会雑誌』第313号に発表した習作として知られる。
  • 「唐人お吉」…十一谷義三郎
  • 「時の敗者唐人お吉」…十一谷義三郎
  • 「唐人お吉」…真山青果
  • 「唐人お吉と攘夷群」…真山青果
  • 「女人哀詞」…山本有三
  • 「下田港まで」…林芙美子による紀行文。1934年(昭和9年)の第1回黒船祭を見に下田を訪れ、祭典に沸く町内の様子などを綴ったもの。
  • 「下田行[152]」…井伏鱒二による紀行文。1934年(昭和9年)の第1回黒船祭を見に下田を訪れたときのエピソードが綴られている。
  • 「唐人お吉」…井上友一郎
  • 「下田のユーディット」…ベルトルト・ブレヒト
  • 天城越え」…松本清張による短編小説。
  • 「こちら下田CATV─情報コミューンの誕生」…放送ジャーナル社・編。1970年代、「コミュニティメディア」「情報コミューン」を体現する存在として脚光を浴びた、市内のCATV会社・下田有線テレビ放送(SHK)について取材したルポルタージュ。
  • 「紅椿無惨」…中山あい子
  • 月澹荘綺譚』…三島由紀夫による短編小説。
  • 「ペテルブルグからの黒船」…大南勝彦
  • 「北から来た黒船」…ニコライ・ザドルノフ
  • 「下田物語」…オリヴァー・スタットラー
  • 「落日の宴-勘定奉行川路聖謨」…吉村昭
  • 「片意地へんくつ一本気-下田うなぎ屋風流噺」…高橋治
  • 「南伊豆殺人行」…草野唯雄
  • 「下田子守り唄殺人」…島田一男
  • 「下田情死行」…西村京太郎
  • 「南伊豆殺人事件」…西村京太郎
  • 「南伊豆高原殺人事件」…西村京太郎
  • 「十津川警部捜査行〔5〕伊豆箱根事件簿」…西村京太郎
  • 「海の時計」…藤堂志津子
  • 「伊豆の朝凪」…津村秀介
  • 「お吉写真帖」…安部龍太郎
  • 「伊豆惨殺剣」…宮城賢秀
  • 「伊豆下田料理飲食店組合事件簿」…岡崎大五によるミステリー小説。市内に実在する飲食店を舞台としており、ウェブサイト「伊豆下田100景」のコンテンツ内に掲載されている。
  • 「三島由紀夫の来た夏」…横山郁代[注釈 8]

映画

テレビドラマ

  • 必殺仕事人ワイド 大老殺し 下田港の殺し技珍プレー好プレー:1987年、朝日放送

音楽

ミュージックビデオ

漫画

アニメーション

  • 幕末のスパシーボ(1997年、NHKエンタープライズ21製作・マジックバス制作) - 幕末の日露交渉と日本人・ロシア人の友好を描いたアニメーション映画。市が製作協力を行った。
  • 夏色キセキ(2012年、MBS製作・サンライズ制作、TBSSBSほかで放送) - 下田市を舞台に女子中学生4人の日常を描いたテレビアニメ。本作には市内各地の名所や伝統行事が登場することから、同市の観光協会や商工会議所により市内限定グッズの製作・発売やスタンプラリーなどのイベントが開催された他、伊豆急行では期間限定でラッピングトレインを運行したり[160]、伊豆急下田駅前から寝姿山中腹までを結んで運行する下田ロープウェイでも同じく期間限定でメインキャラクターの声を担当した声優によるアナウンスをゴンドラ内で流すなど、制作側と地元企業の連携による企画も実施された。

脚注

注釈

  1. ^ 戦後、1968年(昭和43年)に皇室へ譲渡されたのち、1971年(昭和46年)に須崎御用邸として造営され、現在に至る。
  2. ^ 佳作として、一席「海と遊ぼう 歴史と話そう」、二席「昔がある 今がある こころがある」、三席「黒船も最初に選んだ伊豆下田」、四席「日本の心をひらいた町」、五席「花と波とあなたと・・・」。
  3. ^ 東伊豆町、河津町、南伊豆町、松崎町、西伊豆町、賀茂村。のちに賀茂村は2005年(平成17年)4月1日に合併により西伊豆町の一部となる。
  4. ^ のちの「ベイ・ステージ下田」、現在の「道の駅開国下田みなと」のこと。
  5. ^ なお、静岡県内に系列局のないテレビ東京は引き続き視聴可能。
  6. ^ a b 地方自治法第4条第3項の規定による。
  7. ^ 2000年の市長選は新人2名が立候補し選挙戦となった。2004年は現職が無投票にて再選(2期目)。さらに2008年も現職が無投票にて再選(3期目)。2012年は新人が無投票にて当選。
  8. ^ 著者は市内の菓子店「日新堂」の店主。三島はこの店のマドレーヌを「日本一」と絶賛し、こよなく愛した。
  9. ^ 2019年8月にグループ名表記を「STELLABEATS」と改称。
  10. ^ 1999年末~2000年初頭あたりから、雑誌「スーパージャンプ」(集英社・刊)で連載を開始する予定と発表されていたが、作者本人が重度の体調不良により執筆活動の休止を余儀なくされてしまい、実現しなかった。

出典

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  26. ^ その後、2015年と2021年にも、下田港沖のそれぞれ別の地点で、海底に沈む「海龍」の船体が発見されている。 参考:鹿児島県大島郡瀬戸内町教育委員会「瀬戸内町内の近代遺跡シンポジウム~奄美大島要塞・大島防備隊基地跡の調査成果とその価値について~」より 「地上から水中へ(東海大学人文学部准教授 木村淳)」18頁
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関連項目


外部リンク

行政
* 公式ウェブサイト
* 下田市 (city.shimoda) - Facebook
観光
* 下田市観光協会
* ウィキトラベルには、下田市に関する旅行ガイドがあります。

「下田市」の例文・使い方・用例・文例

  • 下田市という市
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