月澹荘綺譚とは? わかりやすく解説

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月澹荘綺譚

作者三島由紀夫

収載図書三島由紀夫短篇全集
出版社新潮社
刊行年月1987.11

収載図書三島由紀夫集―文豪ミステリ傑作選
出版社河出書房新社
刊行年月1998.8
シリーズ名河出文庫

収載図書決定版 三島由紀夫全集 20 短編小説
出版社新潮社
刊行年月2002.7

収載図書岬にての物語 20改版
出版社新潮社
刊行年月2005.12
シリーズ名新潮文庫

収載図書三島由紀夫雛の宿文豪怪談傑作選
出版社筑摩書房
刊行年月2007.9
シリーズ名ちくま文庫


月澹荘綺譚

読み方:ゲッタンソウキタン(gettansoukitan)

作者 三島由紀夫

初出 昭和40年

ジャンル 小説


月澹荘綺譚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/18 06:51 UTC 版)

月澹荘綺譚
訳題 The Strange Tale of Shimmering Moon Villa
作者 三島由紀夫
日本
言語 日本語
ジャンル 短編小説
発表形態 雑誌掲載
初出情報
初出 文藝春秋1965年1月号
刊本情報
収録 三熊野詣
出版元 新潮社
出版年月日 1965年7月30日
装幀 観世宗家所蔵意匠
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月澹荘綺譚』(げったんそうきたん)は、三島由紀夫短編小説。三島がいくつか書いた怪談系統の作品の中の一つとしてみなされることもある[1]伊豆半島の岬にかつてあった月澹荘という別荘をめぐる40年前の奇怪な物語。夏の岬の自然を背景に、「見つめる目と愛の不能」、「意識と行為の絶対的な溝」という主題を描いている[2]

1965年(昭和40年)、雑誌『文藝春秋』1月号に掲載された[3][4]。単行本は同年7月30日に新潮社より刊行の『三熊野詣』に収録された[5][4]。文庫版としては、1978年(昭和53年)11月27日に刊行の新潮文庫の『岬にての物語』に収録された[5][4]。その後2000年(平成12年)、鳥影社の雑誌『季刊文科』11月号にも再掲載された[6]

翻訳(英題:The Strange Tale of Shimmering Moon Villa)はTomoko Aoyama によって行われている[7]

執筆背景

三島由紀夫は本作が収録された『三熊野詣』のあとがきで次のように述べている[8]

私は自分の疲労を、無力感と、酸え腐れた心情のデカダンスと、そのすべてをこの四篇(三熊野詣、月澹荘綺譚、孔雀、朝の純愛)にこめた。四篇とも、いづれも過去と現在が先鋭に対立せしめられてをり、過去は輝き、現在は死灰に化してゐる。(中略)
しかし自分の哲学を裏切つて、妙な作品群が生れてしまふのも、作家といふ仕事のふしぎである。自作ながら、私はこれらの作品に、いひしれぬ不吉なものを感じる。ずいぶん自分のことを棚に上げた言ひ方であるが、私にかういふ作品群を書かせたのは、時代精神のどんな微妙な部分であるのか? ミーディアムはしばしば自分に憑いた神の顔を知らないのである。 — 三島由紀夫「あとがき」(『三熊野詣』)[8]

また、この「あとがき」を書いた同時期に三島は、〈私は「目」だけの人間になるのは、死んでもいやだ。それは化物になることだと思ふ。それでも私が、生来、視覚型の人間であることは、自ら認めざるをえない〉と述べ、『月澹荘綺譚』の登場人物のような「視覚型の人間」への嫌悪を示している[9]

あらすじ

去年の夏、「私」は伊豆半島南端の下田に滞在中、城山の岬をめぐり、かつて明治の元勲・大澤照久侯爵が建てた「月澹荘」という名の別荘にまつわる40年前の話を一人の老人から聞いた。その老人・勝造は、漁師の父が別荘番をしていた関係で、大澤照久侯爵の嫡男・照茂と幼友達であった。照茂は侯爵が亡くなると家督を継ぎ、大正13年(1924年)に20歳で結婚した。その夏、新婚夫婦は月澹荘を訪れたが、翌年の秋に別荘は火事で焼失した。無人の別荘の出火の原因は不明だった。それを機に夫人は別荘の土地を下田へ寄附する旨の手紙を勝造に送った。その手紙の送り主が主人の照茂でなかったのは、その年すでに照茂はこの世にいなかったからだった。

新婚の照茂夫人は、初めて月澹荘を訪れたとき、庭で誰かの視線を常に感じていた。照茂が死んだ翌年、夫人は一人で月澹荘を訪れ、夫がなぜあんなふうに死んだのか、何か秘密の事情を隠しているらしい勝造に問うた。勝造は2年前の出来事を語りだした。

グミの実

それは照茂が結婚する前年、照茂が19歳、勝造が18歳の夏だった。城山を散策中、二人は白痴の娘・君江が赤いグミの実を摘んでいるのを見かけた。照茂は君江の腰をじっと見つめ出し、勝造に君江を強姦するように命令した。殿様の言うことに忠実で従うことしかできなかった勝造は、しゃにむに目的を遂げようと君江を襲った。その間、照茂はじっと冷酷な感情のない澄んだ目で、泣いて咽ぶ君江の顔を至近距離で水棲動物の生態を観察するかのように見ていた。君江はその視線から逃れようと必死だった。勝造の秘密の告白を聞いた夫人は、なぜ君江が勝造でなく照茂を憎んだのか納得した。そして結婚以来一度も夫婦の契りがなかったこと、夫はただじっとすみずみまで熱心に見るだけだったことを勝造に告げた。

照茂は夫人と月澹荘を訪れた夏、岬近くの茜島という小島へスケッチに行ったまま、崖で死んでいたのだった。頭を砕かれ海へずり落ちそうになっていた。勝造はそれを一目見て、君江が殺したのだとすぐ解った。照茂の両眼はえぐられ、そのうつろには夏グミの実がきっしり詰め込んであった。

登場人物

歴史や漢詩七言絶句などに造詣が深い研究者。去年夏に下田に滞在中、以前から興味を持っていた名前の月澹荘を探す。月澹荘は、かつてその岬の城山に明治の元勲・大澤照久侯爵の建てた別荘で、名前の由来は呉子華の「月澹ク煙沈ミ暑気清シ」という七言絶句から来ている。
照茂
元勲・大澤照久侯爵の嫡男。無口で敏活でなく、ただ目だけが潤んで大きく、物をじっと見て観察することしかしない。父の死後、家督を継ぎ、20歳で結婚。父は下級武士の出身であったが、一代で貴顕となった。
勝造
照茂の幼友達だった老人。を荒く的確に使い作った面のような顔。単純な目鼻立ちなりに深く皺が刻まれ、黒檀の光沢を放っている。勝造の父親(漁師)は月澹荘の別荘番をしていた。勝造は幼少・青年時代、1歳年上の照茂の遊び相手となり、照茂の命令には忠実だった。父の死後、引継いで別荘番となる。
若夫人
照茂の美しい若妻。高貴な夫人。大正13年(1924年)に結婚し、その夏に月澹荘を訪れる。
君江
白痴の娘。子供らに石をぶつけられても怒らず、人に害は加えない性質だった。

文壇の反響・同時代評価

『月澹荘綺譚』に対する論評はあまりないが、同時代評は賛否が分かれていた。

否定的なものとしては、山本健吉が、三島が『月澹荘綺譚』で「古典的な事件のロマネスク」を目指したことを、「今日の小説界」にとって「一種の解毒剤的な効果」があるとしつつも、照茂の死の原因が「性的倒錯によるという種明かし」は、三島が「奇」を力んで見せただけで、照茂の話が「〈綺譚〉の名」に価するとは思えないとし、「〈綺譚〉の背後に人生が皆無である」と評した[10]江藤淳は『月澹荘綺譚』を含めた前後の作品に、「個人的な事情を超えた」戦後の終焉、「日本浪曼派的な思考の復活」の影響からの、三島の「岐路」「転機」を看取し[11]、「三島氏は、今や正説と化しつつある思想を、逆説を語るために練磨した芸によって語らなければならない」として、「三島氏はあるいは行為者となることに一方の活路を求めようとしているのかも知れない」と鋭い指摘をしながらも、「そうだとすれば、ここに描かれた行為は、行為というより行為に関する儀式にすぎない」と評した[11]

その一方、磯田光一は、「輝かしい過去の喚起によって現在の空白を埋めようとする作者の心」は、ボードレールの「強靭な現実呪詛の心」と比類するものと高評し、「どれほど頽廃的に見えようと、これを充足した人間劇と呼ばずして何と呼ぼう」と述べた[12]

作品評価・解釈

渡辺広士は、『月澹荘綺譚』について、「見つめる目と愛の不能、言い換えると意識と行為の絶対的な溝というテーマの、グロテスクで美しいフィクションである」と評している[2]

柳沢善治は、『月澹荘綺譚』の「水路」の描写が、『絹と明察』の終結部の「」の描写や、『天人五衰』の「波」の描写に酷似していることに着目しながら、『月澹荘綺譚』の照茂と君江との関係と、『天人五衰』の安永透と絹江との関係の類似性を探り、『月澹荘綺譚』を『天人五衰』のエスキースと捉えている[13]。また、「見る人」としての照茂の人物造型とその死を、『豊饒の海』などの「覗き」や「認識」のモチーフとの比較から探る必要性や、〈月澹荘綺譚〉が焼けたのが〈四十年前〉という、三島の当時の年齢と符合することの考慮を提起している[4]

テレビドラマ化

おもな収録刊行本

単行本

  • 三熊野詣』(新潮社、1965年7月30日)
    • 装幀:観世宗家所蔵意匠(函:紅白市松御所車唐織。見返し:紅浅黄亀甲模様唐織)。
    • 目次裏に、「これらの唐織は“熊野”のシテの装束にも使用されている」とある。
    • クロス装。貼函。紫色帯。あとがき:三島由紀夫
    • 収録作品:「三熊野詣」「月澹荘綺譚」「孔雀」「朝の純愛」
  • 文庫版『岬にての物語』(新潮文庫、1978年11月27日)
    • カバー装幀:沢田哲郎。解説:渡辺広士
    • 収録作品:「苧菟と瑪耶」「岬にての物語」「頭文字」「親切な機械」「火山の休暇」「牝犬」「椅子」「不満な女たち」「志賀寺上人の恋」「水音」「商い人」「十九歳」「月澹荘綺譚」
  • 『三島由紀夫集 雛の宿〈文豪怪談傑作選〉』(ちくま文庫、2007年9月10日)
  • 英語版『Voices of the Fallen Heroes, and other stories』(Vintage Books、2025年1月)
    • 編者:Stephan Dodd。「月澹荘綺譚」の訳者:Tomoko Aoyama
    • Introduction(まえがき):ジョン・ネイスン
    • 収録作品:苺(Strawberry)、帽子の花(The Flower Hat)、月(Moon)、自動車(Cars)、可哀さうなパパ(Poor Papa)、切符(Tickets)、孔雀(The Peacocks)、朝の純愛(True Love at Dawm)、月澹荘綺譚(The Strange Tale of Shimmering Moon Villa)、荒野より(From the Wilderness)、英霊の聲(Voices of the Fallen Heroes)、仲間(Companions)、時計(Clock)、蘭陵王(The Dragon Flute)

全集

  • 『三島由紀夫全集17巻』〈第8回配本〉(新潮社、1973年12月25日)
    • 背革紙継ぎ装。貼函。帯。四六判。旧字・旧仮名遣い。
    • 装幀:杉山寧。口絵写真1頁1葉(著者肖像)あり。
    • 月報:松本道子「或る日の思い出」。佐伯彰一《評伝・三島由紀夫》8「二つの遺作(その7)」。虫明亜呂無《同時代評から》8「『英霊の声』『絹と明察』などをめぐって」
    • 収録作品:「」「絹と明察」「月澹荘綺譚」「三熊野詣」「孔雀」「朝の純愛」「仲間」「英霊の聲」「荒野より」「時計」「蘭陵王
    • ※ 同一内容で豪華限定版(総革装。天金。緑革貼函。段ボール夫婦外函。A5変型版。本文2色刷)が1,000部あり。装幀:杉山寧
  • 『三島由紀夫短篇全集』〈下巻〉(新潮社、1987年11月20日)
    • 布装。セット機械函。四六判。2段組。
    • 収録作品:「家庭裁判」から「蘭陵王」までの73篇。
  • 『決定版 三島由紀夫全集20巻・短編6』(新潮社、2002年7月10日)
    • 貼函。布クロス装。丸背。箔押し2色。帯。四六判。旧字・旧仮名遣い。
    • 装幀:新潮社装幀室。装画:柄澤齊。口絵写真1頁1葉(著者肖像)あり
    • 月報:金子國義「優しく澄んだ眼差し」。出久根達郎「商人根性」。田中美代子《小説の創り方》20「精霊の来訪」
    • 収録作品:「憂国」「苺」「帽子の花」「魔法瓶」「月」「葡萄パン」「真珠」「自動車」「可哀さうなパパ」「雨のなかの噴水」「切符」「剣」「月澹荘綺譚」「三熊野詣」「孔雀」「朝の純愛」「仲間」「英霊の声」「荒野より」「時計」「蘭陵王」、参考作品21篇、異稿5篇、創作ノート

アンソロジー

脚注

  1. ^ 東雅夫「幽界(ゾルレン)と顕界(ザイン)と」(怪談傑作選 2007, pp. 375–382)
  2. ^ a b 渡辺広士「解説」(岬・文庫 1978, pp. 325–330)
  3. ^ 井上隆史「作品目録――昭和40年」(42巻 2005, pp. 438–440)
  4. ^ a b c d 柳瀬善治「月澹荘綺譚」(事典 2000, pp. 112–114)
  5. ^ a b 山中剛史「著書目録――目次」(42巻 2005, pp. 540–561)
  6. ^ 田中美代子「解題――月澹荘綺譚」(20巻 2002, p. 802)
  7. ^ Voices 2025, p. 160
  8. ^ a b 「あとがき」(『三熊野詣新潮社、1965年7月)。33巻 2003, pp. 472–473に所収
  9. ^ 「あとがき」(『目――ある芸術断想集英社、1965年8月)。芸術断想 1995, pp. 99–101、33巻 2003, pp. 488–489
  10. ^ 山本健吉「文芸時評」(読売新聞 1965年12月25日号)。山本時評 1969, p. 332に所収。旧事典 1976, p. 139、事典 2000, p. 113
  11. ^ a b 江藤淳「文芸時評」(朝日新聞 1964年12月23日号)。江藤 1989, pp. 244–247に所収。旧事典 1976, p. 139、事典 2000, p. 113
  12. ^ 磯田光一「『三熊野詣』書評」(日本読書新聞 1965年9月20日号)。『磯田光一著作集1』(小沢書店、1990年6月)所収。事典 2000, p. 113
  13. ^ 柳瀬 1996事典 2000, pp. 113–114

参考文献

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