朱雀家の滅亡
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『朱雀家の滅亡』(すざくけのめつぼう)は、三島由紀夫の戯曲。「春」「秋」「夏」「冬」の全4幕から成る。太平洋戦争(大東亜戦争)末期の戦中・戦後2年間の東京を舞台に、堂上華族の侯爵家である「朱雀家」の承勅必謹と崩壊を、大日本帝国の崩壊と重ねて描いた作品である。狂気としての孤忠、滅びとしての忠節を、ギリシア悲劇のエウリピデス『ヘラクレス』を典拠とし、「僭主征伐」を第1幕、「子殺し」を第2幕、「妻殺し」を第3幕、「運命愛(アモール・ファティ)」を第4幕に該当させている[1]。三島の天皇観や戦後世界への違和感が表われている作品でもある[2][3]。
注釈
出典
- ^ a b c d 「『朱雀家の滅亡』について」(文藝 1967年10月号)。「後記」として『朱雀家の滅亡』(河出書房新社、1967年10月)に同時収録。河出文庫 2005, pp. 263–264、34巻 2003, pp. 566–567に所収
- ^ a b c 「第十一回 雅びとエロスと 『孔雀』『春の雪』『朱雀家の滅亡』」(徹 2010, pp. 145–158)
- ^ a b c d e 有元伸子「朱雀家の滅亡」(事典 2000, pp. 195–198)
- ^ 井上隆史「作品目録――昭和42年」(42巻 2005, pp. 444–448)
- ^ 山中剛史「著書目録――目次」(42巻 2005, pp. 540–561)
- ^ a b c d e f g h i 「『朱雀家の滅亡』の三島由紀夫――著者との対話」(名古屋タイムス 1967年11月13日号)。「解題――朱雀家の滅亡」(24巻 2002)に所収
- ^ a b 「『朱雀家の滅亡』について」(NLT上演プログラム 1967年10月)。34巻 2003, pp. 568–570
- ^ 千谷道雄「朱雀家の滅亡」(旧事典 1976, pp. 218–219)
- ^ 「新劇」舞台採点(朝日新聞夕刊 1967年10月19日号)。事典 2000, p. 196
- ^ 日沼倫太郎「恋闕の形而上学」(NLTプログラム 1967年10月13日)。『我らが文明の騒音と沈黙』(新潮社、1970年9月)に所収。事典 2000, p. 196
- ^ a b 山本健吉「文芸時評」(読売新聞夕刊 1967年9月29日号)。山本時評 1969, pp. 480–481に所収。事典 2000, pp. 196–197
- ^ 大岡昇平「文芸時評」(朝日新聞夕刊 1967年9月29日号)。『大岡昇平全集16巻』(筑摩書房、1996年5月)に所収。事典 2000, p. 197
- ^ 奥野健男「現代をえぐる戯曲」(読売新聞夕刊 1968年1月25日号)。事典 2000, p. 197
- ^ 池田弘太郎「朱雀家の滅亡」(論争ジャーナル 1968年6月号)。事典 2000, p. 196
- ^ 長尾一雄「悲劇不在の証明」(新劇 1967年12月号)。事典 2000, p. 196
- ^ 磯田光一「無私この残酷なるもの」(図書新聞1967年12月16日号)。『磯田光一著作集1 三島由紀夫全論考 比較転向論序説』(小沢書店、1990年6月)に所収。事典 2000, p. 196
- ^ 大久保典夫「第二次世界大戦下における狂気と文学」(國文學1970年8月号)。『批評と研究 三島由紀夫』(芳賀書店、1974年12月)に所収。事典 2000, p. 197
- ^ 松本鶴雄「『喜びの琴』『朱雀家の滅亡』より『豊饒の海』へ」(『三島由紀夫研究』右文書院、1970年7月)。事典 2000, p. 197
- ^ 富岡幸一郎「〈近代〉の自裁」(新潮 1986年9月号)。『仮面の神学』(構想社、1995年)に所収。事典 2000, p. 197
- ^ 田中美代子(佐伯彰一との対談)「三島由紀夫 空虚と豊饒のパラダイム」(『朱雀家の滅亡』公演プログラム セゾン劇場 1987年9月)。事典 2000, p. 197
- ^ 「先生の予言どおりになったこと」(英子 2007, pp. 48–63)
- ^ 「美濃子」(『喜びの琴 附・美濃子』新潮社、1964年2月)。24巻 2002に所収
- 1 朱雀家の滅亡とは
- 2 朱雀家の滅亡の概要
- 3 登場人物
- 4 おもな刊行本
- 5 脚注
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