雲の会
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雲の会(くものかい)は、1950年(昭和25年)8月に、岸田国士の提唱する「文学立体化運動」を母胎に、日本の劇作家、文学者らが集まって結成された団体[1][2][3][注釈 1]。文学、演劇、美術、音楽、映画で活躍する人たちの交流の中から、奥行きのある新たな現代演劇のスペクタクルを生み出すための試みの会として、主宰者の岸田国士をはじめ、内村直也、加藤道夫、木下順二、小林秀雄、神西清、千田是也、菅原卓、中村光夫、三島由紀夫、福田恆存などが実行委員となり発足された[5][3][1]、フランスのNRF系作家の行き方に倣った運動でもあり[3]、小山内薫と二代目市川左團次が結成した「自由劇場」以来の「無形劇場の運動」を志したものでもある[2]。
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m 「第九章 その『雲の会』」(矢代 & 1985-02, pp. 131–145)
- ^ a b c d e f g 「美しい予感――『雲の会』第一回会合を終へて」(毎日新聞 1950年9月19日号)。のち「雲の会報告」と改題して『文学的人生論』(河出新書、1954年11月)に所収。27巻 & 2003-02, pp. 350–352
- ^ a b c d e 新聞記事「『文学立体化運動』始まる――まず演劇と握手――岸田国士らが提唱」(朝日新聞 1950年8月17日号)。田中美代子「解題――雲の会報告」(27巻 & 2003-02, pp. 714–716)
- ^ 宮本百合子「人間性・政治・文学(1)」(文學 1951年1月号)
- ^ a b c 岸田国士「雲の会」(文學界 1950年11月号)
- ^ a b c 山中剛史「対談目録」(42巻 & 2005-08, pp. 513–536)
- ^ 三島由紀夫と芥川比呂志の対談「演劇と文学」(文學界 1952年2月号)。39巻 & 2004-05, pp. 82–98
- ^ 「第八章 その研究所」(矢代 & 1985-02, pp. 115–130)
- ^ INOUE, Masaru (2020). 岩田豊雄の中のシェイクスピア--1955年 福田恆存演出『ハムレット』成立の一背景. pp. 23–37. doi:10.7141/ctr.19.23. ISSN 1347-2720 .
- ^ 「文学座評判記」(粉川 & 1975-10, pp. 94–100)
- ^ 「日夏耿之介宛ての書簡」(昭和34年10月13日、昭和35年1月1日付)。38巻 & 2004-03, pp. 802–804
- ^ 福田恆存「私の演劇白書」新潮社、1958年12月、pp.260-262。
- ^ 表象文化論学会. “パネル8:〈演じる〉ことをめぐって──シェイクスピアとその演技の諸相 | 第14回大会 | Conventions”. 表象文化論学会. 2021年6月4日閲覧。
- ^ “「雲の会」論——文学立体化運動の再考”. 身体表象文化学会. 2021年6月4日閲覧。
- ^ 福田恆存 『私の演劇白書』、新潮社、1958年、pp.29-30。
- ^ 岸田今日子「わたしの中の三島さん」(22巻 & 2002-09月報)
- ^ 「第十三章 その神」(矢代 & 1985-02, pp. 195–210)
- ^ 「加藤道夫自筆年譜」(『新文学全集 加藤道夫集』河出書房、1953年6月)
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