加藤道夫とは? わかりやすく解説

かとう‐みちお〔‐みちを〕【加藤道夫】

読み方:かとうみちお

[1918〜1953]劇作家福岡生まれ文学座入り劇作演出当たったが、自殺戯曲なよたけ」「思ひ出を売る男」など。


加藤道夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/22 11:35 UTC 版)

加藤 道夫(かとう みちお、1918年大正7年)10月17日 - 1953年昭和28年)12月22日)は、日本の劇作家。代表作『なよたけ』が高い評価を受け[1]カミュミュッセの翻訳、ジャン・ジロドゥ研究や演劇評論などでも知られる[2]芥川比呂志三島由紀夫矢代静一らと共に、岸田国士が発足した文学立体化運動「雲の会」の同人としても活躍したが、最後は自宅書斎で縊死自殺した[2][3]。妻は女優の加藤治子は作家の加藤幸子[4]


注釈

  1. ^ 『加藤道夫全集 第一巻』(青土社、1983年)の月報に収録されている「加藤道夫君」という短文において堀田善衛は、ソロンは西にあるので西部ニューギニアの間違いではないかと指摘している。
  2. ^ 『現代日本文學大系92 現代名作集(二)』(筑摩書房、1973年)に収録の今村忠純編による加藤道夫の年譜によれば、『蝿』の掲載誌は『展望』となっている。
  3. ^ 他の発足会員には、阿部知二、伊賀山昌三、石川淳市原豊太井伏鱒二臼井吉見内村直也梅田晴夫、大木直太郎、岡鹿之助加藤周一河上徹太郎川口一郎河盛好蔵木下恵介木下順二倉橋健小山祐士今日出海坂口安吾、阪中正夫、佐藤敬佐藤美子清水崑神西清菅原卓杉村春子杉山誠鈴木力衛千田是也、高見澤潤子、高見順武田泰淳田中澄江田中千禾夫田村秋子津村秀夫戸板康二永井龍男長岡輝子中島健蔵中田耕治中野好夫中村真一郎中村光夫野上彰原千代海久板栄二郎堀江史朗前田純敬宮崎嶺雄三好達治山本健吉山本修二吉田健一がいた[3]

出典

  1. ^ a b 鈴木晴夫「加藤道夫」(旧事典 1976, p. 88)
  2. ^ a b 平敷尚子「加藤道夫」(事典 2000, pp. 474–475)
  3. ^ a b c d 「第九章 その『雲の会』」(矢代 1985, pp. 131–145)
  4. ^ a b c d e f 「第四章 その雌伏時代」(矢代 1985, pp. 51–65)
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 年譜 1983, p. 622.
  6. ^ a b c d 「第一章 その戦争」(矢代 1985, pp. 20–35)
  7. ^ 年譜 1983, p. 622-623.
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 年譜 1983, p. 623.
  9. ^ 年譜 1955, p. 889.
  10. ^ a b 年譜 1955, p. 890.
  11. ^ a b 加藤道夫「死について」(三田文学 1948年6月号)。矢代 1985, pp. 20–21
  12. ^ a b 「第三章 その出会い」(矢代 1985, pp. 36–50)
  13. ^ a b c d e f g h i j k l m n 年譜 1983, p. 624.
  14. ^ a b 「第五章 その初上演」(矢代 1985, pp. 66–81)
  15. ^ a b c d e 「第八章 その研究所」(矢代 1985, pp. 115–130)
  16. ^ 加藤道夫「新劇への不信」。矢代 1985, p. 125
  17. ^ a b c d 「第六章 その初演出」(矢代 1985, pp. 82–98)
  18. ^ 『児童文学事典』電子版 - 日本児童文学学会、千葉大学アカデミック・リンク・センター(2020年10月10日閲覧)
  19. ^ 年譜 1983, p. 624-625.
  20. ^ a b c d e f g h i j k l m 年譜 1983, p. 625.
  21. ^ a b c d e f g h i 「第十章 その病い」(矢代 1985, pp. 146–163)
  22. ^ a b 加藤道夫「芥川比呂志への書簡」(昭和25年11月30日付)。矢代 1985, p. 147
  23. ^ a b c d e f g h i j k 私の遍歴時代」(東京新聞夕刊 1963年1月10日 - 5月23日号)。32巻 2003, pp. 271–323
  24. ^ 年譜 1983, p. 625-626.
  25. ^ a b c d e f g h i j 年譜 1983, p. 626.
  26. ^ a b c d e f g h i j k l 「第十二章 その傷心」(矢代 1985, pp. 179–194)
  27. ^ a b c d e f 「第十三章 その神」(矢代 1985, pp. 195–210)
  28. ^ a b c d e f g h i j k l 「第十四章 その鎮魂」(矢代 1985, pp. 211–228)
  29. ^ a b c 「第一章 その死」(矢代 1985, pp. 9–19)
  30. ^ a b 加藤道夫「午年の作家の感想」(1953年12月)。矢代 1985, pp. 13–14に抜粋掲載
  31. ^ a b c 「加藤道夫氏のこと」(毎日マンスリー 1955年9月号)。芸術断想 1995, pp. 226–228、28巻 2003, pp. 535–537
  32. ^ 「楽屋で書かれた演劇論――理想の劇場は死んだ」(芸術新潮 1957年1月号)。芸術断想 1995, pp. 229–233、29巻 2003, pp. 417–420
  33. ^ 福永武彦「序」(『福永武彦全集第3巻・小説3』新潮社、1987年10月)
  34. ^ a b 岸田国士加藤道夫の死」(文藝 1954年2月号)。矢代 1985, pp. 222–223


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加藤道夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:28 UTC 版)

三島由紀夫」の記事における「加藤道夫」の解説

劇作家芥川比呂志同様、共に「雲の会」の同人劇作家仲間として親交があった。三島加藤を、〈純にして純なる、珠のごとき人柄〉のゆえに自作不評に傷つきやすく〈大劇作家たらしめなかつた〉のではないか、〈加藤氏ほど心のきれいな人見たとがない〉と語り腐敗した人種の中で〈心やさしい詩人は、「理想劇場存在する国」へと旅立つた〉と加藤自殺追悼した加藤の死から間もない頃、矢代静一奥野健男は、三島から「僕のペンネームは魅死魔幽鬼尾にしたよ」と勘亭流書かれメモの字を見せられたされる

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