客観的とは? わかりやすく解説

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客観的

客観的とは

客観的とは、個人感情思い込みだけに寄らず事実や外から確認できる情報もとづいて物事を見る姿勢考え方を指す言葉である。自分にとってどう感じるかではなく他人から見てある程度共有できる根拠があるかどうか重視する点に特徴がある。日常会話でもビジネスでもよく使われるが、実際には「完全に感情をなくすこと」ではなく主観偏りすぎないよう意識することを意味する場合が多い。

客観的の意味

客観的の意味は、対象自分好み感情から少し離して外側か捉えることである。たとえば、好き嫌い判断するではなく数字事実行動結果などを見て考えるときに「客観的である」と言う。ただし、人が判断する以上、完全に主観ゼロにすることは難しいため、実際には「できるだけ偏らずに見る」という意味で使われることが多い。

客観的に見るとは

客観的に見るとは、自分立場感情をいったん脇に置いて何が起きているのかを冷静に捉えることである。たとえば、人間関係もめごとでも、自分が傷ついた気持ちだけでなく、相手言動状況前提事実関係分けて考えることがこれに近い。つまり、客観的に見るとは、ただ冷たい態度を取ることではなく判断材料整理して見ることである。

主観と客観の違い

主観は、自分感情経験好み立場から見た捉え方である。一方で客観は、できるだけ個人感じ方から離れ誰が見て確認しやすい事実根拠重視する見方である。たとえば「この映画は最高である」は主観であり、「この映画興行収入が高い」は客観に近い。つまり主観内側からの見方客観外側からの見方考えると分かりやすい

客観的な意見とは

客観的な意見とは感想だけで終わらず事実根拠添えて述べられ意見を指す。意見そのものは完全な事実ではないが、「なぜそう言えるのか」を説明できることで、主観だけの発言より説得力が出る。たとえば「よくないと思う」だけでは弱いが、「納期が三回遅れており、利用者の不満も増えているため問題がある」と言えば、より客観的に聞こえる。

客観的な評価とは

客観的な評価とは、人柄好き嫌い印象だけで決めるのではなく基準実績照らして判断することである。仕事なら成果期限品質数値行動記録など基準になりやすい。学校でも会社でも、評価が客観的であるほど納得感高まりやすいが、実際に評価する人の視点が入るため、完全な客観だけで成り立つわけではない

客観的に自分を見るとは

客観的に自分を見るとは、自分気持ちだけで自己判断するではなく行動結果周囲からの見え方含めて自分捉えることである。たとえば「自分頑張っている」と感じていても、実際に何ができていて何ができていないかを整理することが必要になる。これは自分厳しく責めることではなく自分の状態を現実に近い形で把握することを意味する

客観的になる方法

客観的になるには、まず感情事実分けて考えることが大切である。次に数字記録他人視点時間置いた振り返りなどを使うと、自分思い込み気づきやすくなるまた、「私はこう感じた」と「実際に起きたこと」を別々に整理するだけでも、かなり見え方が変わる。客観性才能というより、考え方訓練に近い。

客観的と冷たいの違い

客観的であることは、冷たいことと同じではない。冷たさ感情配慮乏しさとして受け取られやすいが、客観的であることは、感情流されずに状況正確に捉えようとする態度である。相手共感しつつ事実整理できる人は、むしろ客観性が高いと言える。つまり、客観的とは無感情であることではなく感情だけで判断しないことである。

客観的を使うときの注意点

客観的に言うと」と言えば何でも正しく見えわけではない実際には、自分では客観的なつもりでも、前提立場偏っていることはよくある。そのため、この言葉を使うときは、何を根拠そう言うのかまで示したほうが説得力がある。客観的という言葉は便利であるが、それ自体正しさ保証する魔法の言葉ではない。

客観的


客観的

読み方:きゃっかんてき

「客観的」とは、当事者でない第三者観点から物事見て判断するさま、または、第三者が妥当と判断できるだけの根拠があるさま、を意味する表現である。もっぱら主観的」と対比される

「客観的」には「事実世論などの第三者観点基準とする」「個人立場感情解釈経験嗜好といった主観依拠する要因一切排除する」という意味合い含まれる

主観的な判断は、人それぞれであるため、人によって意見分かれた利害対立したりすることも多い。公平性重視される協議の場や、学問などの普遍性重視される分野においては情報判断が客観的であることが大前提として求められる

客観的な情報判断は、公平、普遍的、あるいは、常識的である。ただし個人本質的な意味における「客観」を行うことは不可能であり、ただ「できるだけ主観排除して客観心がける」ことが可能であるにすぎない

「客観的」の意味をわかりやすく言うと

要するに「客観的」とは、自分特定の個人事情意見とらわれず、「周りの人がどう判断するか」あるいは「周りの人も同じよう判断できるか」という観点物事捉えるということである。

個人感想印象好き嫌いは「主観的な判断」である。「何も事情知らない周り多くの人はこう感じるだろう」という物の見方は「客観的な判断」である。計測して得られ数値は「客観的なデータ」である。

「客観的」の語源・由来

客観(的)」という言葉は、文明開化経て西欧から伝来した概念訳語として考案された「和製漢語」である。おそらく英語の objectドイツ語の Objekt)の訳語であろう

漢字の「客」は「主」の対義語としての意味を持つ。「主」は「自己そのもの」であり、働きかける主体である。「客」は「主体外側」にあるものを意味する字として対比できる。

「客観的」の類語

「客観的」の類語は、文脈にもよるが、「公平」「平等」「中立的」「俯瞰的」「第三者的」などの表現挙げられる

「公平」や「平等」「中立的」は、偏りがない、差別がない、えこひいきしない、という意味のある表現である。つまり「誰か肩入れしたくなるような主観排除した判断」という意味で「客観的」の言い換え表現として使える

俯瞰的」は、「広い視野持って巨視的に物事捉えるさま」を形容する表現である。広い視野を持つということは個人の(主観的な視野超えて第三者観点物事捉えるということであり、おのずから客観的な性質帯びる。

「客観的」の対義語

「客観的」の対義語は、第一に主観的」である。

主観的」は「主観基づいているさま」を意味する語であり、「当事者個人感情経験などに基づく判断考え方」を形容する言葉である。主観的な情報は、「他の誰か客観的な第三者)」や「事実データ客観的な情報)」とは食い違うこともある。

「客観的」の対義語である「主観的」が、「主観にしか立脚できず客観視できない」という状況であるならば、「視野狭窄的」とも表現しうる。この場合視野狭窄的」は「客観的」の対義語として位置づけられる。

「客観的」を含む熟語・言い回し

「客観的に(~する)」

客観的に」とは、「個人好みとは無関係に誰か見て納得できるような形で(行う)」、という意味で用いられる表現である。

「自分を客観的に見る」

自分客観的に見る」とは、自分好み考え方できるだけ遠ざけてできるだけ第三者目線で、冷静に自分性格・能力傾向など観察分析するということである。認知心理学における「メタ認知」の分かりやすい言い方として用いられることも多い。

自分客観的に見る能力ある程度あると、自己評価周り評価とのギャップに気づいたり、自らの長所・短所改善できる点を発見できたり、自己適切に抑制できたり、といった点につながりやすく、自己肯定感の向上や社会との協調円滑化が図りやすくなる

きゃっかん‐てき〔キヤククワン‐〕【客観的】

読み方:きゃっかんてき

形動

主観または主体離れて独立存在するさま。⇔主観的

特定の立場とらわれず物事見た考えたりするさま。「―な意見」「―に描写する」⇔主観的


客観的

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主体と客体

(客観的 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/03/11 01:08 UTC 版)

ここでは哲学における主体と客体(しゅたいときゃくたい)および主観と客観: subject and object)について説明する[注釈 1]

概説

これらの用語や概念がどのような経緯で用いられ、指す内容がどのように変化してきたかについて、これまで現代人の哲学的知識とは異なることが起きてきた。これら主観客観といった用語について、古代から近代にかけての意味や対応関係の変遷、近代以降まで、時系列を追って解説する。

古代から近代初頭

アリストテレスの段階

アリストテレス: ὑποκείμενον 英語表記: Hypokeimenon ヒュポケイメノン、という用語を用いた。ヒュポケイメノンは、ヒュポ+ケイメノン =下に + 置かれたもの、という意味の語である[1]。アリストテレスはantikeimemonという言葉も用いていた[1]。これは「向こうがわに置かれたもの」という意味である。antikeimenon は『形而上学』においては、複数形で登場し、「たがいに対立しあうもの」という意味で用いられ[1]Περὶ Ψυχῆςペリ・プシュケース』では単数形で登場し、「思考や感覚の働きに対置されるもの」という意味に使われた[1]

アリストテレスにおいては hypokeimenon と antikeimemon は特に対をなしていたわけではない[1]

ラテン語への翻訳

アリストテレスの「hypokeimenon」は、属性の担い手である「基体」や文法上の主語を意味し、中世ヨーロッパで subiectum、substratum、substantia、suppositum などとラテン語訳された[1]。アリストテレス『形而上学』における「antikeimemon」はラテン語では opposita と訳され[1]、『ペリ・プシュケース』の単数形の「antikeimemon」は obiectum と訳された。

中世から近世初頭にかけて使われたラテン語 subjectum と obiectumも、アリストテレスと同じく、対概念を成していたわけではない[1]

subiectum と obiectivus の意味の相互に異なる変遷

hypokeimenon およびそれのラテン語訳 subiectum は、古代ギリシアからヨーロッパ近代初頭までは、一貫して属性を担う「基体」や文の「主語」を意味しており[1]カント以降の「主観」という意味はまったく含まれておらず、むしろ「基体」という意味で subiectum は心の外にそれ自体で自存するものである[1]

obiectivus は意味がかなり変遷した。アリストテレスにおいて antikeimenon が「対象」を意味したが、ラテン語に翻訳された obiectivus は中世のスコラ学近代初頭の哲学において「知性に投影されたもの (quod obiicitur intellectui)」を意味するようになった[1]

このことは、ドゥンス・スコトゥスが obiectum の語で志向的対象=表象を意味していることからもわかるし、デカルトスピノザにおいてrealitas obiectiva が realitas actualis(現実的事象内容)や realitas formalis(形相的事象内容)と対比的に、「単に表象されたかぎりでの事象内容」つまり可能的事象内容を意味していることからもわかる[1]

中世から近代初頭まで、subiectum のほうがそれ自体で存在する客観的存在者を意味し、obiectum のほうが主観的表象を意味していた[1]、しかし、これがカントのころから意味が逆転し[1]、ラテン語の subiectum と obiectum がドイツ語に訳された Subjekt と Objekt が、カントあたりでそれぞれ現在のような「主観」と「客観」を意味し、さらに二つの用語・概念が対をなした[1]

近代初頭以降

subject

現象の属性・形質・様態は変化しうるものであるから、その同一性を担うものではあり得ない、という分析から、それらの特性を皿やお盆や机のように上に載せている且つ下に置かれたものがあって、載せられたものは変化するが載せている側のものは不変である、という発想が生じ、こうして現象(の同一性)の基盤であって、それ自体は現象としては現れない、実体という概念が立てられた。なお、この発想は主語と述語、という印欧語に特徴的な文法構造にも影響されている。

デカルトの懐疑論的な、現象主義の枠組みにおいては、認識の向こう側に存在する外在的な実体というものが方法論的に疑われた。かわりに、いわば認識の手前に位置するコギト(思惟)する我 (ego) こそが、現象や観念 (idea) の基体 (subject) であると、すなわちその同一性を担う存立基盤であると、見なされた。この傾向はカントにおいてよりはっきりと顕著になる。

ヘーゲルにおいて、このsubjectが認識論的なだけでなく実践的な対立矛盾の相において把握されることになり、言語哲学的な表現をすれば文の主語としてのsubjectから発話の主としてのsubjectへと移行し、この意味合いで特に主体の訳語を受け取ることとなった。

object

ここで、object に客観の意味が発生した。


客観と主観は、この世界の様態を捉えるために広く用いられる、基本的な枠組みのひとつである。世界を構成するものとして、「見る側のもの、知る側のもの(主体)」と「見られるもの、知られるもの(客体)」の2種類の存在を認める。

  • 客体とは感覚を通して知ることができるものであり、いわゆる物である。
  • 主体とは感覚を受け取るものであり、意識である。

この枠組みを肯定し、主体と客体はいずれか一方を他方に解消することができないと考える哲学的な立場を主客二元論と呼ぶ。これに対し、全ては物質的な存在やそれらが引き起こす出来事であるとする立場は唯物論と呼ばれる。

全てが意識の産物であって、外界や物質的存在があることを認めない、あるいは強く疑う立場は独我論、唯我論などと呼ばれる。ヴェーダの宗教などでは、主体と客体の分離が消失する場合があるとし、それを重視する考え方もある。「主客一体」「梵我一如」など称する。

いずれの立場も、他の2者を意識しつつ構築されることが多く、主体と客体という分類枠組みは、肯定されるにせよ否定されるにせよ、ある程度理解、共有されている。

しかし仏教、特に中観派においては、主体と客体というような二項対立的な見方を謬見として徹底的に斥ける。この延長線上で実践したのが中国唐代の禅宗であり、彼らの目標は「主と客」という意識(念)の起きる以前の意識の探求であった。ヨーロッパにおける脱近代の思潮にもこのような見方があることも特筆しなければならない。

これらとよく似た、関連の深い区別が、認識論の領域においても存在している。主観と客観の区別である。

主体と客体は、上述のように世界のありさまを捉えるための枠組みだが、同様の、密接に関連した区別が人間のありさまを捉えるためにしばしば用いられる。意識や心と身体との区別である。哲学的には、両者の区別を肯定、前提する立場は実体二元論と称する。

科学的な研究は、通常、物質的な存在、事象の観察と理論化を通じて行われる。社会科学でも、そのような経験論的アプローチをとる学問は多い。直接観察できない事象については言及、仮構を控える行動論主義のような立場もある。こうした認識論的な態度を一般に客観主義と呼ぶ。この立場の特徴は物事についての客観的な事実を確定することを研究の目標とし、それが可能であると考える立場である。

それに対し、内省や内観を重んじる立場もある。フッサール現象学やその成立にも影響を与えている心理学の一部、宗教的瞑想などは、物事の真理に到達するために観察ではなく意識や自己のあり方、理解や直観の性質を考察する。これは一見奇妙なアプローチだが、人が通常客観的な存在だと前提している物事が、よく吟味してみるとそうとは言えない、といった点を明らかにする効果などがあり、必ずしも無意味な思弁に終始するとは限らない。

カントのように人間は特定の形式(時間と空間)に沿ってしか現象を認識できず、ありのままの事物(物自体、Ding an sich)を知ることは不可能である、と考えることは現代においても比較的広く受け入れられている発想である。必ずしも物事の直接的な観察に基づく研究ではない数学が現代科学で決定的な役割を果たしていることは、しばしばこれと関連づけられる。

用語法

客観的実在と主観的実在

主観と客観を論じるにあたっては、いくつかの伝統的な用語法が用いられている。多くの哲学者は、客観的実在という用語を、意識から独立して存在している事物を指すために用いている。これに対して、主観的実在とは、広い意味での意識に依存する事物を意味する。例えば、知覚されている色や音は、それらが意識作用に服している限りにおいて実在する。この他にも、とりわけ幸福や悲嘆などの感情は主観的実在であると考えられる。

客観的知識と主観的知識

客観的知識とは、文字通り客観的実在に関する知識である。これに対して、主観的知識とは、主観的実在に関する知識である。

他方で、別の用法によれば、主観的知識とは、ある個人の主観的状態に関する知識である。このような知識は、他者の主観的状態に関する知識から区別され、当然に、客観的知識からも区別される。このような定義の下では、他者の主観的知識も客観的知識に属する。なぜなら、他者の主観的状態は私の主観的状態から独立しているからである。つまり、他者の主観的状態は、それが私の知覚に依存していない意味で、私から見れば客観の一種である。

最後に、最もよく知られている用語法は、ある主張が有する論拠との関連で用いられ、この場合には、客観的知識とは十分に根拠付けられた知識を言い、反対に主観的知識とは不十分にあるいはほとんど根拠付けられていない知識を言う。客観的に強力な論拠に支えられた判断や信念は、客観的判断ないし客観的信念とも言われ、理性的存在一般にとって満足のいく証拠にもとづいている。これに対して、主観的判断ないし主観的信念とは、理性的存在一般が納得するわけでないような証拠にもとづくものである。これには、必然的に特定の人物(単・複)にしか利用可能でない証拠にもとづくものも含まれる。

特殊な用語法

法学の分野では、主観とは通常、事件の当事者が契約不法行為あるいは犯罪行為にあたってどのような認識や判断を持っていたのかという意味で用いられ、逆に客観とは、当事者ではなく第三者が行為時にその契約や行為を冷静に見たならばどのように見えたのかという意味で用いられる。つまり、このような用語法においては、主観とは訴訟当事者のないし関係者の判断のことであり、客観とは部外者としての通常一般人の判断のことである。例えば、瑕疵担保における価値の主観説と客観説は、前者は訴訟当事者がいくらと評価したかであり、後者は市場がいくらと評価するかである。

映像手法における主観 (Point-of-view shot) は、登場人物の視点で撮影された映像を指す。ホラー映画アダルトビデオなどの映像作品で、視聴者に臨場感を与える際に用いる。

脚注

注釈

  1. ^ 『岩波 哲学・思想事典』では、「主体」や「客体」という記事は立てられておらず、【主観】という記事で解説されている。平凡社『哲学事典』でも同様に、【主観】という項目で解説されている。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『岩波 哲学・思想事典』pp.734-735【主観】

関連項目

外部リンク


客観的

出典:『Wiktionary』 (2021/11/17 23:45 UTC 版)

この単語漢字
きゃく > きゃっ
第三学年
かん
第四学年
てき
第四学年
呉音 音読み 漢音

発音

形容動詞

客観 きゃっかんてき

  1. 誰が見てもっともだ納得できる考え方をする様子
  2. 個人考えより、普遍的な妥当性を求められるさま。主観から独立して存在するさま。

活用

対義語


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