自尊心、自己評価
自己評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/02 14:18 UTC 版)
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自己評価(じこひょうか)とは、自分で自分についての評価(吟味)をする機能/システムのことを指す。この場合の「自己評価(する)」は英語で「self-evaluation」という。反対語は他者評価。
なお、自分に対する評価そのものとして、自己肯定感(自尊感情)を持つことについて用いられることもある。この場合の「自己評価(が高い/低い)」は英語で「self-esteem」といい、自尊心を持つことを指す。主観的で肯定的な自己評価を自信という場合もある。コア自己評価が高い人は、その後の人生でより成功する傾向がある[1]。
自分自身を評価するという文脈における自己評価とは、自尊心的な意味でその自らの評価を肯定するとか否定するなどといった意味ではなく、社会において自らから生み出したものを評価することでよりよい物を生産したりすることができるという文脈などで用いられる用語である。もっとも、自尊感情と自己評価は連関しているという指摘はあり、社会心理学では「SEMモデル (Self-evaluation maintenance model)」といって自己評価を高く保とうとするシステムの存在を指摘している。自己評価は会社経営や学校教育など様々な分野で役立つ事も多いとされる[要出典]。
関連項目
出典
自己評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 10:21 UTC 版)
船井は、人からよく「神がかっている」「オカルト的だ」「宗教的であって非科学的だ」と批判されるが、そう言った評価は適切なものではないと反論しており、自説は非合理な信仰をそのまま説く宗教とは異なるもので、合理性を重んじるスピリチュアリティなのだと主張している。船井は、ヨーガや健康法の先駆者の中村天風を論理的な人間だと考えており、自分は中村と同じように論理的な人間なのだと主張している。自分は直感力が優れているほうだが、意味を論理的に納得するまで納得せず、あまり人には話さないのだという。自分は宗教家ではなく、他者の意見や忠告は素直に聞くが、他者に意思決定をしてもらうことはなく、「どんなことも現実的に客観的に判断する人間」で、特に「占い」や「オカルト」とはこの点で全く無縁の人間なのだと自己評価している。 自身については、「第3者が99.9%以上信用できると判断していること以外は、ふつうの人にとって、(1)常識外れのこと、(2)目に見えないこと、(3)耳にきこえないこと は言ったり、書いたりしないこと」ということを守ってきた、ただし「絶対信用できると思えることは別」で、「フシギなこと、びっくりする事実を話したり書いたりするのはいいこと」であり、船井とっては「日月神示」や「聖書の暗号」、佐藤政二、近藤和子、神坂新太の主張のようなものは信頼できるため言ってもかまわない、としている。 亡くなる直前の2014年1月6日に自身サイトの記事でも、「いまの世の中は、スピリチュアルなこととか食とか遊びなど、どうでもいいことに浮かれている人に、かなり焦点が当っています。一度そのようなどうでもいいことは忘れ、現実人間にもどってほしいのです。」「いまさらスピリチュアルやおいしいものに夢中になるという時ではありません。ぜひ生きるのに必要なことに今年は全力投球をしてください。」と、スピリチュアル否定・オカルト否定的とも読めることを語っていた。「本当のことを実感として知り、それの可否を調べることだと思います。マスメディアの発言は半分は問題外にしてください。それよりも自分の感覚でつかんで、調べ、そして本当のことを知ってほしいのです。現実に地に足をつけて考えてほしいのです。」と述べているが、同じ記事で、世界文明の起源は日本であり、 大国主神・神武天皇・イエス・キリストが同一人物だと主張するトンデモ本を推薦しており、船井の言う「論理的」「現実的」「客観的」等の意味は判然としない。
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「自己評価」の例文・使い方・用例・文例
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