じんむ‐てんのう〔‐テンワウ〕【神武天皇】
神武天皇
「はつくにしらすすめらみこと」と称されている。
高天原から天降ったニニギの曾孫で、兄五瀬命らと語らい東の美しい土地を目指して日向から宇佐・筑紫をを経由して瀬戸内海に入り大和をめざした。
河内に至り、その地の先住民(?)の長髄彦がおり孔舎衛坂で戦いとなった。
戦いは神武一行に不利で兄の五瀬命を戦いで失い、また暴風雨に遭って海神を鎮めようとして稲氷命と御毛沼命の両兄が海中に身を投じた。
神武は日の神の啓示により日に向かって戦うことの益なきことを悟り、紀州へと迂回した。
その後熊野の荒坂津に上陸して一路大和を目指した。
途中ヤタガラスらの導きもあってようやく畿内大和に入った。
そこで長髄彦と戦いになったが饒速日命が神武を天神の子孫と認めて長髄彦を殺して帰順したのでようやく戦いは収まった。
しかし、神武の行く手はまだまだ困難が伴った。
橿原宮で即位して初代天皇がここに誕生した。
第1代天皇 | |
天皇名 | 神武天皇 |
読み方 | じんむてんのう |
名・諱等 | 神日本磐余彦尊 |
読み方 | かんやまといわれひこのみこと |
時代区分 | 神代 |
天皇在位 | 前660?年から前585?年 |
生年 | 生年不詳 |
没年 | 没年不詳 |
父 | 鵜葺草葺不合命 |
母 | 玉依毘売命 |
兄弟 | 五瀬命・稲氷命・御毛沼命 |
配偶者 | 媛蹈韃五十鈴媛命 |
皇子女 | 神渟名川耳命 |
即位宮 | 橿原宮 |
天皇陵 | 畝傍山東北陵 |
所在地 | 奈良県橿原市大久保町 |
神武天皇 畝傍山東北陵
(じんむてんのう うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)
神武天皇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/13 08:09 UTC 版)
神武天皇(じんむてんのう、旧字体: 神󠄀武天皇、庚午年1月1日[1] - 神武天皇76年3月11日[2])は、初代天皇(在位:神武天皇元年1月1日〉 - 神武天皇76年3月11日[2])とされる日本神話(『古事記』・『日本書紀』(記紀))上の伝説上の人物である[注 2][3]。
注釈
- ^ a b c 『日本書紀』の記載から換算すれば、紀元前711年2月13日となる。
- ^ 実在していたかどうか様々な説があるが、実在しない伝説上の人物であるとする説が一般であり、通説である。
- ^ 神武天皇自身は瓊瓊杵尊を「天祖」と呼び、『日本書紀』は神代下の冒頭で高皇産霊尊を「皇祖」と記している。
- ^ 初代天皇の立太子は明らかに不合理であるが、父の彦波瀲武鸕鶿草葺不合命を天皇に準じて扱ったとも見られる。父がいつ崩御したかの記述は無いが、東征開始時に父を「皇考」(亡父の意)と呼んでおり、これ以前に崩じたと見られる。
- ^ 『日本書紀』の記載から換算すれば、紀元前697年となる。
- ^ 干支年は、後漢の建武26年(50年)に三統暦の超辰法をやめ(元和2年に正式改暦)以降は60の周期で単純に繰り返している。
- ^ 天文学上の記法では-659年2月18日、ユリウス通日は1480407となる。
出典
- ^ a b c d 『本朝皇胤紹運録』。
- ^ a b c 『日本書紀』による。
- ^ (井上 1973)P275
- ^ 上田正昭 「諡」『日本古代史大辞典』 大和書房、2006年。
- ^ 『日本書紀(一)』岩波書店 ISBN 9784003000410
- ^ 畝傍橿原宮(国史).
- ^ 「生命の教育」 平成8年5月号、季刊『生きる知恵』第9号「科学的根拠のある神武天皇伝説」東神会出版室
- ^ 樋口清之「日本古典の信憑性-神武天皇紀と考古学」『現代神道研究集成9巻』 神社新報社 1998年
- ^ a b “陵墓の治定と祭祀に関する第三回質問主意書”. 衆議院 (2010年11月30日). 2018年9月1日閲覧。
- ^ 『陵墓地形図集成 縮小版』 宮内庁書陵部陵墓課編、学生社、2014年、p. 400。
- ^ 天皇陵(宮内庁)。
- ^ 宮内省諸陵寮編『陵墓要覧』(1934年、国立国会図書館デジタルコレクション)8コマ。
- ^ 畝傍山東北陵(国史).
- ^ 『日本書紀』、巻第28
- ^ 真実からやっと神話へ『朝日新聞』1976年(昭和51年)3月1日朝刊、11版、9面
- ^ 田中卓『日本国家の成立』1992年。
- ^ 宝賀寿男『「神武東征」の原像』青垣出版、2006年。
- ^ 久保田穰『古代史における論理と空想 邪馬台国のことなど』大和書房、1992年。
- ^ 志賀剛「大和朝廷の起源と発生」『日本の神々と建国神話』雄山閣出版、1991。
- ^ 武光誠『日本誕生』、1991年。
- ^ 「神武天皇論」国書刊行会 2020-6
- ^ 『国史大辞典』吉川弘文出版。
- ^ “Oldest ruling house”. ギネス世界記録. 2021年6月26日閲覧。
神武天皇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 07:02 UTC 版)
『日本書紀』の記述によれば、神武東征のおり、長髄彦軍と孔舎衛において戦い(孔舎衛の戦い)、五瀬命が流れ矢で致命傷を受けたことが記されている。また神武東征の際、女性部隊も存在し、戊午の年9月5日条に、「女軍(めのいくさ)」を女坂に置き、11月7日条では、女軍を進ませ、敵は大兵が来たと思って、尽力して迎え討ったとある。官軍が女兵を用いた初例とされる。
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