皇子女
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 05:31 UTC 版)
夫の上皇明仁との間に、2男1女の3子を出産しもうける。 諱誕生時の身位生年月日御称号続柄現在 .mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}徳仁(なるひと) 親王 昭和35年(1960年)2月23日(62歳) 浩宮(ひろのみや) 第1皇男子(第1子) 今上天皇(第126代天皇)小和田雅子と結婚。后妃:皇后雅子子女:1女(1人)。 文仁(ふみひと) 親王 昭和40年(1965年)11月30日(56歳) 礼宮(あやのみや) 第2皇男子(第2子) 秋篠宮文仁親王秋篠宮家(あきしののみや)当主かつ皇嗣(皇位継承順位第1位)川嶋紀子と結婚。后妃:(皇嗣妃) 文仁親王妃紀子子女:1男2女(3人)。 清子(さやこ) 内親王 昭和44年(1969年)4月18日(53歳) 紀宮(のりのみや) 第1皇女子(第3子) 黒田慶樹と結婚。黒田家に降嫁し皇籍離脱以後、黒田清子(姓読み:くろだ)。子女:無し。
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皇子女
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 02:48 UTC 版)
皇后雅子との間に、1女(1人)がいる。明仁(上皇、第125代天皇)の皇孫にあたる。 諱及び身位生年月日 / 年齢御称号続柄 愛子(あいこ)内親王 平成13年(2001年)12月1日(20歳) 敬宮(としのみや) 第1皇女子(第1子)
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皇子女
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/29 09:12 UTC 版)
第一皇子…朱雀帝 第二皇子…光源氏 第四皇子…四の宮。「紅葉賀」に名が見える。 第八皇子…宇治八の宮。東宮時代の冷泉帝を廃しようとする陰謀に巻き込まれ隠棲。宇治十帖にのみ登場する。宇治の大君、中君、浮舟の父。 第十皇子…冷泉帝(実父は光源氏) 第?皇子…蛍兵部卿宮。光源氏の養女玉鬘に思いを寄せる。女三宮の婿候補にも挙がる。「絵合」「梅枝」では判者を務めるなど、風流人。 第?皇子…帥宮(蛍兵部卿宮とは別人)。「蛍」に名が見える。 第?皇子…蜻蛉式部卿宮。「蜻蛉」に名が見える。 第一皇女…女一宮。一品宮。母・弘徽殿女御。 第三皇女…女三宮。斎院。母・弘徽殿女御。
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皇子女
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/17 15:31 UTC 版)
第一皇子…大君腹。「竹河」で誕生。 第一皇女…弘徽殿女御腹。 第二皇女…大君腹。「竹河」で誕生。
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皇子女
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/10 09:58 UTC 版)
第一皇子…冷泉帝の東宮。「若菜下」で即位、今上帝。 第一皇女…女一宮。「若菜上」に名が見える。 第二皇女…女二宮(落葉の宮)。「若菜下」で柏木に降嫁、柏木死去後は夕霧と結婚。 第三皇女…女三宮。「若菜上」で光源氏に降嫁、正室となる。薫の母。 第四皇女…女四宮。「若菜上」に名が見える。
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皇子女
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 15:55 UTC 版)
福慶公主 (洵美帝姫)、母は皇后孟氏。2歳で夭折した。 陳国長公主 (淑和帝姫)、石端礼に降嫁した。 秦国長公主 (淑慎帝姫)、潘正夫に降嫁した。 懿寧公主 (純美帝姫)、母は昭懐皇后劉氏。2歳で夭折した。 献愍太子 趙茂、母は昭懐皇后劉氏。2カ月で夭折し、名と位号を追贈した。
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皇子女
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 16:27 UTC 版)
昭和天皇との間に、2男5女の7人の皇子女を出産し儲ける。うち成人したのは、2男4女の6人。 2020年(令和2年)4月1日現在、3女は故人、第四皇女子(第4子)以降の4人の子女(2男2女)は80歳以上で存命中である。 御称号及び諱・身位読み生年月日没年月日続柄備考 照宮成子内親王 てるのみや しげこ 1925年(大正14年)12月6日 1961年(昭和36年)7月23日(満35歳没) 第一皇女子(第1子) 盛厚王(東久邇宮家)と結婚後、盛厚王妃成子内親王となる。戦後の皇籍離脱後は、東久邇成子(姓読み:ひがしくに)となる。子女:3男2女(5人)。 久宮祐子内親王 ひさのみや さちこ 1927年(昭和2年)9月10日 1928年(昭和3年)3月8日(満0歳没) 第二皇女子(第2子) 久宮祐子内親王、夭折。子女:無し。 孝宮和子内親王 たかのみや かずこ 1929年(昭和4年)9月30日 1989年(平成元年)5月26日(満59歳没) 第三皇女子(第3子) 鷹司平通と結婚皇籍離脱後、鷹司和子(姓読み:たかつかさ)となる。(皇室典範第12条の規定による)子女:無し、養子:1男(1人)。 順宮厚子内親王 よりのみや あつこ 1931年(昭和6年)3月7日 存命中(91歳) 第四皇女子(第4子) 池田隆政と結婚皇籍離脱後、池田厚子(姓読み:いけだ)となる。(皇室典範第12条の規定による)子女:無し。 継宮明仁親王 つぐのみや あきひと 1933年(昭和8年)12月23日 存命中(88歳) 第一皇男子(第5子) 正田美智子と結婚(→皇太子妃→皇后→上皇后美智子)明仁(第125代天皇)1989年(昭和64年)1月7日:父である昭和天皇の崩御に伴い、即位(皇位継承:践祚)。2019年(平成31年)4月30日に退位(譲位)、上皇 (天皇退位特例法):2019年(令和元年)5月1日 - 。子女:2男1女(3人)。 義宮正仁親王 よしのみや まさひと 1935年(昭和10年)11月28日 存命中(86歳) 第二皇男子(第6子) 津軽華子(旧姓読み:つがる)と結婚(→正仁親王妃華子)。常陸宮正仁親王(常陸宮当主)皇位継承順位第3位。子女:無し。 清宮貴子内親王 すがのみや たかこ 1939年(昭和14年)3月2日 存命中(83歳) 第五皇女子(第7子) 島津久永と結婚皇籍離脱後、島津貴子(姓読み:しまづ)となる。(皇室典範第12条の規定による)子女:1男(1人)。
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皇子女
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 01:40 UTC 版)
香淳皇后(良子女王)との間に2男5女の7人の子女をもうけた。うち夭折した第二皇女子(第2子)を除き、6人が成人した。 誕生時の御称号、諱、誕生時の身位読み生年月日没年月日続柄備考 照宮成子内親王 てるのみや しげこ 1925年〈大正14年〉12月6日 1961年〈昭和36年〉7月23日(満35歳没) 第一皇女子(第1子) 盛厚王(東久邇宮)と結婚後、盛厚王妃成子内親王となる。戦後の皇籍離脱後は、東久邇成子(姓読み:ひがしくに)となる。子女:3男2女(5人)。 久宮祐子内親王 ひさのみや さちこ 1927年〈昭和2年〉9月10日 1928年〈昭和3年〉3月8日(満0歳没) 第二皇女子(第2子) 久宮祐子内親王、夭折。子女:無し。 孝宮和子内親王 たかのみや かずこ 1929年〈昭和4年〉9月30日 1989年〈平成元年〉5月26日(満59歳没) 第三皇女子(第3子) 鷹司平通と結婚皇籍離脱後、鷹司和子(姓読み:たかつかさ)となる。(皇室典範第12条の規定による)子女:無し、養子:1男(1人)。 順宮厚子内親王 よりのみや あつこ 1931年〈昭和6年〉3月7日 存命中(91歳) 第四皇女子(第4子) 池田隆政と結婚皇籍離脱後、池田厚子(姓読み:いけだ)となる。(皇室典範第12条の規定による)子女:無し。 継宮明仁親王 つぐのみや あきひと 1933年〈昭和8年〉12月23日 存命中(88歳) 第一皇男子(第5子) 正田美智子と結婚(→皇太子妃→皇后→上皇后)明仁(第125代天皇、現上皇)1989年(昭和64年)1月7日:父である昭和天皇の崩御に伴い、即位(皇位継承:践祚)。2019年(平成31年)4月30日に退位(譲位)。子女:2男1女(3人)。 義宮正仁親王 よしのみや まさひと 1935年〈昭和10年〉11月28日 存命中(86歳) 第二皇男子(第6子) 津軽華子(旧姓読み:つがる)と結婚(→正仁親王妃華子)。正仁親王(常陸宮当主)皇位継承順位第3位。子女:無し。 清宮貴子内親王 すがのみや たかこ 1939年〈昭和14年〉3月2日 存命中(83歳) 第五皇女子(第7子) 島津久永と結婚皇籍離脱後、島津貴子(姓読み:しまづ)となる。(皇室典範第12条の規定による)子女:1男(1人)。
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皇子女
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 04:37 UTC 版)
徳仁(今上天皇、第126代天皇)との間に出産した子女、1女(1人)がいる。明仁(上皇、第125代天皇)と上皇后美智子の皇孫にあたる。 諱及び身位生年月日 / 年齢御称号続柄 愛子(あいこ)内親王 2001年(平成13年)12月1日(20歳) 敬宮(としのみや) 第1皇女子(第1子)
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