皇位継承順位第1位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 16:44 UTC 版)
「秩父宮雍仁親王」の記事における「皇位継承順位第1位」の解説
1926年(大正15年)12月25日の兄・昭和天皇の践祚から1933年(昭和8年)12月23日に甥の継宮明仁親王が誕生するまでの約7年弱の間、秩父宮は皇位継承順位第1位(推定相続人)であり、筆頭直宮家たる皇嗣であった。ただし、践祚した時点での年齢が昭和天皇は25歳・香淳皇后は23歳とまだ若く、後継の皇子が生まれる可能性があったため、皇太弟には冊立されていない。また、令和における皇嗣である秋篠宮文仁親王のように「立皇嗣の礼」などの、皇嗣を宣明する儀礼も行われていない。 旧皇室典範制定から現在まで、皇位継承順位第1位で天皇に即位しなければ皇太子にもならずに薨去した唯一の親王である。また、弟の高松宮宣仁親王、三笠宮崇仁親王と共に明治以降で初めての皇弟である(平成の時代には常陸宮正仁親王、令和の時代には秋篠宮文仁親王が皇弟である。うち秋篠宮文仁親王は後述の通り兄・徳仁の即位とともに皇位継承順位第1位の皇嗣となった)。 この次に皇位継承順位第1位の人物が皇弟で皇太子が空位となったケースは、2019年(令和元年)5月1日の第126代天皇徳仁即位から現在の秋篠宮文仁親王(天皇徳仁の弟、雍仁親王の大甥)である。
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