当代の天皇の呼称
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 14:18 UTC 版)
日本語では古くは「きんしょう」とも読んだ「今上(きんじょう、こんじょう)」という語は、古代中国の『史記』秦始皇本紀に「今上知天下(...略...)」と記述の見える漢語である。また、古代の日本ではこの熟字に大和言葉で「いまのうへ」(現代読みで『いまのうえ』)の読みも当てたともされる。これには、先にあった大和言葉「いまのうへ」に漢字を当てて「今上」という熟字を造ったと唱える研究者があって、しかし今では、漢意(からごころ)を排除しようとする国学の影響による学説と見なされている。 日本語におけるこの語「今上」は、これも日本語の「当今(とうぎん)」と同義である。また、『晋書』周馥伝に「西剋許聖上渡御后宮」という記述が見られ、天子を敬っていう「聖上(せいじょう)」は、日本に入っては結果的の同義語となる。中国古典に起源を見いだせず、『続日本紀』神護景雲2年条が初出かも知れない「主上(しゅじょう、古くは『しゅしょう』とも)」も、結果的同義語である。 一方、天皇は、文武両方でもって世界や反乱を治める偉業を累ね、死後に贈られる「諡号(おくり名)」であった。また、この制度は、大宝令を初出として公式令や義解に解説された漢土(中国)の制度の全くの摸倣であった。 日本や唐以前の中国では、敬意を示すものについてはっきりした言い方を持たない文化があり、当代の天皇の呼称もあまり発達しなかった。しかし、平成時代において先々代の大正天皇や先代の昭和天皇と並べて表記したい場合に、「今上」もしくは「今上陛下」では言葉のすわりがよくないことと、「今上天皇」と表記すると語感から客観的な表現に感じられるため、中立を求められる表現の中で使用される頻度が高くなってきた。また皇后美智子(現・上皇后美智子)も第125代天皇明仁を「今上陛下(きんじょうへいか)」と公の場では呼んでいた。 ここまで述べてきた「今上」と「天皇」を繋げた「今上天皇」という語は、いつの頃に成立したかはっきりしないが、同じ意味での言い回しということでは、正倉院文書の北倉文書の一つ『東大寺献物帳(とうだいじけんもつちょう)』の天平勝宝8年6月21日条(西暦換算:ユリウス暦756年7月22日条、先発グレゴリオ暦756年7月26日条)後文(跋文)に見られる「(...略...) 後太上天皇 天皇伝賜今上 今上謹献廬舎那仏」というくだりに初出と思しき例を確認できる。 敬称は、諸外国の国王・女王などと同様に「陛下(へいか)」が使われている(皇室典範で規定)が、今上天皇陛下とは言わず、「今上陛下(きんじょうへいか)」、「天皇陛下(てんのうへいか)」もしくは単に「陛下(へいか)」、「聖上(せいじょう)」、「主上(しゅじょう)」と呼ばれる。また、古い表現では「帝(みかど)」、「天子様(てんしさま)」と呼ばれる。 また、近代史上において治世を築いた歴代3人の天皇である明治天皇、大正天皇、昭和天皇などの呼称は、「一世一元の制」に基づいたうえで、それ自体に敬意が込められた追号であるため、昭和天皇陛下とも言わない(口頭では「昭和の天皇陛下」という言い方をすることがあるが、この場合の昭和は「昭和時代」の意であると解される。ただ、上皇后美智子は平成時代に義父にあたる昭和天皇を「先帝陛下(せんていへいか)」と公の場では呼んでいた他、「○○(元号)の天皇陛下」や明治天皇には「明治大帝陛下(めいじたいていへいか)」や「大帝陛下(たいていへいか)」などの使われ方がある)。 また、昭和天皇の崩御までの昭和期に皇太子(次期皇位継承者・皇位継承順位第1位)であった明仁の天皇即位から昭和天皇の追号が正式に定まるまでの間(なお天皇が崩御した後、追号が贈られるまでは大行天皇の呼称が公式に用いられる)、報道では、「明仁陛下(あきひとへいか)」の表現が用いられていた。
※この「当代の天皇の呼称」の解説は、「今上天皇」の解説の一部です。
「当代の天皇の呼称」を含む「今上天皇」の記事については、「今上天皇」の概要を参照ください。
- 当代の天皇の呼称のページへのリンク