『晋書』
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泰始二年(266年) - 倭の遣使が入貢。邪馬台国からの最後の入貢。
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『晋書』
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「倭・倭人関連の中国文献」の記事における「『晋書』」の解説
中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。晉書 『晋書』武帝紀 太康10年(289年)条 「東夷絶遠三十餘國 西南二十餘國來獻」 この絶遠の東夷に倭人が含まれていると見ることがある。倭人については東夷伝と武帝紀、倭国については安帝紀に書かれている。 邪馬台国についての直接の記述は無いが、魏の時代の倭人や卑弥呼については書かれている。また266年の「倭人」の朝貢は日本書紀の神功皇后紀に『晋起居注』(現存しない)から引用された「倭の女王」の記事と年次が一致するので、この女王は台与と考えられている。 266年に倭人が来て、円丘・方丘を南北郊に併せ、二至の祀りを二郊に合わせたと述べられ、前方後円墳のおこりを記したと解釈した一説が提示されている。 『晉書』四夷傳(東夷条) - ウェイバックマシン(1999年8月27日アーカイブ分) 『晉書』帝紀(抜粋) - ウェイバックマシン(1999年8月27日アーカイブ分)
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