紀伝体
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紀伝体(きでんたい)は、東アジアの歴史書の書式の一つ。中国の正史(いわゆる二十四史)はすべて紀伝体である。
注釈
- ^ 後漢書の光武本紀に倭王への漢委奴国王印下賜が書かれているなどがその例である。
- ^ 『宋史』巻一、本紀第一、太祖一には先祖が微官で猛将だった祖父が出世したことを述べたあと、趙匡胤が生まれた時に「赤光繞室,異香經宿不散,體有金色,三日不變。」とある。
- ^ このため、『三国志』には魏の重臣として魏の歴史を書くのに欠かせない存在であるはずの司馬懿や司馬昭などの伝は立てられていない(やがて書かれるはずの『晋書』の本紀に記載されるべき人物であるから。ただし、六朝時代の混乱ゆえに『晋書』の編纂は晋の滅亡の数百年後になった)。
- ^ 重複を避けるためもあって、一つの事柄を複数人の伝に書き分けたり不名誉な事柄を本人の伝に書かず他の箇所に書いたりする例があり、たとえば「三国志」では魏の曹仁が呉の朱桓に大敗したことは曹仁伝ではなく朱桓伝に記載されている[12]。
出典
- ^ a b 武田泰淳『司馬遷 史記の世界』中公文庫
- ^ a b c 岡田『世界史の誕生』ちくま文庫、元版は1992、筑摩書房
- ^ a b 『史記』(集英社・世界文学大辞典)執筆・福島吉彦、集英社、1998年
- ^ 『三国志』蜀書先主伝
- ^ 『三国志』呉書第一孫破虜討逆伝
- ^ 『三国志』呉書呉主伝
- ^ 『晋書』列伝第一・后妃上伝・宣穆張皇后伝
- ^ 『元史』列伝第一・后妃伝一・太祖后孛児台(ボルテ)旭真(ウジン)伝。旭真(ウジン)は漢語「夫人」に由来するモンゴル語で貴人の妻の敬称。
- ^ 飯田忠彦『大日本野史』第275巻任侠列伝、曽呂利新左衛門伝・前田利太伝。飯田忠彦『野史 第5巻 3版』日本随筆大成刊行会、昭和4-5、国立国会図書館デジタルコレクションより
- ^ 『宋書』倭国伝
- ^ 『宋史』巻四百九十一、列伝第二百五十、外国七・日本伝
- ^ 坂口和澄「正史三國志群雄銘銘伝」光人社、2005年、P375
- ^ 倉西裕子「『日本式紀伝体』は存在した - 二本の史書を一対とする編纂記述様式」『記紀はいかにして成立したか - 天の史書と地の史書』講談社選書メチエ、講談社、2004年、pp. 46-59。 ISBN 9784062583015
本紀(ほんぎ)
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皇帝や王などの支配者に関した出来事を年毎に記述する。『史記』の「高祖本紀」「秦始皇本紀」など。本来は必ずしも正統の天子についてのみの項ではなく、その勢力が天下を覆う者についても立てられた。『史記』の「項羽本紀」などがその例である。『漢書』は「帝紀」と「后紀」の二本立てになっている。『史記』の「秦本紀」、『三国志』の「武帝紀」など、本人が生前に皇帝を名乗っていなくとも子孫が皇帝となり帝号を贈られた場合は本紀に入れる慣例がある。
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本紀(『元朝実録』他)
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『進元史表』には「上は太祖(チンギス・カン)より下は寧宗(リンチェンパル・カアン)まで、十三朝実録の文に拠り百巻余りの粗完の史を成す」とあり、『元史』の雛形が「十三朝実録」すなわち太祖・太宗・定宗・憲宗・世祖・成宗・武宗・仁宗・英宗・泰定帝・明宗・文宗・寧宗ら元朝の歴代実録を原史料に編纂されたものであったとわかる。 元朝の実録は世祖クビライの治世に編纂が始まったがクビライの存命中には完成せず、成宗テムルの治世に始めて『世祖実録』並びに『太祖実録』・『太宗実録』・『定宗実録』・『睿宗実録』・『憲宗実録』が完成した。以後、元朝の歴代皇帝は前代の皇帝の実録を編纂するのが慣例となり、明朝の時代には「十三朝実録」が残されるに至った。 この『元朝実録』は散逸して現存していないが、『元史』各本紀が各『実録』の性格をそのまま引き継いでいるであろうことは多くの研究者が指摘している。すなわち、各朝『実録』は今上帝が先帝の事蹟を纏めて編纂させるものであるため、基本的に「現政権にとって都合の悪い事実は記されない」という共通点を有しており、『元史』の各本紀もこの特徴を継承している。1例を挙げると、英宗政権によって編纂された『仁宗実録』を元とする「仁宗本紀」は、「仁宗が息子の英宗を即位させるため、武宗の諸子(後の明宗・文宗)を冷遇・排除した」事実を徹底的に排除して編纂されているが、逆に文宗政権によって編纂された英宗から明宗の『実録』を元にする本紀はその間の経緯を包み隠さず記している。 また、当然のことながら最後の皇帝ウカアト・カアン(順帝トゴン・テムル)には『実録』が存在せず、そのため第一次編纂の後に編纂官が各地で採録・収集した資料を元に編纂されている。このような編纂経緯のため「順帝本紀」は他の本紀に比べて記述に一貫性がなく、他の書物と比較検討なしに記事間の脈絡を見出すことはほとんど不可能と評されている。
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「本紀」の例文・使い方・用例・文例
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