平成
(平成時代 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/19 18:42 UTC 版)
注釈
- ^ 南北朝時代の北朝の元号を除くか含めるかによる。
- ^ 明仁が即位したのは昭和天皇崩御の時点である1989年(昭和64年)1月7日午前6時33分であり、同日中に新天皇の署名により「元号を改める政令 (昭和六十四年政令第一号)」が公布され、新元号に改元されたのは同政令の附則の施行期日の定めに基づき、即位の翌日の1月8日午前0時である。
- ^ ただし、『ドキュメント新元号平成』(「暗黙のうちにリードされた新元号案」毎日新聞政治部(著)、角川書店、1989年5月発行、34ページ)では、次のように記述されている。
結果的には、懇談会の多数意見、という理由で「平成」が新元号に決まっていったのだが、注目されるのは、懇談会の席上、アルファベット表記した場合に「修文」「正化」はSとなり、「昭和」と同じでまぎらわしいという指摘が議論の途中で出た点だ。
「明治」がM、「大正」がT、「昭和」がSということで、履歴書などの生年月日の欄が「M、T、S」と簡略化されて表記される例は多い。今回の改元にあたっても、コンピュータのプログラミング関係者を含め、Sで始まる案ははずすのが常識、という意見が根強くあっただけに、むしろ「修文」「正化」は初めからダミーで、「平成」が自動的に選ばれるよう仕組まれていたのではないか――という、見方も出ているのである。
〝アルファベット問題〟を持ち出した発言者が果たして誰だったのかは不明だが、「平成」に多数意見が集まる決め手の一つとなったのは間違いない。
また、『平成改元』(「第一章 ドキュメント『昭和最後の日』」読売新聞政治部(著)、行研 出版局、1989年6月発行、23~24ページ)は、次のように記述されている。
開会して二十分後、小渕は懇談会を中座、的場を伴って国会に向かった。衆参両院の正副議長の意見を聴取するためだ。
小渕は、衆院正面玄関から入り、一時二十五分、両院の中央にある常任委員長室で待機する原、土屋ら四人に、やはり三案について説明。型通りの説明の後、小渕は雑談風にこう口にした。
「明治の頭文字はM、大正はT、昭和はS。次はこれらとダブらないようにという人もいるが、そんなにこだわらなくてもいいという人もいる。そのためにSで始まる二案も含めました」
懇談会の模様を紹介しながら、こう語った。
これは〝反語〟による高等な誘導でもあった。このため、正副議長の一人は「小渕は『平成』に決めている感じだった」との印象を後で語った。原や土屋は特に意見もさしはさまず、事前の極秘の根回しに従い、
「内閣のお決めになることだから、お任せする」
と小渕にゲタを預けた。この間、十分強だった。
次に、文藝春秋の記事(小渕恵三、「新元号「平成」誕生と――マスコミ攻防戦」(戦後五十年特別企画 戦後50大事件の目撃者)、p.217、『文藝春秋』1995年新年特別号。)は、次のように記述されている。
元号案は「平成」「修文」「正化」の三つにしぼられたといわれているが、明治、大正、昭和のイニシャルM、T、Sとダブルのはよくないという意見などもあり、元号懇談会では一位が平成、二位が正化、三位が修文となった。
一方で、『This is 読売』の記事(石原信雄、「20世紀の証言 「平成改元」綱渡りの舞台裏」、pp.230~231、『This is 読売』1997年12月号。)は、次のように記述している。
――絞り込む具体的な基準は。漢字二字、明るいイメージ
石原 国民が使いやすいように、漢字二字で分かりやすく、新しい時代にふさわしい明るいイメージのものということでした。
絶対の欠格条項は、過去に使用されたものであってはならないことです。これは日本だけでなく、過去の中国、朝鮮、安南といった元号を使ったことがある国のものは全部除く必要がありました。
――当時、竹下首相自身から「元号というのは、明治のM、大正のT、昭和のS、これと重なるとまずいんだよな。文書をつくるときに混乱するから」という話を聞きました。そういえば、平成のHは重なっていませんね。論外の頭文字、ひたすら合議
石原 ローマ字のイニシャル説を言う人もいましたが、選考のときにそれは議論にならなかった。あくまで選考の基準で議論しました。最後は内容がふさわしいかどうか、それが最後に残ったものの一番重要な要素だったのです。
しかし、『全記録・昭和の終った日』(「三つの案」NHK報道局(編)、日本放送出版協会、1989年3月発行、94ページ)では、次のように記述されている。
小渕らが官邸に戻って竹下への報告を済ますと、午後一時五〇分からただちに全閣僚会議が始まった。誰もが新元号を間もなく耳にするとあって、さすがに緊張していた。小渕と的場が三つの元号案を説明し、懇談会で「平成」を推す意見がいちばん多かったことを報告する。
「平成以外の修文と正化は、イニシアルが昭和と同じSになって、行政事務には具合が悪い」という説明も加えられた。閣僚たちは「本命は平成」であることがすぐに分かった。ひと言も発言はなかった。
「特に発言もないようなので……」 小渕がしめくくり、あっさり「平成」が認められる。
最後に、日本経済新聞(2017年1月22日)の記事は、次のように記述している。
昭和天皇が崩御された89年1月7日に有識者懇談会を開き、「平成」「修文」「正化」の3つの元号案から選定した。会議に参加した当時の政府高官によると、8人の有識者のうち5人が平成を推した。修文 (Shubun)、正化 (Seika)は頭文字のアルファベットが「S」のため、昭和 (Shōwa)と区別しにくいなどの意見が上がり、最終的に頭文字が「H」の平成 (Heisei)が選ばれた。 - ^ 君主が臣下の申し出を許すこと。「允可(インカ)」、「允許(インキョ)」、「聴許(チョウキョ)」とも呼ぶ。
- ^ 明治天皇が崩御して皇太子嘉仁親王が即位(大正天皇)した1912年7月30日は「明治45年」(1912年1月1日から7月30日まで)と「大正元年」(1912年7月30日から12月31日まで)が重なったのと同様に、大正天皇が崩御して皇太子摂政裕仁親王が即位(昭和天皇)した1926年12月25日は「大正15年」(1926年1月1日から12月25日まで)と「昭和元年」(1926年12月25日から同月31日まで)が重なることで、改元する際に元号が重複する日があった。
- ^ 目加田[20][21][22]が「修文」、宇野[23][24]が「正化」を提案したことを後に認めている。
- ^ 当時は公文書管理法が制定されていなかった。
- ^ ここでは、各元号の期間から次の元号に改められた日を除外し、日数は岩波書店『広辞苑』第七版(電子版)の各元号の項にある改元日(西暦表記)によっている。
- ^ 期間の長い元号のランキングに、「平成」が掲載されていない書籍[77][78][79][80]では、4番目が「延暦」(23年と251日)で、5番目は「正平」(23年と208日)となっている。
- ^ 2010年(平成22年)参院選・比例区得票率2%以上の政党要件を満たしている。
- ^ 三浦展の造語
- ^ 昭和45年11月の伊勢新聞北勢版や中日新聞の三重県桑名市の昭和33年生まれの女子中学生自殺かの記事で自殺を寝た子を起こすなでクローズアップしなかった。
- ^ 2006年(平成18年)10月、久米宏は福岡いじめ自殺事件に対する回想コメントで「報道関係者としていじめ自殺報道でいじめや自殺が増加することも想定したが、男子中学生へのいじめがあまりにも酷かったのでニュースにしちゃいました」と発言している(「報道ステーション」や「たけしの日本教育白書」などテレビ番組での発言)。
- ^ <参考文献>『平成宗教20年史』(幻冬舎新書、2008年(平成20年)、島田裕巳)- <書籍要約>平成元年、週刊誌が坂本弁護士事件を報道して糾弾を開始しオウム真理教はにわかに注目を集める。その後オウムは一連の騒動を起こし、その間、幸福の科学も台頭、宗教は社会の重大な関心事となり、ついに平成7年、地下鉄サリン事件を迎える。一方、平成5年、万年野党だった公明党が連立政権に参加、11年以後、与党として君臨し、ついに日本は新宗教団体が政治権力を行使する国となった。オウム、創価学会以外にもさまざまな新宗教やスピリチュアル・ブームに沸いた現代日本人の宗教観をあぶり出す ―
- ^ 1970年生まれ以前の世代の短大卒のステータスは、1980年生まれ以降の世代に比べると高かった。
- ^ 競艇でも以前は「高松宮杯」という名を使っていたが、1987年(昭和62年)2月以降から競輪や中央競馬よりも早く高松宮記念 (競馬)に名称を変更していた。参考:「高松宮殿下と住之江」(日本財団電子図書館)
出典
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「平成」は、次のような経緯で正式に決まりました。まず昭和天皇逝去当日の早朝、十ほどの候補から最終的に「平成」「修文」「正化」の三案に絞り、竹下登首相に「これでいきますよ」と了解をとり、八名の有識者による「元号に関する懇談会」に諮られました。その際、私(=的場順三)はとっさに、明治以降の元号のアルファベット頭文字を順に並べ、「MTSの後はHが据わりが良いでしょう」と言いました。懇談会で「平成」が支持され、続く全閣僚会議でも「平成」で意見が一致し、竹下内閣が元号を「平成」に改める政令を決定しました。 - ^ 「(平成と天皇)第5部・元号を追う:上 改元直後からリスト準備」『朝日新聞』、2018年3月5日、2面。2022年3月27日閲覧。オリジナルの2018年3月5日時点におけるアーカイブ。
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平成時代(栄典制度改正による名称変更前まで)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 23:11 UTC 版)
「勲一等旭日桐花大綬章」の記事における「平成時代(栄典制度改正による名称変更前まで)」の解説
受章者名主な官職・役職受章日備考徳永正利 参議院議長 1989年(平成元年)11月3日 従二位 安倍晋太郎 外務大臣 1991年(平成3年)5月15日 従二位、没後叙勲 櫻内義雄 衆議院議長 1993年(平成5年)11月3日 従二位 矢口洪一 最高裁判所長官 1993年(平成5年)11月3日 従二位 宇野宗佑 内閣総理大臣 1994年(平成6年)4月29日 従二位 田村元 衆議院議長 1994年(平成6年)11月3日 従二位 渡邉美智雄 外務大臣 1995年(平成7年)9月15日 従二位、没後叙勲 原健三郎 衆議院議長 1996年(平成8年)4月29日 従二位 原文兵衛 参議院議長 1996年(平成8年)11月3日 従二位 井深大 ソニー株式会社ファウンダー最高相談役 1997年(平成9年)12月19日 1992年(平成4年)11月3日、文化勲章を受章。正三位、没後叙勲 草場良八 最高裁判所長官 1998年(平成10年)4月29日 従二位 土屋義彦 参議院議長 1999年(平成11年)4月29日 従二位 二階堂進 内閣官房長官 2000年(平成12年)2月3日 従二位、没後叙勲 伊藤宗一郎 衆議院議長 2001年(平成13年)4月29日 従二位 斎藤英四郎 経済団体連合会会長 2002年(平成14年)4月22日 正三位、没後叙勲
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平成時代(1989年 - 2019年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 03:51 UTC 版)
「本場所の一覧」の記事における「平成時代(1989年 - 2019年)」の解説
年度場所名会場初日千秋楽日数備考昭和64年平成元年(1989年) 1月場所 両国国技館 1月8日1月9日 1月22日1月23日 15 昭和天皇崩御により1日繰り下げ。 3月場所 大阪府立体育会館 3月12日 3月26日 15 5月場所 両国国技館 5月7日 5月21日 15 7月場所 愛知県体育館 7月2日 7月16日 15 9月場所 両国国技館 9月10日 9月24日 15 11月場所 福岡国際センター 11月12日 11月26日 15 平成2年(1990年) 1月場所 両国国技館 1月7日 1月21日 15 3月場所 大阪府立体育会館 3月11日 3月25日 15 場所後、小錦が外国出身力士として初めて大関昇進。 5月場所 両国国技館 5月13日 5月27日 15 7月場所 愛知県体育館 7月8日 7月22日 15 9月場所 両国国技館 9月9日 9月23日 15 11月場所 福岡国際センター 11月11日 11月25日 15 平成3年(1991年) 1月場所 両国国技館 1月13日 1月27日 15 3月場所 大阪府立体育会館 3月10日 3月24日 15 5月場所 両国国技館 5月12日 5月26日 15 7月場所 愛知県体育館 7月7日 7月21日 15 9月場所 両国国技館 9月8日 9月22日 15 11月場所 福岡国際センター 11月10日 11月24日 15 平成4年(1992年) 1月場所 両国国技館 1月12日 1月26日 15 3月場所 大阪府立体育会館 3月8日 3月22日 15 5月場所 両国国技館 5月10日 5月24日 15 北勝海が引退して横綱不在となる(1993年1月まで)。 7月場所 愛知県体育館 7月5日 7月19日 15 9月場所 両国国技館 9月13日 9月27日 15 11月場所 福岡国際センター 11月8日 11月22日 15 平成5年(1993年) 1月場所 両国国技館 1月10日 1月24日 15 場所後、曙が外国出身力士として初めて横綱に昇進。 3月場所 大阪府立体育会館 3月14日 3月28日 15 5月場所 両国国技館 5月9日 5月23日 15 7月場所 愛知県体育館 7月4日 7月18日 15 9月場所 両国国技館 9月12日 9月26日 15 11月場所 福岡国際センター 11月7日 11月21日 15 平成6年(1994年) 1月場所 両国国技館 1月9日 1月23日 15 3月場所 大阪府立体育会館 3月13日 3月27日 15 5月場所 両国国技館 5月8日 5月22日 15 7月場所 愛知県体育館 7月3日 7月17日 15 9月場所 両国国技館 9月11日 9月25日 15 11月場所 福岡国際センター 11月6日 11月20日 15 平成7年(1995年) 1月場所 両国国技館 1月8日 1月22日 15 3月場所 大阪府立体育会館 3月12日 3月26日 15 5月場所 両国国技館 5月14日 5月28日 15 7月場所 愛知県体育館 7月2日 7月16日 15 9月場所 両国国技館 9月10日 9月24日 15 11月場所 福岡国際センター 11月12日 11月26日 15 平成8年(1996年) 1月場所 両国国技館 1月7日 1月21日 15 3月場所 大阪府立体育会館 3月10日 3月24日 15 5月場所 両国国技館 5月12日 5月26日 15 7月場所 愛知県体育館 7月7日 7月21日 15 9月場所 両国国技館 9月8日 9月22日 15 11月場所 福岡国際センター 11月10日 11月24日 15 平成9年(1997年) 1月場所 両国国技館 1月12日 1月26日 15 3月場所 大阪府立体育会館 3月9日 3月23日 15 5月場所 両国国技館 5月11日 5月25日 15 7月場所 愛知県体育館 7月6日 7月20日 15 9月場所 両国国技館 9月14日 9月28日 15 11月場所 福岡国際センター 11月9日 11月23日 15 平成10年(1998年) 1月場所 両国国技館 1月11日 1月25日 15 3月場所 大阪府立体育会館 3月8日 3月22日 15 5月場所 両国国技館 5月10日 5月24日 15 7月場所 愛知県体育館 7月5日 7月19日 15 9月場所 両国国技館 9月13日 9月27日 15 11月場所 福岡国際センター 11月8日 11月22日 15 平成11年(1999年) 1月場所 両国国技館 1月10日 1月24日 15 3月場所 大阪府立体育会館 3月14日 3月28日 15 5月場所 両国国技館 5月9日 5月23日 15 7月場所 愛知県体育館 7月4日 7月18日 15 9月場所 両国国技館 9月12日 9月26日 15 11月場所 福岡国際センター 11月7日 11月21日 15 平成12年(2000年) 1月場所 両国国技館 1月9日 1月23日 15 3月場所 大阪府立体育会館 3月12日 3月26日 15 5月場所 両国国技館 5月7日 5月21日 15 7月場所 愛知県体育館 7月9日 7月23日 15 9月場所 両国国技館 9月3日 9月17日 15 11月場所 福岡国際センター 11月5日 11月19日 15 平成13年(2001年) 1月場所 両国国技館 1月7日 1月21日 15 3月場所 大阪府立体育会館 3月11日 3月25日 15 5月場所 両国国技館 5月13日 5月27日 15 7月場所 愛知県体育館 7月8日 7月22日 15 9月場所 両国国技館 9月9日 9月23日 15 11月場所 福岡国際センター 11月11日 11月25日 15 平成14年(2002年) 1月場所 両国国技館 1月13日 1月27日 15 3月場所 大阪府立体育会館 3月10日 3月24日 15 5月場所 両国国技館 5月12日 5月26日 15 7月場所 愛知県体育館 7月7日 7月21日 15 9月場所 両国国技館 9月15日 9月29日 15 11月場所 福岡国際センター 11月10日 11月24日 15 平成15年(2003年) 1月場所 両国国技館 1月12日 1月26日 15 3月場所 大阪府立体育会館 3月9日 3月23日 15 5月場所 両国国技館 5月11日 5月25日 15 7月場所 愛知県体育館 7月6日 7月20日 15 9月場所 両国国技館 9月14日 9月28日 15 11月場所 福岡国際センター 11月9日 11月23日 15 平成16年(2004年) 1月場所 両国国技館 1月11日 1月25日 15 3月場所 大阪府立体育会館 3月14日 3月28日 15 5月場所 両国国技館 5月9日 5月23日 15 7月場所 愛知県体育館 7月4日 7月18日 15 9月場所 両国国技館 9月12日 9月26日 15 11月場所 福岡国際センター 11月14日 11月28日 15 平成17年(2005年) 1月場所 両国国技館 1月9日 1月23日 15 3月場所 大阪府立体育会館 3月13日 3月27日 15 5月場所 両国国技館 5月8日 5月22日 15 7月場所 愛知県体育館 7月10日 7月24日 15 9月場所 両国国技館 9月11日 9月25日 15 11月場所 福岡国際センター 11月13日 11月27日 15 朝青龍が年間全場所制覇を達成。 平成18年(2006年) 1月場所 両国国技館 1月8日 1月22日 15 3月場所 大阪府立体育会館 3月12日 3月26日 15 5月場所 両国国技館 5月7日 5月21日 15 7月場所 愛知県体育館 7月9日 7月23日 15 9月場所 両国国技館 9月10日 9月24日 15 11月場所 福岡国際センター 11月12日 11月26日 15 平成19年(2007年) 1月場所 両国国技館 1月7日 1月21日 15 3月場所 大阪府立体育会館 3月11日 3月25日 15 5月場所 両国国技館 5月13日 5月27日 15 7月場所 愛知県体育館 7月8日 7月22日 15 9月場所 両国国技館 9月9日 9月23日 15 11月場所 福岡国際センター 11月11日 11月25日 15 平成20年(2008年) 1月場所 両国国技館 1月13日 1月27日 15 3月場所 大阪府立体育会館 3月9日 3月23日 15 5月場所 両国国技館 5月11日 5月25日 15 7月場所 愛知県体育館 7月13日 7月27日 15 9月場所 両国国技館 9月14日 9月28日 15 11月場所 福岡国際センター 11月9日 11月23日 15 平成21年(2009年) 1月場所 両国国技館 1月11日 1月25日 15 3月場所 大阪府立体育会館 3月15日 3月29日 15 5月場所 両国国技館 5月10日 5月24日 15 7月場所 愛知県体育館 7月12日 7月26日 15 9月場所 両国国技館 9月13日 9月27日 15 11月場所 福岡国際センター 11月15日 11月29日 15 平成22年(2010年) 1月場所 両国国技館 1月10日 1月24日 15 3月場所 大阪府立体育会館 3月14日 3月28日 15 5月場所 両国国技館 5月9日 5月23日 15 7月場所 愛知県体育館 7月11日 7月25日 15 大相撲野球賭博問題のためテレビ放映などを取りやめ。 9月場所 両国国技館 9月12日 9月26日 15 11月場所 福岡国際センター 11月14日 11月28日 15 平成23年(2011年) 1月場所 両国国技館 1月9日 1月23日 15 3月場所 大阪府立体育会館 3月13日 3月27日 15 大相撲八百長問題のため中止。番付発表はなし。 5月場所 両国国技館 5月8日 5月22日 15 技量審査場所として開催。1月場所の成績に基づいた「順席」を発表、それに基づいて実施。 7月場所 愛知県体育館 7月10日 7月24日 15 9月場所 両国国技館 9月11日 9月25日 15 11月場所 福岡国際センター 11月13日 11月27日 15 平成24年(2012年) 1月場所 両国国技館 1月8日 1月22日 15 3月場所 大阪府立体育会館 3月11日 3月25日 15 5月場所 両国国技館 5月6日 5月20日 15 7月場所 愛知県体育館 7月8日 7月22日 15 9月場所 両国国技館 9月9日 9月23日 15 11月場所 福岡国際センター 11月11日 11月25日 15 平成25年(2013年) 1月場所 両国国技館 1月13日 1月27日 15 3月場所 ボディメーカーコロシアム(大阪府立体育会館) 3月10日 3月24日 15 命名権売却により会場名称を変更。NHKの中継では引き続き「大阪府立体育会館」の名称を用いる。 5月場所 両国国技館 5月12日 5月26日 15 7月場所 愛知県体育館 7月7日 7月21日 15 9月場所 両国国技館 9月15日 9月29日 15 11月場所 福岡国際センター 11月10日 11月24日 15 平成26年(2014年) 1月場所 両国国技館 1月12日 1月26日 15 3月場所 ボディメーカーコロシアム(大阪府立体育会館) 3月9日 3月23日 15 5月場所 両国国技館 5月11日 5月25日 15 7月場所 愛知県体育館 7月13日 7月27日 15 9月場所 両国国技館 9月14日 9月28日 15 11月場所 福岡国際センター 11月9日 11月23日 15 平成27年(2015年) 1月場所 両国国技館 1月11日 1月25日 15 3月場所 ボディメーカーコロシアム(大阪府立体育会館) 3月8日 3月21日 15 5月場所 両国国技館 5月10日 5月24日 15 7月場所 愛知県体育館 7月12日 7月26日 15 9月場所 両国国技館 9月13日 9月27日 15 11月場所 福岡国際センター 11月8日 11月21日 15 平成28年(2016年) 1月場所 両国国技館 1月10日 1月24日 15 3月場所 エディオンアリーナ大阪(大阪府立体育会館) 3月13日 3月27日 15 命名権者異動により会場名称を変更。NHKの中継では引き続き「大阪府立体育会館」の名称を用いる。 5月場所 両国国技館 5月8日 5月22日 15 7月場所 愛知県体育館 7月10日 7月24日 15 9月場所 両国国技館 9月11日 9月25日 15 11月場所 福岡国際センター 11月13日 11月27日 15 平成29年(2017年) 1月場所 両国国技館 1月8日 1月22日 15 3月場所 エディオンアリーナ大阪(大阪府立体育会館) 3月12日 3月26日 15 5月場所 両国国技館 5月14日 5月28日 15 7月場所 愛知県体育館 7月9日 7月23日 15 9月場所 両国国技館 9月10日 9月24日 15 11月場所 福岡国際センター 11月12日 11月26日 15 平成30年(2018年) 1月場所 両国国技館 1月14日 1月28日 15 3月場所 エディオンアリーナ大阪(大阪府立体育会館) 3月11日 3月25日 15 5月場所 両国国技館 5月13日 5月27日 15 7月場所 ドルフィンズアリーナ(愛知県体育館) 7月8日 7月22日 15 命名権売却により会場名称を変更。NHKの中継では引き続き「愛知県体育館」の名称を用いる。 9月場所 両国国技館 9月9日 9月23日 15 11月場所 福岡国際センター 11月11日 11月25日 15 平成31年(2019年) 1月場所 両国国技館 1月13日 1月27日 15 3月場所 エディオンアリーナ大阪(大阪府立体育会館) 3月10日 3月24日 15 明仁天皇退位に伴い、「平成」としては最後の本場所。
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平成時代(1989年 – 2019年)
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「日本の軍事史」の記事における「平成時代(1989年 – 2019年)」の解説
詳細は「平成時代」を参照 冷戦が終結すると、それまで自衛隊を違憲として批判してきた社会党が自衛隊の合憲性を認め、さらに日米安保も堅持する方針が打ち出された。1997年の朝鮮半島有事を想定した日米防衛協力のための指針改定を経て、2015年には自衛隊による米軍の支援を世界規模に広げた日米新ガイドラインが制定されたほか、憲法の解釈変更によって集団的自衛権の行使が認められるなど、自衛隊は従来の「専守防衛」から、世界各地でアメリカ軍の世界戦略の一翼を担う戦力に変質しつつある。また有事法制の成立で防衛活動の法的整備が進むとともに、世界各地への平和維持活動やイラク派遣などの政策が実施されるようになった。 湾岸戦争(1990年から1991年)の間、日本国憲法の制限のために自衛隊は参加できなかったが、日本は100億ドルの金銭的貢献を行い、軍事ハードウェアを送った。日本が部隊を派遣できないことは大きな屈辱とみなされ、財政的貢献(小切手外交)を行うだけでは日本は国際的な尊敬を得られないことを学んだ。軍事計画者は、日本の平和主義外交政策から離れることを決意した。 日本自衛隊は国連の国際連合平和維持活動や災害救援など、数多くの国際平和維持活動に参加してきた。1991年から2016年まで、自衛隊は約32件の海外派遣をした。これらは主に東南アジア、南アジア、中東にあった。 2007年(平成19年)1月9日 - 防衛庁設置法等の一部を改正する法律(平成18年法律第118号)の施行により、防衛庁設置法が防衛省設置法に改題され、防衛庁は防衛省(Ministry of Defense)に改められた。 2010年以来、様々な政策により、外交政策における日本の軍隊の役割が増加した。日本の2010年防衛計画の大綱は、防衛政策を旧ソビエト連邦から中国への焦点から変更した。 2013年6月7日、安倍内閣は国家安全保障会議を創設するための関連法案(安全保障会議設置法等の一部を改正する法律案)を閣議決定した。 防衛費を10年間削減した後、日本は2013年に防衛予算を増やした。日本の内閣は2013年12月に国家安全保障戦略(National Security Strategy)を承認した。中国は、南シナ海と東シナ海の現状を一方的に変えるために、空と海で軍事力を使用している。これは確立された秩序に反する中国の主張に基づいている。中国はまた、軍事および国家安全保障政策の透明性に欠けている。 自衛隊は、世界で最も技術的に進歩した軍隊の1つである。自衛隊は、2015年のクレディ・スイスレポートで、従来の能力において世界で4番目に強力な軍隊にランクされた。GDPのわずか1%で世界で8番目に大きい軍事予算を持っている(2011)。 平和安全法制、「我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律案」。2016年(平成28年)3月29日午前0時から施行された。 内閣府による2018年1月の調査では、89.8%がJSDFに対して良い印象を持っていることがわかった。 日本は、2018年4月7日に、第二次世界大戦以来の最初の海兵隊である水陸機動団を起動した。彼らは日本の島を占領している侵略者に対抗するために訓練されている。 防衛省は、2018年度に、主に中国とロシアの未確認航空機に対する航空自衛隊ジェット機による999のスクランブルがあったと報告した。638(64%)は中国の航空機であり、343(34%)はロシアの航空機だった。2019年6月20日、2台のロシアの爆撃機(Tu-95 (航空機))が同じ日に2回日本の空域に違反した。
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平成時代(C50-C95)
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「コミックマーケット」の記事における「平成時代(C50-C95)」の解説
1996年夏のC50から、コミケは同年完成した東京ビッグサイト(有明)での開催となる。C50の開催はビッグサイトの会場の一部で行われたが、同時開催の他のイベントからの多数の苦情が来たことから、次のC51では、早くも全館貸し切りでの開催となった。1997年夏のC52以降、夏コミは3日間開催が定着、参加サークルは3万を超えるまでに至っており、2013年夏のC84では普段の夏コミの金・土・日の開催ではなく土・日・月の開催となり、普段の2日目と3日目のジャンルが入れ替わる形となった。冬コミについても、L'Arc〜en〜Cielのカウントダウンライブが行われた関係上、1999年冬のC57で3日間開催を実施、2002年冬のC63以降(C67・69を除く)は3日間開催が定着しており、2006年冬のC71以降(C75・87を除く)は大晦日を含む3日間開催となっている。一例として、C81とC87の概ねの日割を紹介しておく。 C81における3日間開催の日割りは、1日目がゲーム系・芸能・週刊少年ジャンプ作品、2日目は東方Project・VOCALOID・アニメ全般、3日目は男性向け全般・歴史物となっている。 C87における3日間開催の日割りは、1日目が交通関係・芸能・週刊少年ジャンプ作品、2日目は週刊少年ジャンプ作品以外の漫画作品、ゲーム系、3日目は男性向け全般、評論となっている。 有明に移ってからの1990年代後半は『新世紀エヴァンゲリオン』のブームがコミックマーケットを席巻した。『美少女戦士セーラームーン』や『カードキャプターさくら』などの美少女アニメや、各種対戦型格闘ゲームに続く同人誌バブルともいえるこのブームで、いっそうの活況を呈した。一方でSFジャンルの存在感はさらに薄れ、所謂「萌え」を打ち出した同人誌が急激に増加した。また、Windows95などのパソコンの普及に伴い、CD-ROM系のPCゲームが登場し、いわゆるエロゲーやギャルゲーなどの同人誌が増加した。この流行は2005年頃まで続いた。 2000年代前半に入ると、同人ソフト『月姫』や『ひぐらしのなく頃に』、『東方Project』などの登場により、これらの同人ソフトを基にした同人誌という「同人の同人」とも呼ばれる現象(ただし前述の作品は同人といってもオリジナル創作であり、そのパロディなどが出ることは矛盾も重複もしていない)が生じた。これもコミックマーケットの巨大化の一つの現れであった。また、『月姫』については、製作サークルTYPE-MOONがのちに商業メーカーへの転換している。さらに、同作品を題材とした渡辺製作所(フランスパン)製作の対戦格闘ゲーム『MELTY BLOOD』のアーケードゲーム進出、音系の同人に関しても片霧烈火らがメジャーへの道を辿るなど、漫画以外の表現方法についても同人活動をプロへの登竜門とする流れが生まれつつある。 2000年12月のC59よりブロックノート(サークル参加者がイベントの感想や絵を描くノート。幾つかの参加スペースを一つのブロックとしてその中のサークル間で回された)が廃止される。 2006年9月30日、代表の米澤が急病に倒れ、C71より後任の代表は安田かほる・筆谷芳行・市川孝一の共同代表制に移行した(米澤は翌10月1日死去)。 2000年代後半になると、『涼宮ハルヒの憂鬱』、『灼眼のシャナ』、『とある魔術の禁書目録』をはじめとするライトノベルを元にした同人誌が増加、『らき☆すた』や『けいおん!』などの深夜アニメも大人気となり、その関連同人誌も増加した。さらに、YouTubeやニコニコ動画という動画サイトの誕生や、イラストサイトPixivの開設などで二次創作の活動場所が広がり、コミケのおしながきやサークルの宣伝がされるようになった。また、2006年頃から東方Project関連のサークルが急増し、アレンジ楽曲やボーカルアレンジなどを出すサークルが現れた。 また、この頃からジャンルの超多様化(従来の同人活動の概念を逸脱する、オリジナルアクセサリーなどのサークルも出現)が発生している。2006年冬のC71では現役の声優である堀江由衣が自らがパーソナリティを務めるラジオ番組の企画で設立したバンド・黒薔薇保存会の作品を後述する企業ブース内で販売した実績があり、日本国内のあらゆる「表現」を呑み込んで今もなお成長している。2007年冬のC73では、VOCALOIDの初音ミクと鏡音リン・レンが発売され、オリジナル曲が発表・頒布されるようになった。コミケは漫画家・作家・イラストレーターのみならず、声優や歌手などのプロ活動する人物が自ら活動の発表の場の一つとしてサークル参加を行うようになった。 2010年代に入ると、2011年夏のC80では『魔法少女まどか☆マギカ』のブーム、2012年冬のC83以降は『ガールズ&パンツァー』のヒットによって所謂「萌えミリ(萌え+ミリタリー)」が新たなジャンルとなった。また、この年代からブラウザゲームやスマートフォンのアプリゲームから生まれたジャンルが増えたことも特記する点である。特に2013年夏のC84からは『艦隊これくしょん -艦これ-』のサークルが爆発的に増加し、2015年夏のC88からは『刀剣乱舞』などのブラウザゲームの同人サークルが激増した。このため前者はC86、後者はC89からジャンルコードに指定された。 2014年夏のC86では、演歌歌手の小林幸子が、これまでVOCALOIDを使って発表された楽曲をカバーした(歌ってみた)CDを製作、個人サークルとして参加し自ら手売りを行ったことが大きな話題となった。叶姉妹は、2016年冬のC91では来場しただけでも大きな話題となり、C92、C93ではサークル参加し、2000人を超える列ができた。 スマホアプリゲームの普及に伴い、『あんさんぶるスターズ!』『アイドリッシュセブン』『A3!』のソーシャル乙女ゲーム御三家や『グランブルーファンタジー』などを扱う同人サークルも増えている。C92では『けものフレンズ』、C93ではスマホアプリゲーム『Fate/Grand Order』や『Fateシリーズ』の人気に伴い、C93では『TYPE-MOON』関連のサークルが急増した。また、『アズールレーン』などの中国発のブラウザゲーム作品の同人誌を出すサークルやバーチャルYouTuber等のYouTube発祥のコンテンツの同人誌を出すサークルが出てきた。また、最近では中国や台湾、韓国など東アジア諸国からのサークル参加者も増えてきている。 有明移転後のコミックマーケットで特筆すべき点は、会場建物の構造上の問題からサークルスペースとしての運用が難しい西地区4階フロアを、コミックマーケット準備会が企業に販売・プロモーション・市場調査のスペースとして提供する「企業ブース」の本格的導入である(1996年冬のC51より)。企業ブースについては、初めて導入された晴海のC48(この時は新館2階奥半分を使用)にも導入がされており、企業の参加に関する趣旨について、C48の反省会時に当時の米澤代表より説明がなされていた。やがて企業ブースの常態化に伴って当初ほど批判の声は聞かれなくなり、企業ブースで販売・配布される限定商品を目当てに来場し、同人誌には目もくれない「企業専」と呼ばれる来場者たちも出てきているほどである。企業側でも、コミックマーケットが貸し出す企業ブースは高い販売効果が望めるプロモーションの場として注目されていると言われている。その結果、2000年代に入ると同人サークルなどと同様に抽選によって落選する企業まで出る事例もみられるようになり、2009年以降は企業ブースに落選した美少女ゲームメーカーの中にはコミックマーケット開催日前日に開催される「秋葉原電気外祭り」へと出展するケースもある。また、従来ではアニメ、ゲームなどに関する企業の出展が中心となっていたが、2012年夏のC82にグーグルが、同年冬のC83にマイクロソフトが出展すると、これまで企業ブースでは見られなかった一般的な企業・団体が出展するようになり、中には雪印メグミルク(雪印コーヒー)、サントリーフーズ(オランジーナ)、日本国際映画著作権協会(NO MORE 映画泥棒)(いずれもC84〜)、ディズニー(C85、『エンダーのゲーム』のPR)、本田技研工業(C86)といった多様な企業がプロモーションの場として活用している。C87ではNHKが初の出展を行った。 会場利用の面でも企業ブースへの来場者が増えたことから、2008年夏のC74より安全面を考慮し、西地区4階フロアを全面的に企業ブースとして使用し、屋上展示場を来場者待機場所に変更、従来まで屋上展示場を使用していたコスプレ広場を北コンコースレストラン街そばの庭園に移転、同年冬のC75からは庭園と1・2日目は屋外展示場、3日目は屋外展示場が駐車場として占有される代わりに企業ブース待機列が少なくなる屋上展示場を開放して併用する形となる。その後ブリッジの慢性的混雑緩和のため東1ホールと西1ホール間の公道を試験的に通行出来るようにし、その後本運用するようになった。2012年冬のC83からはコスプレ広場を「コスプレエリア」と名称変更し、トラックヤードやエントランスプラザもコスプレの場として開放、さらに2014年夏のC86からは屋外展示場を全日使用開始体制を取ったが、3日目にトラブルが起きたため、念のために確保していた有明西ふ頭公園を急遽使用し、続くC87では正式にコスプレエリア化した。また、2009年夏のC76では会議棟の国際会議場でシンポジウムやステージイベントを開催、ついに東京ビッグサイトを全面使用する体制となった。 2013年夏のC84において、2日目の東ホールにてコミケに訪れた大勢の来場者達の身体から発せられた汗などの水分によって水蒸気が発生し、ホールの天井付近に溜まっていった水分が会場内の空調(冷房)によって冷却された結果、水蒸気が凝結して室内に白い霧のようなものが発生する現象(通称「コミケ雲」)が発生したといわれる。この現象は晴海時代にも目撃されているが、有明では近年においてはこれが初めてとなる。 2016年夏のC90では2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けた西ホール拡張棟建設開始や企業ブースの慢性的な混雑に伴い、企業ブースを西地区1階に移動して会期から最終日を削減した2日間のみにし(2日目の企業ブースは16時で終了)、サークルの配置も西4階も含めて変更したほか、ビッグサイト前交差点の横断も可能にし、庭園と東4・5・6ホールトラックヤードへのコスプレしたままでの行き来や、東京臨海広域防災公園で2014年冬のC87から併催されている「有明防災フェア」へのコスプレでの来場(実質的なコスプレエリアとしての使用)が可能となった。企業ブース出展期間が短縮された件に関しては、売上面では「初日で6割、2日目で3割」という状況から「大きな問題はない」と見る一方、プロモーション面では「コミケは体験する楽しみもある。最終日のダラダラ感も大事」「業界関係者が一堂に会しての意見交換をする時間がなくなる」などの指摘も見られ、これに関連して「出展企業も手慣れてしまい、サプライズがなく、プロモーション効果も弱くなっている」とマンネリ感に陥っている事や、「(個人サークルとして一般ブースに出展した)T.M.Revolutionの西川貴教や叶姉妹に対抗し得る、パワーのある作品を生み出せていない」という手厳しい意見も見られる。続くC91では東地区に新たに完成する東7・8ホールの使用を開始、最大規模での開催となったが、今後もビッグサイトの工事等に合わせてホールの使用形態が変わることになる。C91では後に「ラブライブ!スーパースター!!」の唐可可役に抜擢されるLiyuuが初めて来場したことも大きなトピックスであった。2017年開催のC92、C93ではサークルは東地区のみの配置となった。(西は企業のみであった)2018年のC94では西2ホールの工事完了にともないサークルは西地区への配置が再開され、企業は初の西地区と東地区との2か所配置となった。平成最後のコミックマーケットとなったC95では『みんなで筋肉体操』の小林航太がコスプレ参加し、大きな話題を集めた。
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平成時代(糸魚川市発足以前)
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「糸魚川市の歴史」の記事における「平成時代(糸魚川市発足以前)」の解説
1990年7月24日 - 奴奈川観光開発(2004年1月21日民事再生法の適用を申請)が糸魚川カントリークラブを開業。 1990年8月22日 - 最低気温30.8度を記録。日本の気象観測史上最も高温の記録。 1990年9月16日 - 第一回糸魚川さかなまつりが開催。 1990年10月22日 - 新潟交通と頸城自動車の共同運行による新潟駅-糸魚川駅間の高速バスが運行開始。 1994年4月25日 - フォッサマグナミュージアムが開業。 1994年9月19日 - 糸魚川市役所新庁舎完成。 1994年10月1日 - 頸城自動車から糸魚川バスが分社化。 1994年11月26日 - 市振バイパスの供用開始。 1995年7月11日 - 梅雨前線の活発化により集中豪雨(7.11水害)。姫川は氾濫し、国道148号も沿線で土石流が頻発し各地で寸断され山之坊、平岩などの集落が孤立し500人以上がヘリコプターで避難した。山之坊小学校の敷地は地すべりにより崩壊した。路盤が流出した大糸線の南小谷駅-根知駅間が1997年11月29日まで不通に。 1996年12月6日 - 蒲原沢(新潟・長野県境)上部で土石流が発生。下流の災害復旧現場にて死者14名(蒲原沢土石流災害)。 1997年4月11日 - 道の駅として越後市振の関(青海)が指定。 1998年8月6日 - 新潟焼山の入山を一部解禁(2006年全面解除、但し登山道はない)。 1998年12月19日 - 能生にシャルマン火打スキー場が開業。 1999年3月31日 - 小滝小学校が児童数の減少により休校(その後閉校)。 1999年 - 雨飾温泉へ道路が開通。 2000年10月3日 - 北陸自動車道路、親不知インターチェンジ-糸魚川インターチェンジ間の改良工事が終了。北陸自動車道路が全線で4車線化。 2000年12月8日 - 親不知ピアパークが道の駅に認定。 2003年 - 姫川港がリサイクルポートに指定。翌年、貨物取扱量が560万トンを突破。
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平成時代(糸魚川市発足以降)
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いといがわし糸魚川市廃止日2005年3月19日 廃止理由新設合併糸魚川市(旧)、西頚城郡能生町、青海町 → 糸魚川市(新) 現在の自治体糸魚川市(新) 廃止時点のデータ国 日本 地方中部地方、北陸地方甲信越地方、信越地方北信越地方、上信越地方広域関東圏 都道府県新潟県 面積466.62km2(境界未定部分あり) 総人口31,567人(推計人口、2004年9月1日) 隣接自治体西頚城郡能生町、青海町、中頚城郡妙高町、妙高高原村富山県:下新川郡朝日町、長野県:北安曇郡白馬村、小谷村 糸魚川市役所所在地新潟県 表示 ウィキプロジェクト 2005年3月19日 - 糸魚川市、能生町、青海町が新設合併して現在の糸魚川市となる。旧糸魚川市の合併時の面積は466.62km2(境界未定部分あり)、人口は31,567人(2004年9月1日)。 2005年3月31日 - 中早川小学校、北西海小学校、南西海小学校、歌外波小学校が児童数の減少により閉校。 2005年4月25日 - 糸魚川市長選挙、市議員選挙投票日。有権者数42,208人、市長選投票率80.07%、市議選投票率83.15%。市長選は米田徹が当選、山岸美隆、吉岡静夫を下す。 2007年7月17日- 新潟県中越沖地震発生、糸魚川市震度4。けが人1名。市内各所で土砂災害が発生。北陸自動車道糸魚川インターチェンジ以東が一時通行止になる。 2008年6月2日 - 市議会議員定数削減条例案(30を26に削減)を可決 2008年 - 上越漁協と糸魚川、青海などの各漁協が合併。 2008年12月 - 糸魚川ジオパークが日本ジオパークネットワークに加盟。日本ジオパークとして認定される。 2009年8月22日 - 糸魚川ジオパークが世界ジオパークネットワークに加盟。世界ジオパークとして認定される。 2010年3月31日 - 磯部中学校が閉校。 2013年3月24日 - 今井小学校が児童数の減少により閉校。 2013年4月21日 - 糸魚川市長選挙、市議会選挙投票日。市長選は現職の米田徹が無投票で3選を達成。 2015年3月14日 - 北陸新幹線糸魚川駅が開業。同時に市内を走る北陸本線がJR西日本からえちごトキめき鉄道へ移管され、路線名も日本海ひすいラインへと変更となる。 2016年12月22日 - 糸魚川駅前の商店街にて大規模な火災が発生した(糸魚川大火)。 2017年4月16日 - 糸魚川市長選挙、市議会選挙投票日。即日開票の結果、市長選は現職の米田徹が無所属新人の古畑浩一を退けて4選を達成。 2018年3月24日 - 浦本小学校が児童数の減少により閉校。 2018年3月25日 - 市振小学校が児童数の減少により閉校。 2019年8月15日 - 日最低気温が31.3度となり「全国の最も高い最低気温」の日本記録を更新。従前の記録も糸魚川の観測地点のもので1990年8月20日の30.8度。 2021年1月29日 - デンカが建設を進めていた新青海川発電所(最大出力約8,000kW)が発電を開始。 2021年3月4日 - 来海沢の山中で地すべりが発生。流出した土砂で住宅など6棟が倒壊。 2021年4月18日 - 糸魚川市長選挙、市議会選挙投票日。即日開票の結果、市長選は現職の米田徹が無所属新人の久保田郁夫を退けて5選を達成。 2022年4月5日 - デンカが建設を進めていた新姫川第六発電所(最大出力2万7900kW)が営業運転開始。デンカが所有する水力発電所としては17カ所目。
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「平成時代」の例文・使い方・用例・文例
- 平成時代
- 平成時代に.
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