外務大臣政務官
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日本 外務大臣政務官 Parliamentary Vice-Minister for Foreign Affairs | |
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外務省紋章 | |
所属機関 | 内閣 |
担当機関 | 外務省 |
任命 | 内閣総理大臣 (石破茂) |
初代就任 | 桜田義孝 望月義夫 丸谷佳織 |
創設 | 2001年(平成13年)1月6日 |
ウェブサイト | 外務省: 大臣・副大臣・政務官 |
外務大臣政務官(がいむだいじんせいむかん、英: Parliamentary Vice-Minister for Foreign Affairs)は、外務省を担当する大臣政務官。定員は3名。
歴代外務大臣政務官
外務大臣政務官(外務省) | |||||
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内閣 | 氏名 | 期間 | |||
第2次森内閣 | 改造内閣 (中央省庁再編後) | 桜田義孝 | 望月義夫 | 丸谷佳織 | 2001年1月6日 - 2001年4月26日 |
第1次小泉内閣 | 小島敏男 | 山口泰明 | 2001年4月26日 - 2002年1月8日 | ||
今村雅弘 | 松浪健四郎 | 水野賢一 | 2002年1月8日 - 2002年10月4日 | ||
第1次改造内閣 | 新藤義孝 | 日出英輔 | 土屋品子 | 2002年10月4日 - 2003年9月25日 | |
第2次改造内閣 | 田中和徳 | 吉田幸弘 | 荒井正吾 | 2003年9月25日 - 2003年11月19日 | |
第2次小泉内閣 | 松宮勲 | 2003年11月20日 - 2004年9月27日 | |||
改造内閣 | 小野寺五典 | 河井克行 | 福島啓史郎 | 2004年9月30日 - 2005年9月21日 | |
第3次小泉内閣 | 2005年9月22日 - 2005年10月31日 | ||||
改造内閣 | 伊藤信太郎 | 山中燁子 | 遠山清彦 | 2005年11月2日 - 2006年9月26日 | |
第1次安倍内閣 | 松島みどり | 関口昌一 | 浜田昌良 | 2006年9月27日 - 2007年8月27日 | |
第1次改造内閣 | 中山泰秀 | 宇野治 | 坂本由紀子 | 2007年8月29日 - 2007年9月3日 | |
第1次改造内閣 | 小池正勝 | 2007年9月3日 - 2007年9月26日 | |||
福田康夫内閣 | 2007年9月27日 - 2008年8月2日 | ||||
改造内閣 | 柴山昌彦 | 西村康稔 | 御法川信英 | 2008年8月6日 - 2008年9月24日 | |
麻生内閣 | 2008年9月29日 - 2009年9月16日 | ||||
鳩山由紀夫内閣 | 吉良州司 | 西村智奈美 | 2009年9月18日 - 2010年6月8日 | ||
菅直人内閣 | 徳永久志 | 2010年6月9日 - 2010年9月17日 | |||
第1次改造内閣 | 菊田真紀子 | 山花郁夫 | 2010年9月21日 - 2011年1月14日 | ||
第2次改造内閣 | 2011年6月27日 - 2011年9月2日 | ||||
野田内閣 | 中野譲 | 加藤敏幸 | 浜田和幸 | 2011年9月5日 - 2012年1月13日 | |
第1次改造内閣 | 2012年1月13日 - 2012年6月4日 | ||||
第2次改造内閣 | 2012年6月4日 - 2012年10月1日 | ||||
第3次改造内閣 | 村越祐民 | 風間直樹 | 2012年10月1日 - 2012年12月26日 | ||
第2次安倍内閣 | 阿部俊子 | 城内実 | 若林健太 | 2012年12月26日 - 2013年9月30日 | |
石原宏高 | 木原誠二 | 牧野京夫 | 2013年9月30日 - 2014年9月3日 | ||
改造内閣 | 薗浦健太郎 | 中根一幸 | 宇都隆史 | 2014年9月4日 - 2014年12月24日 | |
第3次安倍内閣 | 2014年12月25日 -2015年10月9日 | ||||
第1次改造内閣 | 黄川田仁志 | 濱地雅一 | 山田美樹 | 2015年10月9日 - 2016年8月5日 | |
第2次改造内閣 | 小田原潔 | 武井俊輔 | 滝沢求 | 2016年8月5日 - 2017年8月7日 | |
第3次改造内閣 | 岡本三成 | 堀井学 | 堀井巌 | 2017年8月7日 - 2017年11月2日 | |
第4次安倍内閣 | 2017年11月2日 -2018年10月4日 | ||||
第1次改造内閣 | 山田賢司 | 辻清人 | 鈴木憲和 | 2018年10月4日 - 2019年9月13日 | |
第2次改造内閣 | 尾身朝子 | 中谷真一 | 中山展宏 | 2019年9月13日 -2020年9月18日 | |
菅義偉内閣 | 國場幸之助 | 鈴木隼人 | 中西哲 | 2020年9月18日-2021年10月6日 | |
第1次岸田内閣 | 上杉謙太郎 | 本田太郎 | 三宅伸吾 | 2021年10月6日-2021年11月11日 | |
第2次岸田内閣 | 2021年11月11日-2022年8月12日 | ||||
第1次改造内閣 | 秋本真利 | 高木啓 | 吉川有美 | 2022年8月12日-2023年8月4日[1] | |
(空席)[2] | 2023年8月4日-2023年9月15日 | ||||
第2次改造内閣 | 高村正大 | 深澤陽一 | 穂坂泰 | 2023年9月15日-2024年10月3日 | |
第1次石破内閣 | 2024年10月3日-2024年11月13日 | ||||
第2次石破内閣 | 英利アルフィヤ | 松本尚 | 生稲晃子 | 2024年11月13日- |
脚注
- ^ “第2次岸田内閣 改造内閣 大臣政務官名簿”. 首相官邸ホームページ. 内閣官房内閣広報室. 2023年8月5日閲覧。
- ^ 秋本が風力発電業者との癒着疑惑で家宅捜索を受けた引責辞任に伴う。
関連項目
外部リンク
外務大臣政務官
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2010年6月に発足された菅直人内閣で外務大臣政務官に就任した。同年9月の内閣改造、翌1月の内閣改造でも留任している。在任中の外務大臣は前原誠司と松本剛明。 2010年12月15日に日本政府代表として、ニューヨークで開かれた「イラクに関する国連安保理閣僚級会合」に出席した。この会議で3本の安保理決議が採択され、徳永も自衛隊のイラク復興支援への貢献などについて演説を行っている。翌年1月10日から11日にかけて中東諸国を歴訪した。ヨルダンではサミル・リファーイ首相らと会談し、ハッサン計画・国際協力大臣と「ヨルダン南部地域給水改善計画」の交換公文に署名した。 2月22日に発生したニュージーランドのカンタベリー地震では、同月24日から国際緊急援助隊らとともに政府専用機で現地入りし、現地対策本部を現地指揮した。徳永は現地から菅直人首相に電話に被害状況を伝達し、富山外国語専門学校の生徒がいたビルで国籍不明の遺体が発見されたことなどを知らせた。この報告を受け、外務省は被害者と思われる家族に情報を伝達し、政府はニュージランド地震対策室を対策本部に格上げした。ニュージーランド政府は防犯対策や二次被害対策として被災地の規制を強化し、26日に市対策本部前で記者会見を予定した徳永も足止めをくらっている。3月1日、徳永は現地の追悼式典でジョン・キー首相と短時間会談し、日本人の安否不明者家族の被災地を訪問したいという要望を伝えた。被災者家族も2月24日から順次現地入りし、被災地訪問を要請していたが現地警察の許可がおりなかったためであった。キーは徳永に迅速な対応を約束した翌日、被害者家族はようやくビルの倒壊現場のバス越しでの訪問が許され、徳永も同行した。3月5日になって徳永は帰国し、菅首相らに現地状況の報告を行った。 5月7日、日本政府の要人として初めて、革命によるホスニー・ムバラク政権崩壊後のエジプトを訪問し、アラブ連盟のアムル・ムーサ議長らと会談した。7月15日には、第4回リビア・コンタクト・グループ会合に日本政府代表として出席した。同会議に日本から政務官レベルが出席するのは初めてである。徳永はリビア国民評議会を「リビアにおける正統な対話相手(the legitimate interlocutor of the Libyan people)」であると表明し、マフムード・ジブリール執行委員会委員長とも会談するなど、日本政府の評議会との関係強化の方針を明確化した。
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