政務官(せいむかん)
2001年の中央省庁再編で、それまでの政務次官に代わって、副大臣とともに創設された政治的任用ポスト。大臣を助け、特定の政策と企画に携わり、政務を処理することが任務とされる。
政務官の総数は26人で、各省庁に1~4人の定員が割り当てられている。主に当選1~2回の若手国会議員から任用され、若手議員が将来の大臣ポストに備えて政策を勉強する場となっている。政務官の任免は、各省庁の大臣の申し出により内閣で決定する。
大臣に代わって官僚が答弁をする政府委員制度は廃止され、副大臣と政務官が、大臣に代わって国会で答弁することができるようになった。国会における政治家の主導権を確保すると同時に、政治家同士で政策論議を深めるという狙いがある。
しかし、政務官ポストが政治家の肩書きに利用されるだけならば、「盲腸」とさえ呼ばれた政務次官の二の舞となってしまう。派閥を無視した、いわゆる「一本釣り」による組閣を実現した小泉内閣でさえ、副大臣と政務官の人事は、派閥の意向に沿うものだった。
人を動かすことは、最大の効果をもたらす半面、失敗というリスクもつきまとう。政権基盤を固めるため、副大臣と政務官の人事でも、小泉内閣の手腕が問われている。
(2002.01.08更新)
政務官
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/03 06:43 UTC 版)
政務官
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:43 UTC 版)
国務大臣を補佐しつつ政府(内閣)と議会との連絡を取ることをその職掌とした、政務次官・参与官の両政務官が置かれたのは1924年(大正13年)8月、護憲三派内閣の時だった。その後も内閣が変わるごとに時の政府が与党とたのむ会派の中から主に若手の議員たちがこれら政務官に任用されていった。 政務官の任命は、通常は新内閣の発足後、数日から数週間程度の日を置いて行われた。またその退任も、次の内閣が発足してそのもとで新しい政務官が任命されるのを待って行われた。このため政務官の在任期間は日付上は二つの内閣にまたがるかたちとなる。しかし政務官はあくまでも政治任用官であり、その時々の政府が独自にこれを選任するので、その職責は彼らを任命した内閣が総辞職した時点で実質的に消滅した。前の内閣が任命した政務官は次の内閣発足後も暫時その職に留まるものの、基本的にその仕事といえば事務の引継ぎのみだった。
※この「政務官」の解説は、「加藤高明内閣」の解説の一部です。
「政務官」を含む「加藤高明内閣」の記事については、「加藤高明内閣」の概要を参照ください。
「政務官」の例文・使い方・用例・文例
政務官と同じ種類の言葉
- 政務官のページへのリンク