政務を怠る
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 08:00 UTC 版)
348年、張重華は強敵を立て続けに破ったことから、次第に政務を怠るようになり、賓客に接することも少なくなった。司直索遐はこれを諌めて再び政務に励むよう上奏したが、張重華はこれを聞いて答謝したものの、結局その態度が改まることはなかった。張重華はしばしば左右の寵臣に金銭を下賜し、また賭博や遊戯に興じたため、政治は荒廃するようになった。徴事の索振はこれを諫めて「先王は寝る間も惜しんで夜遅くまで政務に励み、また甲兵の修練にも努めました。さらに、その倹約をもって府庫を満たしました。これは、仇恥を雪いで四海を平定する志があればこそでした。殿下が継位されて間もなく、強寇が幾度も侵略しましたが、惜しまずに褒賞を下賜したので、戦士は死力を尽くし、かろうじて社稷を保つ事が出来たのです。今、蓄えは尽きかけており、寇仇はいまだ健在であります。どうして無功の者へ軽々しく与える事が出来ましょうか!」と述べると、張重華はこれを受け入れて謝罪した。349年12月、前燕より使者が到来し、張重華は協力して後趙を撃つ事を約束した。
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