宗家家督を巡る内紛とは? わかりやすく解説

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宗家家督を巡る内紛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 01:18 UTC 版)

島津忠良」の記事における「宗家家督を巡る内紛」の解説

しかし島津宗家家督狙っていた実久はこの事態に不満を持ち猛烈に抗議し、忠兼と貴久との養子縁組解消させようとした。そして、何よりも忠兼本人も貴久に守護職譲ったことを後悔して5月には悔返言い出すようになっていた。 大永7年1527年6月5日忠良・貴久に対し加治木地頭伊地知重貞、帖佐地頭忠良姉婿島津久に兵を挙げさせ武力により排除実権握ろう実力行動に出る。6月7日忠良すぐさま自ら討伐に赴き乱を鎮定この間実久は舅の川上忠克を忠兼のもとに派遣し守護職復帰を説かせた。実久出水串木野・市来の兵を率いて忠良方の所領伊集院一宇治城・日置城攻略更には加世田山田の兵で谷山城をも攻略した実久鹿児島清水城にいた貴久に守護職返上を迫る。6月15日窮地陥った貴久は死を以て城を守る気概であったが、園田実明進言受け入れ僅か8人の家臣と共に夜隠に紛れて鹿児島脱出田布施亀ヶ城逃れた6月21日、忠兼は実久迎えられ還俗し勝久と名を改め伊作から鹿児島帰り再び守護職復帰した7月23日忠良は勝久の隠居城となりその家臣守っていた伊作亀丸城を翌朝陥落させ自身居城とする。これより数年、自領の防備固め三州情勢観望勢力蓄え事となる。 享禄2年1529年)、豊州家島津忠朝新納忠勝禰寝清年肝付兼演本田薫親、北郷忠相樺山幸久、運久らが鹿児島清水城集まり島津勝久島津忠良和解するよう求めるが失敗天文2年1533年3月27日忠良・貴久は反攻開始2月実久方に回った日置南郷城主・波田栄景攻めを行う。この戦いで忠良南郷城攻略する為、盲僧間者として送り込み情報集めさせ、城主狩り留守を知るや、猟夫変装をした自らの軍勢城主軍勢偽って入城し即日陥落させた。この時、忠良南郷の地を「永吉」と改める。波田栄景は8月永吉城(南郷城奪回計り鹿児島吉田日置等の実久軍兵集め反撃試みるが、内通来襲備え守備固めていた忠良勢に負け敗走同年12月実久攻略されて服従していた日置城主・山田有親は、忠良領地献じ降伏した天文3年1534年)、勝久は自らの手で再び政務を執ろうとしたが歴代の臣を遠ざけ俗曲戯芸に興じ政務怠っていた。忠臣連判の上、これを諫めた聞き入れられなかった。このような状況家臣川上昌久は勝久近臣・末弘忠重を誅殺。勝久は一時大隅根占に逃れた翌年川上昌久は勝久の命で自刃。勝久は鹿児島に戻る。しかし、こうした勝久の振舞いに対して島津宗家老中重臣)は実久頼って勝久を排除する動き見せた天文4年1535年8月実久方の兵は鹿児島攻め街を炎上させ勝久は帖佐逃れた9月、勝久は祁答院重武、肝付兼利らとともに鹿児島攻め攻略谷山進撃する敗れて肝付兼利が戦死10月、勝久は帖佐移り実久鹿児島入った宗家老中支持受けた実久は勝久に代わって守護継承することになり、忠良・貴久親子との対立避けられないものになっていった。 一方忠良は、伊集院谷山・川辺などを転戦して薩摩半島掌握努めとともに、勝久とも和解、さらに北薩摩の渋谷氏一族味方につけて実久本拠地出水鹿児島間の道を寸断しようとした天文8年1539年正月加世田別府城の戦いで実久配下の軍を破り南薩をほぼ制した同年8月市来鶴丸城戦いにおいて実久の弟・忠辰を討つと実久本拠地出水へと撤退した。ここに及びようやく忠良・貴久親子島津宗家家督相続守護職復帰実現した。勝久は鹿児島回復した貴久とも対立し、再び大隅逃亡。封内施政自信をなくし北原氏北郷氏さらには母方縁戚大友氏頼り豊後落ちのびて行った。だが、鹿児島薩摩半島以外の地域に貴久の支配を及ぼすには時間要し、貴久が島津宗家代々当主任官されてきた修理大夫補任され、室町幕府および朝廷から守護として正式に認められるのは、天文21年1552年)のことになる。

※この「宗家家督を巡る内紛」の解説は、「島津忠良」の解説の一部です。
「宗家家督を巡る内紛」を含む「島津忠良」の記事については、「島津忠良」の概要を参照ください。

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