宗家・家元
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 01:13 UTC 版)
「宗家#武術」も参照 基本的には、古武道の指導者である一人の師匠が一子相伝すると言うことは珍しく、多くの師範を育てる場合が多かった(ただしある段階以上は一族や近しい者にのみ伝える場合も見られた)。指南許可を得れば自由に弟子を取って教えて良いとする流派や、免許を発行して良いが、師匠の許可を取る必要があるとする流派など様々であった。ただ実際は現代と違い全国的な組織を作ることが困難であり、江戸で学んだ者が特に指導許可を得ずに故郷で指導した例も見られた。以上の理由により○○流△派などとして同一流派に多くの派がうまれた。 明治維新後、特に戦後は交通や通信の発展と多くの流派が衰退し同流多派が少なくなった事により、古武道の世界でも宗家(家元)制度が広まり、全国的な組織が作られる例も見られる。この制度の普及により、多くの流派では一流派・一系統につき一団体とし全国に支部を展開するという手法が取られ、宗家による師伝・直伝をもとに作法や技術の統一化が図られている。日本古武道協会では、古武道の保存・発展に貢献した宗家やそれに等しい師範代に対して、古武道功労者表彰を授与しているなど、古武道においても宗家は、その流儀に歴史性や正伝性が担保されるための重要な役割となっている(ただし俗悪な権威主義に陥いり、形骸化が進行する危険性もある)。 しかしその一方では、同一流派の別系統の同意を得ずに一方的に宗家を名乗ったり、所属流派の許可を得ずに分派して新たな団体を創設する、正式に免許が与えられていない(あるいは破門された)にも関わらず勝手に流儀を指導するなどの問題も少なからず発生している。これらの中には技術レベルの圧倒的低下が露見したり、逆に別系統批判が平然と行われていることもある。特に居合術の英信流系統では、昭和期に、一部で継承争いが勃発したことや、居合道の誕生で事態が複雑化したことにより、その傾向は顕著である。 これらを防ぐために、新たな制度を導入する例もある。例えば天真正伝香取神道流(本部系統)では、"許可なく香取神道流を名乗り、道場を開き段位や免状・巻物を発行する事例が後を絶たず、また香取神道流の型に似て非なるものを教授しているために、技術的水準を明確にし、正確な型を伝承する一環"として、平成29年に「審査制度」を導入した。
※この「宗家・家元」の解説は、「古武道」の解説の一部です。
「宗家・家元」を含む「古武道」の記事については、「古武道」の概要を参照ください。
宗家家元
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 23:11 UTC 版)
興りの時期については元禄時代、あるいは1700年代とされ、日本舞踊の流派の中では最も古い。流派を興した初代西川仙蔵は能の囃子方から歌舞伎の鳴物師となった人物であり、その後に振付師として西川流を興す。その門弟であった二代目は「扇蔵」と名を改め、江戸三座の振付師として活躍。「関の扉」などの代表作を出した。 以後、宗家家元は代々「西川扇蔵」を名乗り、「勧進帳」等を振付し名人と称された四代目など、代々名作の振付を担当した。その後一時勢力が衰えたものの、現在の宗家家元である10世扇蔵が再興。10世西川扇蔵は1999年に人間国宝に選ばれた。 公益財団法人日本舞踊振興財団を設立した。 日本舞踊において正統な古典芸能を継承する宗家・西川流は、五大流派の一に数えられる。
※この「宗家家元」の解説は、「西川流」の解説の一部です。
「宗家家元」を含む「西川流」の記事については、「西川流」の概要を参照ください。
- 宗家・家元のページへのリンク