振付師として
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2002年、振付師として活動開始。イベントや様々なアーティストの振付を担当。石川が振付を担当した実写版「魔法先生ネギま!」のライブイベントの際に、ももいろクローバー(現・ももいろクローバーZ)のマネージャーである川上アキラが石川に興味を持ち、振付の依頼を行った。2008年にももいろクローバーの振付師として活動を開始し、以降すべての楽曲の振付を担当している。ももいろクローバーZが開催している女性限定ライブ「女祭り」のうち、2012年、2014年開催分についてはライブの総合演出も務めている。 2012年にリリースされたももいろクローバーZの「サラバ、愛しき悲しみたちよ」が、「MTV Video Music Awards Japan 2013」の「最優秀振付け賞」を受賞した。
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振付師として
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5歳のころよりモダンバレエを学んでいたが、中学校在学中にバレエからジャズダンスへとシフトしていった。その後、高校では新体操部に所属していたが、2年生の時にチア部のピンチヒッターを頼まれたことをきっかけに、チアダンスに没頭していった。竹中は「客席の声援まであって初めて完成する、このスタイルに強烈に惹かれた」としながらも、 「一体感のある盛り上がりを全曲通して持続させられ」る。 チアダンスで評価されるような「チーム全体での規律」ではなく「一人ひとりの個性」が評価される。 そのようなステージ(ジャンル)を追い求めるようになった。そこで、日本女子体育大学で舞踊学を専攻し、さまざまなジャンルのダンスを勉強する中で、そのようなステージ(ジャンル)を探すことにした。中学生の頃より、自分で踊るよりも振付・指導の方が好きであったため、ダンサー志望の人たちに混じっても問題ないかという不安もあったが、舞踊学専攻にはAO入試があり、そこで求められている学生像が竹中自身と一致するものであったため、AO入試を受け合格した。 大学では上記のようなステージ(ジャンル)と出会うことを目標にしていたが、その目標を達成することは出来なかった。また「何かの振付師になりたい」とは考えていたが、何の振付師になるのか決められないまま卒業した。その後、2007年の紅白歌合戦でBerryz工房が「付き合ってるのに片思い」を歌っているのを見て「アイドルだな」「アイドルの振りコピだ!」と思い、アイドルの振付師をしたいと思うようになった。竹中はその理由を以下のように説明している。 (アイドル)一人ひとりのキャラクターや魅力を生かすことが出来、更に応援してくれるお客さんは曲を覚えてくれるので、一緒に歌うことも踊ることも出来る。 — 竹中「IDOL DANCE!!! ―歌って踊るカワイイ女の子がいる限り、世界は楽しい―」 そこで、2009年4月に女性アイドルグループ『ぱすぽ☆』のブログよりメッセージを送り問い合わせてみたところ、アイドルに詳しいという理由で振付師として採用された。以降D-Riveやぱすぽ☆、prediaの振付を担当している。また、2011年にはプラチナムプロダクション及びその関連会社に属していない女性アイドルグループアップアップガールズ(仮)の公演のプロデュースを担当し、2012年には、同グループのオリジナル曲の振り付けも担当している。 2013年には、HKT48の2ndシングル「メロンジュース」の振り付けも担当、「激しく! パンクに!」というテーマで、サビで激しいヘッドバンギングが繰り広げられる振り付けを取り入れた。 2022年3月、SHOWROOMと共同で発起した「SRアイドル専用ジム」プロジェクトを立ち上げ。元アイドル経験者によるボイストレーナーやフィジカルトレーナー講師陣協力の元で、翌4月に開講した。
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