宗家と嫡流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 05:17 UTC 版)
日本では古代の早い時期から「地位」という区別によって一氏族を上位の権力が支配する構造が生まれ、単に血統による継承ではなく、後述する「氏長者」による統制によって秩序を維持した一面があった。一族は氏長者がもつ財産の継承により安定な生活が保証される(惣領はこれにちなむ)が、なんらかの理由で長者が亡失、あるいは失墜することは、生活に困難をきたし一族存亡の危機となるだけでなく、支配階級にとっても支配制度の根幹を揺るがしかねない。そこで宗家の断絶を忌避するために「嫡流継承」と「氏的継承」との2つの解釈が生じた。 養子や猶子はこのような背景による要請で生じた制度である。孫や甥、非嫡出子が養子となったり、まったく血縁のない者が養子に入り宗家を名乗ることもあった。また男子を複数の妻を娶ることが一般的であった時代、父権制でありながら母系が上位権力の血筋の場合は、年の序列に関係なく側室の子よりも正室の子が優先されることもあった。嫡流でありながら何らかの事情で一族を統率するいわゆる嫡宗権を失った血筋を嫡家といい、代わって庶流が一族の統率権を得れば宗家を名乗った。時代が下がるごとに宗家の定義は複雑さを増していくが、複数の家の間でどちらが宗家であるかをめぐり争いとなった歴史上の例は神話の時代から枚挙にいとまがない。 江戸時代における御三家や御三卿は、徳川将軍家の後嗣が絶えても権威の安定を図るための家柄制度(ただし明文化された「制度」ではない)であったともされる。
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