宗室として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 14:56 UTC 版)
前漢の魯恭王であった劉余(景帝の第4子)の末裔に当たる。劉焉の先祖は、後漢の章帝時代の元和年間に中原から江夏郡に国替された一族のうち、江夏郡にそのまま移住した分家筋の家だという[出典無効]。 若くして州や郡の役所に出仕し、漢の宗室だという理由で中郎になる。しかし、学問の師であった祝公の喪に服するため官職を辞した。 陽城山に居住し学問に励み、人々に学問を教えて名声を博し、賢良方正に推挙されて司徒府に招かれた。やがて洛陽の県令を経て、冀州刺史・南陽郡太守・宗正・太常(皇帝の祭祀を司る九卿の筆頭に当たる役職)を歴任した。
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