宗國寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 15:42 UTC 版)
三星山には宗國寺という寺があった。元亀・天正の頃、浦上宗景が国中の兵乱を憂えて、要害の地である三星山に父である浦上宗國の墓を築いた。そして、寺を建て父の字をあてて宗國寺とした。その後、寺は倉敷に移したが残っていた建物は宇喜多氏が三星城を攻めたとき、城郭とともに灰となった。
※この「宗國寺」の解説は、「三星城」の解説の一部です。
「宗國寺」を含む「三星城」の記事については、「三星城」の概要を参照ください。
- 宗國寺のページへのリンク