宗団の近代化とは? わかりやすく解説

宗団の近代化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 00:22 UTC 版)

真言宗」の記事における「宗団の近代化」の解説

1872年明治5年)、古義真言宗統括すべく管長職が設置され金剛峯寺住職降魔研暢命じられた。1873年明治6年3月29日太政官達下り教王護国寺東寺と金峯寺の両寺が、古義真言宗の総本寺定められた。 政府宗教政策である一宗一管長制が、古義新義真言宗本山にも求められた。古義真言宗では教王護国寺東寺金剛峯寺新義真言宗智積院長谷寺交替で、真言宗管長就任することになった管長全真言宗を統括し宗務に当たることとなり、真言宗にも一宗一管長制が導入されることとなった。 しかし、1878年明治11年)、仁和寺大覚寺広隆寺神護寺西大寺法隆寺唐招提寺古義真言宗から離脱し仁和寺内に西部真言宗称する宗派立てて、独自の管長を置く。また、新義真言宗智積院長谷寺離脱し真言宗新義派称して独自の管長を置き、古義真言宗金剛峰寺東寺合併して古義真言宗から真言宗称して独自の管長置いた。こうして、真言宗一宗一管長制が瓦解して西部真言宗真言宗新義派真言宗となり、3人の管長存在する態となった。このことは、政府の知るところとなり、内務省から、一宗一管長制を採るよう通達があった。これを受け、霊雲寺において、古義派・新義派合同会議が行われた。結果1879年明治12年)に正式に合同図られた。あわせて教王護国寺東寺総本山にして、長者称号復することになった

※この「宗団の近代化」の解説は、「真言宗」の解説の一部です。
「宗団の近代化」を含む「真言宗」の記事については、「真言宗」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「宗団の近代化」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「宗団の近代化」の関連用語

1
2% |||||

宗団の近代化のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



宗団の近代化のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの真言宗 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS