西大寺とは? わかりやすく解説

さいだい‐じ【西大寺】

読み方:さいだいじ

[一]岡山市東区西大寺にある高野山真言宗の寺。山号金陵山。開創天平勝宝3年751)、開基藤原泰明の娘で皆足(みなたる)姫、開山は安隆。2月第3土曜日行われる会陽(えよう)(裸祭)は奇祭として有名。観音院

[二]奈良市西大寺芝町にある真言律宗総本山南都七大寺の一。山号秋篠山。天平神護元年765称徳天皇勅願により創建開山常騰(じょうとう)。平安時代災害により衰退したが、鎌倉時代叡尊(えいぞん)が再興戒律根本道場となった十二天画像金光明最勝王経などの国宝があるほか、多数文書所蔵高野寺(たかのでら)。四王院


西大寺

読み方:サイダイジ(saidaiji)

別名 総本山南都七大寺

宗派 真言律宗

所在 奈良県奈良市

本尊 釈迦如来


西大寺

読み方:サイダイジ(saidaiji)

別名 西大寺観音

宗派 高野山真言宗

所在 岡山県岡山市

本尊 千手観世音菩薩

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

西大寺

読み方:サイダイジ(saidaiji)

所在 岡山県岡山市

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

西大寺

読み方:サイダイジ(saidaiji)

所在 岡山県(JR赤穂線)

駅名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

西大寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/27 15:53 UTC 版)

西大寺(さいだいじ)

寺院

地名

鉄道

施設

関連項目


西大寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/01 08:13 UTC 版)

西大寺 (学区)」の記事における「西大寺」の解説

西大寺上1~3丁目、西大寺中1~3丁目、西大寺南1~2丁目西大寺東1~2丁目、向洲、西大寺、および金岡東町1丁目・西大寺中野本町一部からなり、旧西大寺村域にあたる地区吉井川河口よりやや上流西岸位置し芥子山南東方向1kmほどにあたる。東に芳野、南に金岡、北には雄神、西は吉井川挟んで豊の各地区と隣接している。 旧牛窓往来沿いの町並み中心に集落形成されており、地区内中央やや北寄りに、金山呼ばれる小高い独立丘がある。 現在の集落中世生まれたとされ、上道郡および同郡から分離した上東郡属していた。当時金岡庄という荘園一部で、同荘園物資集散地として川湊が発達内陸各地その他地域との交易盛んに行われた同時に、西大寺の門前町として市場発達し賑わった。元亨2年西大寺境内絵図では、西大寺門前町には定期市が立ち、市場数は2反で、金岡庄の地頭方領家方に分かれていた。酒屋魚座餅屋屋・鋳物座などがあり、酒屋毎年一家ごとに100文、魚座毎年300文を地頭領家差し出したほか、酒屋は市の日に地頭へ酒2升を差し出すこととなっていた。今日門前町付近市場町称するのは、これに由来している。 吉井川の川湊に隣接するこの市場町は、門前町同時に湊町としても機能し室町時代末期には西大寺の門前には小都市といえる規模にまで発展した延徳4年、西大寺造営のために浦上宗助が「金岡西庄公文之内西大寺市場数」を、宇喜多久家は「金岡東庄領家之内西大寺市場数」などを灯油免として同寺に寄進している。 戦国時代宇喜多秀家岡山城建造に伴い城下町の建設計画、有力商工業者岡山城移住推し進めたが、当地から多く移住者がおり、彼らが集まり住んだ場所は西大寺町呼ばれ今日までその地名存続している。 『西大寺文書によれば文禄4年12月宇喜多秀家黒印状に「高五拾石也 上東郡西大寺内」を西大寺に与えられたとあり、宇喜多秀慶寄進状では、慶長4年には「西大寺内」20石が同寺院円蔵坊に寄進されたとある。同6年小早川秀秋寄進状によると、西大寺村の名が見え、『寛永備前国絵図』では、石高1454石余りとされている。 『御納戸大帳』によると、近世になると岡山藩領分となり、引き続き門前町市場町として繁栄し、また吉井川船運整備されるにつれ、作州米を主に美作方面から物資流入し瀬戸内航路の船載貨物も集まり米問屋廻船問屋台頭寛永19年には岡山藩領内13箇所定め所商売を許可した在町一つ含まれた。寛永10年には締問屋として作州米問屋佐七作州売問屋御国米共問屋綿実菜種問屋忠治郎綿実菜種問屋八兵衛問屋佐七紋三郎太兵衛・磯右衛門・五兵衛五右衛門忠治郎などの名が見え店舗5年には菜種綿実問屋八兵衛・亀次郎・加右衛門が命ぜられ、吉井川筋に積み上がる菜種綿実改めている。当時当地岡山藩により大阪への蔵米輸送課せられた加子浦でもあり、享保8年以降江戸廻米の輸送負担する加子浦の一つとなった青森県上北野野辺地町五十嵐家に残る『久星客船帳』には、江戸後期中心とした計254艘の船名記録されるが、当地平野屋平吉の行安丸の名も見える。 『備陽記』では、家数271軒、人口1536人、小平太渡船1、二端帆から九端帆までの船は28艘。また文化年間の『岡山藩領手鑑』では、直高2528余り、田66町7反余り、畑16町7反余り家数424軒、人口1944人、牛3227とあり、西大寺および同寺中では、寺は慶、出家10山伏1、堂9(観音薬師一切経大日大師仁王門火防地蔵)、社3(鎮守牛頭所宮・天神宮弁財天)、医者5、船27育麦1とある。 江戸時代には、例年初茄子青瓜出荷し、本綿も他所よりも品質優れていたといわれる。初青瓜享保3年には5月中旬岡山城へ計3籠差し出されている。西外れ梅枝があり、枯れ木作ると、その木が花を咲かせ、実を付けたので名付けられたという。対岸新村への渡し船があり、金山の脇には金岡塚(狩野塚)と呼ばれる高さ三尺石塔があったといわれる渡し場は、のちに川下金岡村地内移ったが、宝暦6年川筋埋まったために再び当地にあった渡し場渡船をしたいとの願い出があったと『撮要録』にある。 明治22年町村制施行、同29年2月町制施行し西大寺町となり、昭和12年1月上道郡金岡村、同15年には同郡芳野村編入合併した。同28年上道郡邑久郡におよぶ周辺合併西大寺市となった。同35年の2ヶ上道郡雄神村邑久郡朝日村)および翌36年の1ヶ邑久郡大宮村)の編入合併経て、同44年岡山市編入合併する。同市東地域行政・経済拠点を担う。そして平成21年4月政令指定都市移行東区行政区一部となり、同区役所当地置かれ(旧支所=旧西大寺市役所位置区役所本庁管轄になる。 明治期山陽鉄道敷設計画される。しかし、西大寺港への影響から地元住民反対し、実現しなかった。地区外を通るルート明治24年山陽鉄道開通すると、鉄道必要性感じ鉄道敷設計画再燃する明治から大正期にかけ、備前鉄道西大寺鉄道瀬戸軽便鉄道東備軽便鉄道山陽海岸線鉄道などの計画があったが、いずれも計画に至らなかった。明治44年念願鉄道である西大寺軽便鉄道敷設され西大寺観音院-長岡開通した。これにより当地から山陽鉄道西大寺駅(現・東岡山駅)が結ばれるとなった大正4年後楽園駅までに延伸されたが、昭和37年に同鉄道廃線となった。それに代わり同年赤穂線開通し新たに当地北部現在の西大寺上2丁目西大寺駅新設された。なお、旧西大寺軽便鉄道西大寺駅は、西大寺軽便鉄道後継である両備バスターミナルとなる。 明治27年日清戦争の後、当地内には工場設立相次いだ。まず同29年、西大寺紡績設立された。同社明治44年鐘淵紡績編入合併され、鐘紡西大寺工場となる。その後中小工場設立続き商工業の町として栄えた当地では近代早くから中等教育充実しており、明治34年西大寺町立西大寺女学校昭和15年には岡山県西大寺中学校開校したいずれも現在の岡山県立西大寺高等学校前身である。 昭和初期頃まで、高瀬舟当地から吉井川通り県北津山までの間の約三十里を往来し廻船積み換え港として栄えていた。現在もかつての港町門前町市場町名残とどめた古い町並み現存しており、岡山市まちづくり交付金事業一環としてこの地区保存整備行っている。また、地元住民によりまちづくり協議会設置されており、まちづくり協定なども制定されている。この地区の東よりの旧河本町付近には特に古い建物多く残る。また、また五福通り周辺(北之町・中福町など)は、昭和前期から中期ごろのノスタルジー感じさせる町並みとして保存活動が行われており、レトロ看板などの保存活動全国的にも珍しい。五福通り周辺は、平成17年1月映画ALWAYS 三丁目の夕日』のロケが行われ、住民エキストラとして参加した。また西大寺八景として当地から西大寺駅前広場・向州公園桜並木吉井川清流選定されている。 当地にある向洲は、向洲公園として4.1ヘクタール敷地岡山市東部文化拠点として公民館など立地し、さらに200メートル陸上競技場野球場テニスコートなどが整備されており、昭和62年には夜間照明備えられた。他に金岡ポンプ場などもある。 昭和47年住居表示事業により、現在の町区となった。 なお当地は、天満屋創業地でもある。

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