牛窓往来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 07:26 UTC 版)
江戸時代、当地内にも特に人通りの多かったのが牛窓往来であった。同街道は、岡山城下町から上道郡平井・湊村を経て倉安川沿いに東に向かい、百間川を越えて中川・松崎・西大寺各村を通り抜け、金岡村から吉井川を渡り、対岸の邑久郡新村からは南東に向かい、邑久郡乙子・神崎・千手と抜け、峠を越え、鹿忍を経て牛窓港へ至った。現在の西大寺地域を横断する形となっている。牛窓港は朝鮮通信使一行の休息・宿泊の地であり、使節団の応援にあたるため岡山藩士の往来も多く、周辺には西大寺村や金岡村の他にも在郷町が発達して沿線は賑わいを見せた。
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