下町とは? わかりやすく解説

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下町

読み方:したまち

「下町」とは、都市の中で庶民が庶民的な暮らしをしている地域という意味で主に用いられる表現である。とりわけ東京の沖積平野の上に築かれた神田、浅草、日本橋、深川などの地区を指す表現として用いられることが多い。

東京の下町は、高台に位置する「山の手」と対比される。もともとは「低地にある地区」のことであるが、そうした低地に庶民の生活圏が築かれることで「庶民の町」を指す語となった。

下町の基本的な意味

「下町」という言葉は、もともとは、地理的な意味で「低い所にある町」を指す語とされる。つまり「下方に位置する町」である。「下々の者が暮らす町」という意味ではない。

江戸の町では将軍、大名、旗本その他の地位ある者はみな高台(山の手)に居を構えており、下町は庶民の暮らす地域であった。

「下町」という表現は、たいてい東京の下町を指す固有名のように用いられるが、大阪などの特定地域を指す語として用いられることもある。大阪の下町は、船場、堂島、中之島などを指す。東京の下町と同様、沖積平野の低地に築かれた庶民の町である。

「下町」という表現には、住宅や個人商店が密集し、生活感があり、人情味があり、昔ながらのレトロな雰囲気が残る街並みといったイメージが伴う。そのような雰囲気にあふれている「庶民的な地域」は、特に低地にあるわけではなくても「下町」と呼ばれる場合がある。

下町には往時の雰囲気が名残をとどめていることが多く、昔を知る者にとっては懐かしさ(ノスタルジー)に浸ることができる場所になりやすい。往時を知らない若者にも、レトロな街並みが新鮮に映り、ある種のエモさが感じられる映えスポットとして受け入れられることがある。

「下町」を含む用語の解説

下町ロケット

「下町ロケット」とは、池井戸潤が2010年に発表した小説、および、同小説を原作とするテレビドラマのタイトルである。精密機器の製造を手掛ける中小企業が、大手企業との軋轢などの困難に立ち向かいながら、ロケットエンジンの部品の開発供給を目指して悪戦苦闘する姿が描かれる。

小説「下町ロケット」は2010年の第145回直木賞受賞作に選ばれている。

下町の玉三郎

「下町の玉三郎」とは、俳優・梅沢冨美男の二つ名である。大衆演劇の女形として脚光を浴びたことに因み、歌舞伎界の女形の代名詞的存在である坂東玉三郎になぞらえられている。「下町の」という表現が、大衆演劇ならびに梅沢自身への親しみやすさを伝えている。

下町のナポレオン

「下町のナポレオン」とは、三和酒類株式会社が販売している麦焼酎「いいちこ」の愛称である。商品のラベルにも記載されている公式の二つ名である。もともとは「いいちこ」の商品名を公募した際に寄せられたネーミング案だったらしい。

「ナポレオン」はブランデーの等級の最高位(つまり最高級ブランデーのこと)である。「下町のナポレオン」は、いいちこの「庶民的」かつ「高級感がある」という要素を端的に表現している。

した‐まち【下町】

読み方:したまち

都会で、土地の低い所にある町。多く商工業地になっている。東京では浅草・下谷・神田・日本橋・京橋・本所・深川などの地域をいう。「―育ち」⇔山の手。


下町

作者林芙美子

収載図書昭和の短篇小説
出版社菁柿堂
刊行年月1989.4

収載図書ちくま日本文学全集 045 林芙美子
出版社筑摩書房
刊行年月1992.12

収載図書戦後短篇小説再発見 6 変貌する都市
出版社講談社
刊行年月2001.11
シリーズ名講談社文芸文庫

収載図書林芙美子
出版社筑摩書房
刊行年月2008.7
シリーズ名ちくま日本文学


下町

作者田辺聖子

収載図書田辺聖子珠玉短篇集 3
出版社角川書店
刊行年月1993.5

収載図書田辺聖子全集 3 すべってころんで短編1
出版社集英社
刊行年月2004.11


下町

読み方:ダウンタウン(dauntaun)

作者 林芙美子

ジャンル 小説


下町

読み方:ゲノマチ(genomachi)

所在 和歌山県和歌山市


下町

読み方:シモマチ(shimomachi)

所在 茨城県龍ケ崎市


下町

読み方:シモマチ(shimomachi)

所在 新潟県妙高市


下町

読み方:シモマチ(shimomachi)

所在 石川県七尾市


下町

読み方:シモマチ(shimomachi)

所在 愛知県西尾市


下町

読み方:シモマチ(shimomachi)

所在 岡山県高梁市


下町

読み方:シモマチ(shimomachi)

所在 岡山県美作市


下町

読み方:シモマチ(shimomachi)

所在 徳島県徳島市


下町

読み方:シモマチ(shimomachi)

所在 熊本県菊池郡大津町


下町

読み方:シタマチ(shitamachi)

所在 岩手県八幡平市


下町

読み方:シタマチ(shitamachi)

所在 福島県二本松市


下町

読み方:シタマチ(shitamachi)

所在 長崎県長崎市


下町

読み方:シモチョウ(shimochou)

所在 茨城県常陸大宮市


下町

読み方:シモチョウ(shimochou)

所在 埼玉県さいたま市大宮区


下町

読み方:シモチョウ(shimochou)

所在 神奈川県横浜市磯子区


下町

読み方:シモマチ(shimomachi)

所在 岩手県岩手郡雫石町


下町

読み方:シモマチ(shimomachi)

所在 福島県安達郡本宮町

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

下町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/10/03 22:35 UTC 版)

下町(したまち)は、大まかに2つの意味があり、ひとつは地理的な特性を指し、高台にある山の手(上町)に対して海などに近い低地にある町という意味で、もうひとつは住民の社会階層的な特性による町の分類で、江戸時代の江戸では武家屋敷や寺町がある「山の手」に対して商人や職人が住む家が並んでいた町のことであり現代では庶民の家が並ぶ町のこと。

概説

地理的特性としての下町

市街地のうち、海や川に近い低地(沖積平野)の区域を指す。東京では武蔵野台地東側の東京低地や隅田川沿い、大阪では上町台地西側の難波砂堆、同北側の天満砂堆および両砂堆西側の大阪海岸低地や旧淀川沿いが該当する。

下町の対語は、東京では山の手(やまのて)、大阪では上町(うえまち)である。下町という用語は、江戸ー東京(現在の墨田区、台東区、江東区などの城東エリア)でよく用いられる。

一方、市街地の大半が砂堆や低地に広がる大阪では、船場、島之内、堀江、下船場、中之島、堂島、天満など、川や堀で区切られたブロックごとの固有名称が一般的に用いられ、例外的な台地とその上に広がる市街地を指して、対語となる上町のほうがよく用いられる。

社会的特性としての下町

庶民の居住区のこと。建ぺい率が高い小さな家屋が密集することが多い。居住区は必ずしも低地とは限らず高台(洪積台地)に位置することもある。江戸でも大坂でも、時代とともに範囲が変化した。

相関の有無

江戸時代前期の江戸においては、徳川家康の計画により、武蔵野台地上に江戸城、旗本屋敷や諸藩の大名屋敷、有力寺院などが配置され、武蔵野台地東側の低地を埋め立てつつ町人地が配置されたため、地理的高低差と社会的棲み分けに相関関係があった。しかし、江戸時代中期以降は山の手だけでは土地が足りなくなり低地にも大名屋敷や武家屋敷が築造されるようになったため、地理的高低差と社会的棲み分けが曖昧になった。

一方、大阪では豊臣時代初期において武家地・町人地とも上町台地上に形成されていたことや、江戸時代に水運に利する低地に諸藩の蔵屋敷が立地していたことから、当初から地理的高低差と社会的棲み分けの相関関係は弱い。

江戸・東京における下町の歴史

家康入府前

もともと江戸には海手という地名があったことが確認でき[1]、海手と山の手が対称・対比的に使われる地名だった[1]。

この「海手 - 山の手」という対称地名は、江戸時代になっても、かなりの年月使われていたらしい。 『御府内備考』(1810年-1829年)の甲府御屋敷蹟の項にも、「承応記云、元年八月十四日長松君へ御下屋舗、海手と山の手両所進せられしとなり」とあり、海手と山の手が明らかに対称地名として使われている[2]。

江戸時代前期

徳川家康は1590年(天正18年)に江戸城に入城した後、台地の端に屋敷を造ったのち、その東側の低湿地帯を埋め立てて職人町等を造ることにし、平川の河口から江戸城に通じる道三堀を造ったのを手始めに、掘割が縦横に走る市街地の下町を造成していった[3]。掘割があるため、各区域の区別がはっきりとしており、区域ごとの特色がはっきりしていた。(現在でも東京の下町には運河や小河川が縦横にあるため、橋を渡らないと隣町に行けない地域があり、こうした地域では道路や川を越した先を「むこうがし(向こう河岸)」という表現があるほどである)。

埋め立てが進行する中で下町という呼び方が生じ、「海手 - 山の手」という対称地名と並んで「下町 - 山の手」という対称地名も使われるようになった、と考えられる[1]。江戸時代の御府内(江戸の市域)で、高台の地域を「山の手」と呼び、低地にある町を「下町」と呼んだという。

寛文二年(1662年)の小川新田(武蔵野台地の中央あたりにあった村)の訴状の中に「新田に而瓜作少宛仕候、下町瓜といやかしにて壱間山之手に壱間御江戸に瓜といや二間」という文章が見られる。この文章では武蔵野台地の上の側を山の手と呼び、それと対称的に、台地から降りた、海岸近くの低い場所を下町と呼んでいるのだろうと推察される。

この当時には、山の手、下町の他に場末という地名が使われた[4]。この時代の江戸の住民にとって下町の範囲というのは「お堀より東、隅田川より西側、それに新橋より北側、筋違門より南(今の須田町とか秋葉原の手前より南)」だったという[4]。なお、当時の下町には深川も浅草も入っていない[4]。上で説明したが、掘割があるので江戸の町はそれぞれの地域にはっきりと特性があり、江戸っ子はそれぞれの町の住民として誇りをもって住んでいた。深川の人々にも「下町じゃないぞ」という気概があり、浅草の人々にも「日本橋と一緒になってたまるか」という気概があった[4]。 上で説明した下町の範囲の外側の土地は、もはや「町」ではなく、民家がまばらな土地で、場末(ばすえ)と呼ばれた。

江戸の下町の中心は日本橋や神田であった。すなわち、現代の地名で言えば中央区日本橋や千代田区神田に相当する地域であった。 角川書店が1978年に刊行した『角川 日本地名大辞典 13 東京都』には、江戸期の下町は「神田、京橋・日本橋を中心とした地域[5]」と書かれている。

江戸時代中期から明治期まで

江戸時代中期以降は、旧来の下町の東側(本所・深川等)が市街化され、これらの地域は江戸時代を通じて商人町よりも武家屋敷の性格が強かった[6]ため、地理的な「下町」と社会的な「商人・職人の町」は必ずしも合致しなくなってきた。一方で下谷・浅草地域は寺社の集積により寺町となった。 「江戸後期から明治期にかけ下町の範囲はひろがり、浅草・下谷が含まれるようになった[5]」と角川日本地名大辞典に書かれている。

大正期から昭和期まで

「大正期以降から昭和期にかけて、市街地の拡大に伴い、下町の範囲はさらに東へと伸び、江東・墨田・荒川・足立・葛飾・江戸川の各区も下町と考えられるようになった」と角川の地名大辞典に解説されている[5]。

平成以降

地名が整理統合され、都心回帰による再開発が進んだ平成以降の今日では「下町」「山の手」の区分はさらに不明瞭となった。

東京における下町の代表的な地域は、いわゆる城東地区と呼ばれる日本橋、京橋、銀座、神田、下谷、浅草、本所、深川であり、現在の中央区、千代田区の北東部、台東区、墨田区、江東区の一部に相当する。一方で「山の手」のイメージで語られがちな旧小石川区(現在の文京区)や旧牛込区(同新宿区)、旧芝区(同港区)にも下町地域は存在する。城南に位置する大田区の蒲田、大森も下町の扱いを受ける場合がある。

東京の地元紙「東京新聞したまち版」の下町区域は台東区、墨田区、江東区、荒川区、文京区、足立区、葛飾区、江戸川区としている。

博物館
  • 東京都台東区上野公園内にある下町ミュージアムでは大正時代の下町の街並みが再現され、下町の路地や庶民が住む長屋、表通りに面した商家が実物大で再現されている。
  • 東京都小金井市小金井公園内にある江戸東京たてもの園の東ゾーンでは東京の下町の風情を楽しむことができるよう、明治期から昭和期ころの銭湯、醤油店、乾物店(昆布や鰹節や豆類などを売っていた店)、荒物屋(台所用品店)、居酒屋、仕立て屋、文具店、生花店などが移築され、当時の店内や物品が再現されている[7]。

大坂(大阪)における下町の歴史

豊臣初期は武家地、町人地とも上町台地上に展開していた。しかし、豊臣秀吉晩年の1598年に大坂城三の丸の造成が始まると、三の丸内に展開していた町人地の大半が船場へ移転された。西端部を除いて現在も船場に残る40間四方の区画は太閤地割と呼ばれる豊臣時代の名残である。

江戸時代に入ると下船場・島之内・中之島などが幕府や有力町人によって開発され、寺内町だった天満を大坂城下に取り込む一方、豊臣時代の三の丸にも再び町人地が展開され、上町台地上の渡辺、玉造、上本町、谷町などが上町と総称されるようになった。武家地については、大坂城代や大坂町奉行の屋敷地は基本的に上町台地上に位置する大坂城内や上町に置かれたが、一部は天満の北縁や川口に置かれ、天下の台所と称された都市の性格上、各藩の大名屋敷(蔵屋敷)はもっぱら堂島や中之島といった水運に利する低地に置かれた。

地理的高低差によれば、上町台地上の上町以外は全て低地の下町ということになるが、上述のとおりブロックごとの固有名称が一般的であるため、下町という呼称はまず用いられない。しかし近年、マスメディアなどの影響により、東京の下町に似た庶民的な街を下町と呼ぶことが多くなった。

ただし大阪においては、東京の下町の雰囲気に通じる新世界、天下茶屋、天王寺や駒川の駒川商店街、平野などの地域はもともとの大阪市域ではない。また玉造や空堀商店街界隈、寺町群など天王寺区域は上町台地上に位置している。今日的な下町のイメージを持つ街のうち、大坂城下の町人地としての歴史を有しなおかつ上町以外に位置するのは、天満の天神橋筋商店街界隈ぐらいである。

ただし平野については、織豊時代の大坂成立以前から独立した商業都市で、洛中軍事貴族であった坂上広野麻呂の子孫が統治する環濠自治都市であったから、もとより庶民によって形成された街ではない。昭和時代にあっても銀行の支店が多く立地し、商店街や映画館を中心とした繁華街、街全体が百貨店と喩えられた専門店街、モールなどの商業機能も維持されていた。このために、平野の住民やその商圏であった地域には「下町」扱いを受けることに反発する者もおり、歴史学者・北川央も雑誌『大阪人』刊行の際、平野を下町とする編集者に大きく反発したことを述懐している。

下町文学

独特の気質や美意識を持つ下町は多くの文学者に愛され、下町を描いた近代文学作品は数多い。代表的な作家に、幸田露伴、久保田万太郎、舟橋聖一、円地文子、永井龍男、芝木好子、田久保英夫、吉村昭、川口松太郎、池波正太郎、長谷川時雨、樋口一葉、永井荷風、安岡章太郎、泉鏡花、川端康成、江戸川乱歩、佐多稲子らがいる[3][8]。また、西洋的な視座から隅田川河岸の江戸趣味を楽しむ文人の集まり「パンの会」も一時結成された[8]。

下町を舞台にした作品

該当する英単語の有無

「下町」という日本語にぴったりと合致する英単語は無い。「downtown(ダウンタウン)」という英単語は現在、都心、中心街、ビジネス街、繁華街を指す言葉であり、日本語の下町とは意味が異なっている。downtownのdownは地形的な低地ではなく、もともと地図における下方すなわち南を意味し、現在の意味へと変化したのであり、日本語の下町との関連性はない。英語のダウンタウンの対義語はアップタウン。

脚注

  1. 1 2 3 講座日本の封建都市 - 第 2 巻. 文一総合出版. (1983). p. 303
  2. ↑ 小木新造 (1986). 江戸とは何か 5 江戸東京学. 至文堂. p. 130
  3. 1 2 高木利夫「東京と文学(1)近代化過程における相互の関連について」『法政大学教養部紀要』第90号、法政大学教養部、1994年2月、75-101頁、doi:10.15002/00004584、 ISSN 0288-2388、 NAID 120001613898。
  4. 1 2 3 4 “竹内 誠館長、江戸時代の下町を語る”. 2025年1月6日閲覧。
  5. 1 2 3 角川 日本地名大辞典 13 東京都. 角川書店. (1978)
  6. ↑ [三井住友トラスト不動産HP|https://smtrc.jp/town-archives/city/honjo/index.html]
  7. ↑ “江戸東京たてもの園 東ゾーン”. 江戸東京たてもの園. 2025年1月4日閲覧。
  8. 1 2 高木利夫「東京と文学 : 近代化過程における相互の関連について(2)」『法政大学教養部紀要』第93号、法政大学教養部、1995年2月、29-48頁、 doi:10.15002/00004596、 ISSN 0288-2388、 NAID 120001613910。

関連項目


下町(したまち)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/20 03:02 UTC 版)

「大浦 (長崎市)」の記事における「下町(したまち)」の解説

4街区。住宅地。大浦石橋通り・オランダ坂通り沿いに商業施設も多い。

※この「下町(したまち)」の解説は、「大浦 (長崎市)」の解説の一部です。
「下町(したまち)」を含む「大浦 (長崎市)」の記事については、「大浦 (長崎市)」の概要を参照ください。

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