牛窓本蓮寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/12 05:45 UTC 版)
詳細は「本蓮寺」を参照 牛窓は第1・2回の通信使では水と食料の補給のみで、第3回から宿泊地となった。三使らの宿舎は、第3回から第6回までは本蓮寺で、第7回からは御茶屋に移った。なお、宿舎が御茶屋になってからも、使節は本蓮寺を訪れている。 本蓮寺は南北朝時代の創建で、明応元年(1492年)建立の本堂は重要文化財に指定されている。寺に伝わる「朝鮮通信使関係史料9幅」は岡山県重要文化財に指定されている。 牛窓には朝鮮通信使に由来するとされる「唐子踊り」が伝承されている。牛窓の疫神社の10月の秋祭りで奉納される稚児舞で、異国風の装束を着けた男児2人が舞う。囃子は意味不明で、朝鮮通信使に同行した小童による舞踊が起源とされる。
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