保存活動
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戦後の一時期からは一般公開がなされなくなったため、地元では帯笑園の名前を知らない住民がほとんどとなっていた。1995年(平成7年)には沼津市史編集委員会によって『原宿植松家 日記・見聞雑記』(沼津市叢書3)が翻刻出版され、植松家と帯笑園が再び一般にも知られるようになった。同年2月から4月には三島市の佐野美術館で「東海の名園に遊ぶ 植松家と文人墨客」展が開催され、東京国立博物館に寄贈されている植松家の旧蔵品が展示されたことも、帯笑園の認知度の向上につながった。庭園文化史を専門とする小野佐和子(千葉大学園芸学部)の研究がもとで、2001年(平成13年)12月には連合自治会・原町商工会・原地区コミュニティ推進協議会が主催する講座「再発見 原宿と帯笑園」が開催された。 これらによって帯笑園の保存整備の機運が高まったことから、2003年(平成15年)10月、植松善夫や沼津市議会議員の大場豊重が中心となって帯笑園保存会が設立された。2004年(平成16年)に静岡県で開催されたしずおか国際園芸博覧会(浜名湖花博)では、園芸文化館の中に帯笑園コーナーが設けられた。浜名湖花博の効果で一気に帯笑園の認知度が高まったことで、帯笑園保存会は帯笑園の保存を求める署名運動を行い、沼津市の斎藤衛市長に対して約5000筆の署名を提出した。 帯笑園保存会は毎年4月にサクラソウの鑑賞会と琴の演奏会を開催し、毎月1回の頻度で見学会を実施した。2005年(平成17年)4月には沼津市立図書館で「原宿植松家(帯笑園)所蔵展」が開催され、日本美術史を専門とする日比野秀男(常葉大学)による講演「原宿植松本家(帯笑園)の文化と美術」が開催された。2009年(平成21年)には沼津市が用地取得を開始し、観光スポット化するための整備を開始した。2010年度(平成22年度)には暫定的な整備が行われ、園路・花壇・鉢物の整備棚などが整備された。 近世後期から近代にかけて花卉類の収集・展示の場となった庭園の事例として、2012年(平成24年)9月19日に国の登録記念物(名勝地関係)に登録された。2019年(平成31年)にはトイレが設置され、4月29日に整備完了式典が行われた。
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保存活動
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1972年に「対州馬振興会」が発足。増殖の技術指導など、現在まで対州馬の保存活動の中心となっている。 1988年、対州馬の保存などを目的として、地元の美津島町が対州馬の飼育事業をスタート。有人離島である島山島に対州馬牧場を設け、保存・増殖を図る。 1989年、農林水産省の「ジーンバンク事業」により、対州馬の精液を凍結保存し、3頭の対州馬を北海道の 家畜改良センター十勝牧場に送る。同牧場では増殖に成功し、次世代の対州馬数頭が生まれているが、今後世代を重ねた場合、場内の個体だけでは近親交配にならざるを得ないことが懸念される。 1997年、島山島の対州馬牧場の対州馬のうち12頭を、県内外の牧場や幼稚園に譲渡。対州馬牧場では、当初9頭だった対州馬を47頭にまで増やしたが、頭数が増えたことで財政上の負担が大きくなっていたこともあり、「里親」を募集、一部の馬を譲渡した。その後、残った馬たちは、島山島から「あそうベイパーク」(美津島町内の自然公園)に移される。 2002年7月、上県町瀬田地区で「馬跳ばせ」を復活させる。同地区では明治時代から、初午祭(男の子の初節句の行事)の余興として、対州馬による草競馬「馬跳ばせ」が行われていたが、出走する対州馬がいなくなり、1960年代後半から途絶えていた。町おこしと対州馬の保存につなげようと、町と地元有志による初午祭実行委員会が、目保呂ダム上流の公園を会場として「馬跳ばせ」を復活。好評を博したことから、対馬初午祭は恒例行事となり(現在は10月に実施)、大勢の観光客でにぎわっている。初午祭では、目玉行事の「馬跳ばせ」のほかに、流鏑馬ルーレットや乗馬体験などでも、対州馬が活用されている。 2004年3月、島内の6町(初午祭の行われている上県町、「対州馬牧場」を運営していた美津島町を含む)が合併し、対馬市が新設される。市では目保呂ダムの公園を「目保呂ダム馬事公園」としてリニューアル(「あそうベイパーク」の厩舎も存続)。2006年2月より、馬事公園では「対州馬ふれあい体験」として騎乗体験を実施しており、乗馬クラブの開設も検討されている。 2006年5月、「目保呂ダム馬事公園」で子馬1頭(牝)が誕生。 2006年8月の地元紙記事によれば、対州馬の現地での飼養頭数は26頭で、所有者の内訳は、振興会8頭、対馬市12頭、個人6頭。このうち、「あそうベイパーク」と「目保呂ダム馬事公園」で、それぞれ6頭ずつが管理されている。 対州馬は他の在来馬と同様、農林水産省の「日本在来馬の保存活用推進事業」や「日本在来馬種保存事業」「日本在来馬種保存紹介事業」の対象ともなっている。これにより、競馬馬事生産振興基金・(社)日本馬事協会が助成金等の交付を受けて活動を行っている。 2021年5月、対州馬の最後の個人所有者であった男性が、高齢を理由に所有馬を対馬市に売却。これによって対州馬を個人所有する人はいなくなった。この時点で対馬市が所有している対州馬は40頭。
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保存活動
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1990年代より注目され始めたグリーンツーリズムは新たな中山間地域対策、また環境保全型農業の一つとして積極的に推進され始めた。地区では1996年(平成8年)、「ふるさと水と土保全モデル事業」を導入し、棚田の景観を活かしながら集落内の道路整備などが進められた。圃場整備が難しかった環境を逆手に取りつつ、農作業の効率化を図る試みで、住民たちの田畑の基本的なところを残しながら、農作業の一定の機械化を可能にすることで集落の維持を図った。 1997年(平成9年)春より「みんなで守ろう心のふるさと毛原の棚田」を合言葉に棚田を利用した交流事業「棚田農業体験ツアー」が始まり、翌年には「棚田オーナー制度」がスタート、事業は「ツアー」と「オーナー」の二本柱で定着した。 復元された水車や展望台を設置し、観光資源としての活用が図られている。
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保存活動
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保存活動
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2002年にマンション建設予定地となり、解体される危機に瀕した。日本に唯一残る織物市場の産業遺構であることから地元住民を中心に「旧川越織物市場の保存再生を考える会」が発足され、マンション建設業者から川越市に寄贈され、保存が決まった。2005年には市の有形文化財に指定された。 川越市は隣接する旧栄養食配給所とともに2019年度を目途に修復し活用することを計画している。
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保存活動
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重要無形民俗文化財に指定された1976年(昭和51年)に、小瀬町住民から構成される天津司の舞保存会が発足し、2012年現在の会員数は約40名。保存会の供奉員は発足当初は農業を営む者が多かったが、今日ではほとんどが会社員や自営業の男性であり、限られた時間の中で、舞の操りや、楽譜のない口伝による横笛など、お囃子の練習が行われ、毎年4月に行われる天津司舞祭典が守り継がれている。
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保存活動
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「LNER A3形蒸気機関車4472号機 フライング・スコッツマン」の記事における「保存活動」の解説
1963年に引退した4472号機は、アメリカ人の実業家アラン・ペグラーに売却され、イギリス国内でのツアー運転に使用された。イギリス国内での蒸気機関車による定期運転が消滅し、線路内の給水路も無くなったため、長距離運転時の水を確保するため、2両目の炭水車が追加された。1969年には大西洋を渡りテキサス州などで遊覧列車として走ることとなった。この時アメリカの鉄道法規に従い前照灯、ベル、カウキャッチャーが付けられ、オリジナルの外観は失われてしまった。 1972年、ペグラーが破産手続を申請したことで、A3形はアメリカ政府当局により没収、スクラップとなるところだった。その没収手続きが始まろうとした寸前、イギリスの経済人ウィリアム・マッカルパインが買い取り、無事にA3形はイギリスに戻ることとなった。Derby工場で修理し外観もオリジナルに戻された。オーストラリアに渡り、豪建国200周年記念祭で披露されるなどしたが、再び資金難に陥り、1996年英国人トニー・マーチントンが150万ポンドで買い取り、100万ポンドかけて修理し1999年に完成した。しかし同人が破産したため2004年に競売にかけられ、ヨークにある国立鉄道博物館が落札。同博物館の所有物となり、2005年にも臨時列車として走っている(この時の炭水車は1台)。 2013年よりRiley and Son Ltd.社による動態復元が開始され、2016年1月に運行を再開した。イギリス国鉄の60103号機の姿に復元され、2016年2月25日にはキングス・クロス駅からヨークまでの本線走行が行われた。
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NPO法人恵那市坂折棚田保存会が、棚田オーナー制度による都市住民の農業体験、小中学校の生徒や企業の社員の農業体験、石積み塾の開催や各種ボランティア作業を行い、坂折棚田を中心とした里山の保全に努めている。なお、ここで収穫された米は坂折棚田米という名称で、恵那市内の数か所で販売されている。また、2009年以降、毎年5月30日に、田の神様灯祭りを開催している。
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2012年(平成24年)、永らく荻外荘に居住していた所有者で近衛の次男・通隆が逝去すると、地元の町会長の連名で要望書が区に提出され、2013年2月、杉並区は荻外荘を買い取ることを明らかにした。2014年に買い取りが行われ敷地6071.69平方m2と木造平屋の邸宅409平方m2を取得、2015年3月に敷地の一部が荻外荘公園として整備・公開された。 2022年5月時点では、邸宅の建物の無い部分が芝生広場、遊歩道、水飲み場、手押しポンプ式井戸、トイレのみが整備された簡易な公園として整備されていた。芝生は邸宅にあったものではなく、邸宅の池のあった部分を整地の上移植されたものである。別途、邸宅跡地等は整備予定である(後述)。 全体整備の杉並区の基本方針としては、「屋敷林としての形態を残し、住宅都市・杉並の歴史を代表する良質な邸宅として後世に引き継ぐ」、「歴史的・文化的価値を最大限活用するため、巣鴨に移築されている部分も含め荻窪会談の行われた時期を基本に当時の状態に復元するとともに、国の重要文化財指定を目指す」などとされた。移築部分の購入資金は、ふるさと納税の取り組みを充てている。 邸宅の部分の移築・復元整備も計画に含まれ、同基本方針には豊島区に移築した荻外荘の一部(東京寮)を元の位置に再移築し、荻窪会談が行われた客間などは展示スペースとして利用するとしている。天理教東京教務支庁との交渉が2016年12月に基本合意に至ったため、当初、2017年度から復元工事を始めるとされた。現地で遺構を調査するとともに、1940年–1941年当時の状態を記録した写真や資料の所有者に協力を呼び掛けている。 豊島区に移築された玄関・応接間部分の解体工事は、2018年秋に着手すると発表された。12月に解体工事終了の直前に見学会が行われた。
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保存活動
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本亜種を含んで種としてのヨーロッパヤマネコはワシントン条約の附属書IIに記載されている。アフガニスタンでは2009年から保護動物リストに載り法的に保護されており、アフガニスタン国内での狩猟及び取引は全面的に禁止され、優先的に研究すべき種として指定されている。
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「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ」の記事における「保存活動」の解説
2007年5月、滋賀県近江八幡市や兵庫県西宮市のNPO法人(特定非営利活動法人)など9団体・個人が呼びかけ人となり、北海道から山口県までの約20団体が参加し、「ヴォーリズ建築文化全国ネットワーク」が設立された。
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