すい‐しゃ【水車】
読み方:すいしゃ
1 水流を利用して羽根車を回転させ、機械的動力を得る装置。精米・製粉に利用。また水力発電に使われ、ペルトン水車・プロペラ水車などが用いられる。
2 農業用の水を田に送り込む装置。水路に設け、人が足で踏んで回転させる。
みず‐ぐるま〔みづ‐〕【水車】
水車
水車
水車(みずぐるま)
水車
姓 | 読み方 |
---|---|
水車 | すいしゃ |
水車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/07 02:27 UTC 版)
水車(すいしゃ、みずぐるま、英: water wheel)は、水のエネルギーを機械的エネルギーに変える回転機械。人類が開発した最も古い原動機と言え、古代から世界のいくつかの地域で利用されており、中世にはヨーロッパで非常に普及した。たとえばヨーロッパでは揚水、脱穀、製粉(小麦の実をひいて粉にする)など農業分野で大いに用いられ、鉱物の採掘用の機械動力にも使われた。西アジアや中国でも製粉や精米用など様々な用途に用いられた。日本でも平安時代にはすでに使われていたことが判っている。
- 1 水車とは
- 2 水車の概要
水車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/22 23:05 UTC 版)
「ゲオルゲンスグミュント」の記事における「水車」の解説
1912年に建造された高さ6mの水車が、1983年にフレンキシェ・レーツァツ川に再建された。そこは、かつて村の工業化が始まった場所であった。以前は、製紙作業所があり、1900年頃には郡で初めての発電所ができた。現在、歴史的水車は、牧歌的なランドマークであり、毎年6月に開催される水車フェスタの命名元となっている。
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水車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/03 05:03 UTC 版)
再建された水車がコルドバのグアダルキビール河岸に位置している。モリーノ・デ・ラ・アルボラフィア水車はもともとローマ人によって建てられ、近隣のアルカサル庭園や製粉所に水を供給していた。コルドバの城・王宮であるキリスト教徒の王たちのアルカサルにはイスラーム時代にはカリフが居住し、後にはスペイン王室が使用した。
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水車
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ヴァイアーホールの、かつて「オーベルステ・シュタットミューレ」(直訳: 一番上の水車小屋)があった場所に水車が存在している。この水車は、かつての水車小屋の様子を思い起こさせる。「ウンテルステ・シュタットミューレ」(直訳: 一番下の水車小屋)は1960年代までミューレン通りの、現在の映画館の場所に存在していた。これらの水車は、2本の水路でオルペ川とビッゲ川から水を引いていた。
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水車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 07:40 UTC 版)
ゾンマーカールにおける水車(ウンターミューレ)に関する最初の記録は1633年のものである。1837年には、ゾンマーカールに5基の水車があった。初めにゾンマーカール川上流のオーバーミューレ・アム・ベルクヴェルクが造られた。その後グラザースミューレ(後にゲルツミューレと改名)が続き、さらにゲスナースミューレが加わった。プファッフスミューレと、アントンスミューレとも呼ばれるウンターミューレはウンターゾンマーカール集落に建設された。水車は例外なく、黒パンや白パンを作るライ麦や小麦などの穀物を挽くための水車であった。1955年にオーバーミューレは停止した。その後、遅くとも15年のうちに他の水車も操業を停止した。上記のゾンマーカールの水車の建物はいずれも現在まで遺されている。
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水車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/24 04:14 UTC 版)
バルヴェの市域内には4基の歴史的な水車が遺されている: グランザウアー水車、ヴォックルマー水車、クルーゼンシュタイナー水車、メルシェーデ水車である。グランザウアー水車は1850年からシュトューケン家が所有している。1420年頃にケルン大司教ディートリヒ2世フォン・モールス(ドイツ語版)の委託による「バンミューレ」(所有者が独占権を有する水車)として建設された。1901年に水力発電所に改築され、直流電流を生産している。これによりバルヴェは、ヴェストファーレン州で最初に電力を獲得した都市となった。不安定な運営の結果、この電力生産は1960年に停止した。発電は1996年から再開された。出力 15 kW の1901年製のタービンは引き続き使用されている。 ヴォックルマー水車 クルーゼンシュタイナー水車
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水車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/22 23:48 UTC 版)
ヴァルファー・ミュールグラーベン(直訳: ヴァルフの水車用水路)沿いの数多くの旧水車が、この町のかつての経済発展を物語っている。 キルヒナー水車: 建造年は明かでない。現在この敷地内に町役場が設けられている。 ブーク水車: この水車は1393年以前に建設された。ヴァルファー・ミュールグラーベンでは数少ない、回転する車輪が遺されている建物である。 ヒルト水車: 1715年にキートリヒのヨハン・コッホによって建造された。現在は「ミューレ・デア・シェーネン・キュンステ」(直訳: 美しい芸術の水車)の名で、企業イベント、文化行事が行われている。 ヴェラー水車: 建造年は明かでない。1880年頃に稼働終了した。 アルネット水車: 13世紀にオーバーヴァルフの水車として初めて記録されているのがおそらくアルネット水車であるとされている。長年所有していたアルネット家から2013年に売却され、メール家の所有となった。 ディーフェンバッハ水車: 精確な建造年は不明である。1671年に初めて記録された時の所有者は、ボーデンハイムのユンカー、モルスベルガーであった。 ディッケシャイト水車: ヴァルフタールでおそらく最も古い製粉水車である。1956年に稼働停止し、1978年に全ての建物が取り壊された。 クニーゼル水車: 建造年は不明である、1892年に Dr.ディートリヒ&ブロックフース社の所有となり、取り壊されて、工場が建てられた。 ディット水車: 建造年は不明であるが、1600年にはすでに存在していた。1917年に化学系企業ブロックフースAGの所有となった。 シュラム水車: 1747年にペーター・ビショフによって建設された。1910年に化学系企業ブロックフースAGが購入した。 ヒルト水車 ヴェラー水車 アルネット水車
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水車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 01:56 UTC 版)
詳細はレグニッツ川#水車も参照のこと メーレンドルフで有名なものは、レグニッツ川の約10基の水車である。水車は、暖かく、酸素を豊富に含んだ水を汲み上げ、これにより隣接する農地の収穫高を豊かなものにした。 メーレンドルフの水車は、15世紀の初めにはすでに建設されていた。1805年にはフュルトとフォルヒハイムの間の約25kmの川筋に、約190基の水車が稼働していた。現在でもその一部が有効な1693年の「バイアースドルフの水利規定」で定められたとおり、5月1日から9月30日までの間、水車を稼働することが許されている。水車の輪を取り付ける工事が夏シーズンの訪れを、それを取り外してしまい込む作業がシーズンの終わりを告げる。 デザイン化された水車は、メーレンドルフの紋章のみならず、エアランゲン=ヘーヒシュタット郡の紋章にも使われている。
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水車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/22 00:51 UTC 版)
レグニッツ川には、1250年から1400年の間にはすでに、川沿いの耕地を灌漑するための木製の水車が回り始めていた。こうした水車が初めて記録に残されたのは、1413年のことであり、1805年には、フュルトとフォルヒハイムの間の約25kmの川筋に190基もの水車が作られていた。これは中部ヨーロッパのどの川よりも多い数である。レドニッツ川のものも含め、シュヴァーバッハとフォルヒハイムの間で約250基に達したが、その後、水車は近代的なポンプ施設に置き換えられていくこととなる。 この川沿いに多くの灌漑用水車が作られた理由は、この辺りの砂地の土地と暑く乾燥する気候の組み合わせが、大量の灌漑用水を必要としたためであった。これに加えて、下り勾配であるとはいえ、比較的平坦な川岸は、こうした水車を用いるのに向いていた。しかし、春になると起こる増水は、水車を回しすぎて破壊してしまう被害をもたらした。その一部が今も効力を持つ1963年の「バイアースドルフの水利規則」によると、こうした理由から水車は、5月1日から9月30日の間に限って運転することになっている。 フォルヒハイムの北では、レグニッツ川の航行のため、水車を用いることができなかった。水車の運転には、川を横切る木製の堰(フリューゲル(翼))が必要で、フリューゲルに設けられた通路(シュルプフレーヘ)の大きさにあった、せいぜい小さな漁船程度しか航行できない。漁師が船の通行を楽にするために堰の板を外してしまい、漁師と農夫との間でトラブルの原因となった。 最も多くの水車が保存されているのは、メーレンハウゼンの約10基で、フュルトのシュターデルンにも1基ある。2004年以降、エアランゲンの南西にあるアウフラッハヴィースでも運転している。また最近ではニュルンベルクでも、ペグニッツ川で歴史的なモデルの水車を運転している。粉ひき車を思い起こさせるような重厚な木組みの水車は、現在は夏の初めに組み立てられ、シーズンの終了とともに格納される。一部の水車は、周辺の湿ったビオトープを保持するために機能している。それはこの地域に生息するシュバシコウの多くにとっての餌場を保護することになる。やや縮小して復元された水車が、バート・ヴィントスハイム・フレンキッシェ水車博物館で見ることができる。
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水車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/26 03:09 UTC 版)
水車は水車発電機の原動機であり、水車発電機用に開発された水車を発電用水車ともいう。 発電用水車には流水の衝撃を利用する衝動水車(しょうどうすいしゃ)と、反動力を利用する反動水車(はんどうすいしゃ)に大別される。主として前者にはペルトン水車、クロスフロー水車、ターゴインパルス水車があり、後者にはプロペラ水車(カプラン水車、斜流水車等)、フランシス水車がある。それぞれ異なる特性を持ち、有効落差や使用水量、その他条件により最適なものを選定する。 特に日本で水車というと一般的に馴染ものある開放式水流水車(古典的水車)は衝動水車に分類されるが、長年、回転速度が20rpm程度以下と遅いために発電には適さないとされてきた。しかし2000年前後から、ミニ水力・マイクロ水力の動力源として世界的にも再評価された。-むしろ日本はこの点では世界的に遅れ、メーカーや電力会社が積極的ではなく、大学や企業などによる大規模なプロジェクトチームが組まれたこともなかった。多くは趣味的な草の根チームによる研究であったが、既設の水車でも増速機(一般に歯車またはVベルト)を用いて500~2000rpmに増速することで発電に利用できることが証明された。福島第一原子力発電所事故の後、国や公共団体、企業も古典的水車による発電に注目し始めた。
※この「水車」の解説は、「水車発電機」の解説の一部です。
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