保存活動と増頭運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/01 05:59 UTC 版)
1977年(昭和52年)に平良市役所内に宮古馬保存対策会が設置され、1978年(昭和53年)には農家で飼養されていた牝馬3頭を平良市が買い上げて、具志川市(現うるま市)の陶芸家名護宏明から寄贈された牡馬の「太平号」とともに、平良市熱帯植物園(現宮古島市熱帯植物園)で集団飼育を開始。1979年(昭和54年)7月に「太平号」と「ゆかりゃ号」の交配が行われ、1980年(昭和55年)6月に牡の仔馬が誕生。公募で「平太」と名づけられた。 同年4月1日には宮古馬保存会が結成され、同保存会などによる保存活動の結果、徐々に数が増えつつある。 増頭運動は1985年(昭和60年)に具体化され、粟国島から宮古馬を買い取って飼育を始めた。1992年(平成4年)には20頭に、2007年(平成19年)に30頭まで増やした。その後も毎年のように産まれたものの、事故死などの死亡が相次ぎ増減を繰り返したが、2013年(平成25年)6月11日には40頭に達した。宮古馬保存会では当面の目標を50頭としていたが、2015年(平成27年)に50頭を達成。その後は50頭前後で増減している。2017年(平成29年)時点での飼養頭数は48頭で、日本在来馬の中では対州馬の40頭に次いで少ない。
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