おり‐もの【織物】
織物
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織物(おりもの)とは、糸を縦横に組み合わせて作った布地である。織物を作ること、あるいはその織り方や風合いを織り(おり)といい、完成した製品(織物)も技法や産地を冠して「〜織」(おり)というものが多い。漢字では伝統的に植物繊維による織物を「布」、絹織物を「帛」といい、両者をあわせた布帛(ふはく)も織物を指すことばである。また、織物は英語風にテキスタイルまたはテクスタイル(英語:textile)とも呼ばれる[注釈 1]。
注釈
出典
- ^ "textile, adj. and n." OED Online. Oxford University Press, December 2014. Web. 16 March 2015.
- ^ Collier 1974, p. 92
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織物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/27 23:41 UTC 版)
ペニダ島南部、タングラッド村を中心として、チュプックというペニダ独自の織物が作られている。チュプックは綿の織物で赤、黄、青、黒がメインの色として使われる。染料には植物が用いられ、赤色はヤエヤマアオキの根、黄色はウコン、青色は藍、黒色はククイから抽出される。チュプックは伝統的に神事の際に巻かれる布で、舞踊などでも使われている。
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織物
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古来中国の王朝とホータンの関係は密接であり、ホータンは中国へ絹製品を輸出したオアシス都市の中で最も古い都市の1つに数えられる。3世紀から4世紀にかけてホータンでは麻布、絹布が多く生産され、唐代の史書でも織物がホータンの特産品として挙げられている。644年にホータン(瞿薩旦那)を訪れた玄奘三蔵も、『大唐西域記』の中でホータンの織物とカーペットについて言及すると共に、「蚕種西漸」という伝承を記している。 「 古代のホータンでは桑蚕が知られておらず、中国に養蚕の技術を求めたが、養蚕は門外不出の技術となっていた。中国の王女がホータン王の元に嫁いたとき、ホータン王は王女に桑と蚕を持ち出すように伝え、王女は帽子の中に蚕の卵と桑の種を隠してホータンに持ち出すことに成功し、ホータンに桑蚕が伝わったという。ホータンは絹織物で栄え、蚕と絹糸は珍重された。 」 —玄奘『大唐西域記』3巻(水谷真成訳注, 東洋文庫, 平凡社, 1968年3月)、439-441頁 1901年に考古学者のオーレル・スタインがホータン近郊のダンダン・ウィリク遺跡を調査した際、玄奘が記した「蚕種西漸」伝説を描いた板絵を発見した。桑蚕の伝来にまつわる物語は、1世紀頃の時代を背景にしていると考えられている。後に蚕の卵はペルシャに密輸され、551年にペルシャを経てユスティニアヌス1世治下のコンスタンティノープルにもたらされる。 現代も絹織物はホータンの主要な産業の1つであり、1,000人以上の職人によって、年間に約150,000,000mもの絹布が生産されている。1953年からの第一次五カ年計画では、ホータンの織物業、養蚕業に近代的な技術が導入された。1950年代に建設されたホータン・シルク廠は、新疆最大のシルク企業である。 ホータンの絹は現地では「アトラスの絹」と呼ばれており、アトラスはウイグル語で「絞り染めの絹織物」を意味する。ウイグル族の女性が織る絹製品は人気が高く、その中には近代化される前の伝統的な手法を用いて作られるものも存在する<,。吉亜郷の工房では、最も古い絹布の製法が継承されている。 桑の樹皮を使用した製紙もウイグル族によって行われているが、製紙技術を継承する者は少ない。記録によると、蔡倫が製紙法を確立するよりも100年以上前に、既に桑の紙が生産されていたという。 絹の他に、綿布もホータンの特産品として挙げられる。清がホータンを支配する前、カザフの商人はホータンの綿布を求めてカシュガルまで仕入に出向いていた。18世紀に清がホータンを征服した後、ホータンの綿布はカザフとの交易において重要な輸出品としての役割を担った
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織物
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「川島甚兵衛 (2代目)」の記事における「織物」の解説
綴織作品名製作年原画家備考光琳四季草花明治22年1889年 東翠石 犬追物の図明治23年1890年 原在泉 東京で開催された第3回内国勧業博覧会へ出品されたもの。宮内庁が買い上げ、後にロマノフ家に贈られる。 富士巻狩図明治24年1891年 今尾景年守住勇魚 葵祭の図明治26年1893年 今尾景年守住勇魚 宮内庁が買い上げ、後にアメリカ大統領に贈られる。 日光祭礼の図明治26年1893年 田村宗立 シカゴ万国博覧会へ出品されたもの。 悲母観音図明治28年1895年 狩野芳崖 京都で開催された第4回内国勧業博覧会へ出品されたもの。現在は東京国立博物館に所蔵。 武具曝涼図明治33年1900年 守住勇魚 群犬の図とともにパリ万国博覧会へ出品されたもの。 群犬の図明治33年1900年 竹内鎌太郎 武具曝涼図とともにパリ万国博覧会へ出品されたもの。 閣龍帰還の図明治36年1903年 大阪で開催された第5回内国勧業博覧会へ出品されたもの。 難波津式明治36年1903年 コロンブス帰還の図明治36年1903年 竹内鎌太郎 原画は加賀前田家に伝わるタペストリーを竹内鎌太郎が模写したもの。 若冲動植物彩画図明治37年1904年 伊藤若冲 『動植綵絵』30幅から選んだ15幅をもとに製作したもの。セントルイス万国博覧会の「若冲の間」を装飾するために作られた。「若冲の間」は金賞に輝いたが、作品は譲渡先のニューヨーク商工会議所に輸送中、船舶火災により焼失した。 蒙古襲来の図明治37年1904年 守住勇魚 セントルイス万国博覧会へ出品されたもの。 百花百鳥之図明治38年1905年 菊池芳文 リエージュ万国博覧会へ出品されたもの。「百花百鳥之間」を装飾するために制作された。一部が現存(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)。 雲鶴之図明治38年1905年 川北霞峰 百花明治41年1908年 神坂雪佳 武士山狩明治42年1909年 浅井忠 文具曝涼図明治44年1911年 守住勇魚 『武具曝涼図』と対をなすもの。
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織物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/10 10:08 UTC 版)
ラメ糸は、高級なものでは絹糸に、一般的なものではレーヨン、ナイロン糸に金属箔を巻き付けて作る(現在は大量生産に向いた真空蒸着したものが主流)。織物の柄を構成する色の一つとして、また、刺繍糸として使われる。ラメ糸だけで布生地にしたものは光をよく反射して目立つので、舞台衣装などに使われることが多い。
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織物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 02:49 UTC 版)
キルギスの女性は様々な種類の織物を作るが、それらの多くは羊のフェルトから作られる。古くから作られてきた刺繍の模様は現代では旅行者や外国市場に合わせて改良されているが、全てのユルトに取り付けられているような伝統的な作成方法は未だに健在であり、ほとんどのユルトに「シルダクス (shirdaks)」と呼ばれる手作りの絨毯がある。 トゥシュ・キィズ(英語版)は精巧な刺繍が特徴の大型の壁掛け布で、伝統的にキルギスやカザフスタンで作られる。この布は子供の結婚を祝う成人女性によって作成される。 色やデザインはキルギスの伝統や地方の生活のシンボルと成るものから採られる。花、植物、動物、整形した角、国のデザイン、キルギス人の生活のエンブレムといったものが刺繍としてよく利用される。作成に年月を要した織物では、作品を完成させた者の氏名や完成した日時などが刺繍として縫い込まれることもある。トゥシュ・キィズはユルトに吊るすか、結婚した夫婦のベッドに飾られる。これはキルギスの伝統に対する誇りを象徴している。 「xxx」と呼ばれる平型のクッションは通常は対で作られる。これらはどの椅子の座席にも取り付けられている。
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「織物」の例文・使い方・用例・文例
- 綿織物
- 織物
- その生地は綿織物です
- ディアマンテで飾った手作りの織物
- 波紋のある織物
- ぼこぼことした綿織物
- 織物は縫い目のあたりがひだになった。
- 丹精をこめてつくったこの美しい織物をごらんください。
- 彼らの主たる輸出品は織物であり、特に絹と木綿である。
- 私はその山に手を入れて柔らかい織物に触れた。
- 私たちは冬に毛織物を着る。
- 我々は絹織物を商っている。
- スコットランドは毛織物で有名だ。
- この織物を染めて欲しいのです。
- かわいい系の小娘が、デパートの織物コーナーに行き店員に尋ねた。
- あの店には織物類が置いてありますか。
- あの商人は絹織物を商う。
- 合成織物.
- 唐草模様を織り[縫い]込んだ絹織物.
- 織物を機械編みする.
織物と同じ種類の言葉
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