織物の伝書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 05:01 UTC 版)
吉田たすくは民芸運動と「諸国民芸の店 - 風土」をやっている中で、残された小裂きの風通織や絣のもつ奥深い美しさにいとおしさを感じ、なんとか倉吉で再現させよう、現代生活にあう新しい絣、新しい織物を作ろうと倉吉絣の魅力にとらわれていったのである。 昭和30年(1955年)頃、倉吉の旧家から辛うじて残っていた数冊の織物の伝書を入手する。伝書の中には落丁しているものや虫食いで穴が空き字も読めず、ページも捲れないほどのものや、判読不能なものもあり読むことすら難儀なものもあった。 この頃に見つかった伝書 「高機織方覚(たかはたおりかたおぼえ)」和綴じ 表紙とも21枚 1903年10月 「風通織糸見本」和綴じ 表紙とも12枚 1904年3月 「四枚径縞の心へ」和綴じ 表紙とも30枚 1904年4月 「八枚径織方、拾枚径織方、八枚径絣織方伝授書」25枚一部落丁 1907年3月 「風通飛白全」画用紙 ばら 10数枚 表紙落丁の書 和綴じ 年月日不明 これらを苦心の末、具体的な織りと組織図等をふくみ書籍としてまとめ終え、「倉吉地方明治中期 そ志き織と風通織」として完全版として発刊できたのは、吉田たすく死後一周忌であった。
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