織物協同組合とは? わかりやすく解説

織物協同組合

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/19 06:41 UTC 版)

桐生織物会館」の記事における「織物協同組合」の解説

桐生織協同組合源流を辿ると、明治11年1878年)に設立され桐生会社遡ることができる。桐生会社は不正品の取り締まりのための製品検査主な業務としており、明治18年1885年)に桐生物産会社と改称した桐生物産会社は明治19年1886年)に海外新技術の導入のため、桐生織講習所開設したが、物産会社の解散のため講習所第一回卒業生送り出したのみで閉所された その後、旧桐生物産会社は明治26年1893年)に桐生商工業組合として再発足桐生商工業組合実業学校設立運動推進し明治29年1896年)に桐生町織物学校開校した明治31年1898年)に桐生物産同業組合改称明治38年1905年)に桐生織同業組合となったが、太平洋戦争開戦によって生産縮小されたことで、昭和17年1942年)に桐生織工業組合統合され解散する至った戦時中県内の各織物工業組合群馬県織物工業統制組合統合された。 終戦後は、供出免れた織機整備して業界再建進められ織物会館にて桐生織物転廃業復興大会開催し復興向けて本格的な活動開始された。再び地域ごとに組合分立し昭和21年1946年)に桐生織工業統制組合桐生織工業施設組合昭和22年1947年)に桐生織工業協同組合移り変わり昭和24年1949年9月には桐生織協同組合発足し昭和26年1951年7月桐生着尺織物協同組合と桐生帯地協同組合発足昭和27年1952年6月23日産地一本化のため各組合合併し桐生織協同組合として再発足した。 桐生織協同組合は、昭和30年1955年8月11日から、内地主力とした桐生内地織物協同組合と、輸出主力とした桐生織協同組合の二組織分かれた桐生織協同組合は、桐生織物会館での輸出織物見本市開催北アメリカ中近東東南アジア方面での海外見本市開催によって、新市場開拓成功した中東戦争による国際情勢悪化や、アメリカ合衆国対日繊維製品輸入制限政策などにより、桐生からの輸出量は減少し業界厳しい状況となったが、織物協同組合は設備近代化企業集約化など業界構造改善事業推進して難局乗り越え次第中近東アフリカ向けの輸出好調となった昭和62年1987年4月1日から、桐生織協同組合桐生内地織物協同組合、桐生服地協同組合の三組合合併し新たに桐生織協同組合発足した

※この「織物協同組合」の解説は、「桐生織物会館」の解説の一部です。
「織物協同組合」を含む「桐生織物会館」の記事については、「桐生織物会館」の概要を参照ください。

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