織物技術の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 23:00 UTC 版)
機織りは旧石器時代には行われていた証拠が発見されている。例えばチェコ・モラヴィア地方のドルニ・ベストニツェ(英語版)の遺跡では不明瞭なものながら織物の圧痕が見つかっている。新石器時代の遺物としては、トルコのチャタル・ヒュユク遺跡から紀元前7千年紀の織物が発見されている。エジプトでも、紀元前5000年ごろと見られるファイユーム出土の亜麻織物の断片や、紀元前3000年〜2000年の衣類等が発見されている。ファイユームの断片では1cm四方あたり縦横に12本と9本の糸が使われている。またバダリ文化(英語版)の遺跡等から織物工房を描いた皿等も発見されている。ナイル川流域では主にアマが繊維として使われた。 最初期の織機は経糸の端に錘を付けてぶら下げる竪機であったが、次第に技術が発達して、各地の文明において複雑な機構を持つ竪機や水平機が開発されたと考えられている。シュメールでも織物が織られていた。イーストン聖書辞典 (1897) によれば、旧約聖書には古代の機織りについて数多くの言及がある。 機織りは非常に早くから行われてきた(Ex 35:35)。エジプト人が特にそれを得意とし(Isa 19:9; Ezek 27:7)、エジプトで発明されたとする者もいる。荒地ではヘブライ人も織物を織った(Ex 26:1, 26:8; 28:4, 28:39; Lev 13:47)。その後、機織りは女性の仕事とされるようになった(2 Kings 23:7; Prov 31:13, 24)。聖書には織機そのものについては言及がないが、「機の杼」(Job 7:6)、「くぎと機」(Judg 16:14)、「機の緯線」(13, 14)、「機の巻棒」(1 Sam 17:7; 2 Sam 21:19) といった言葉が出てくる。 中国では紀元前3500年頃には絹織物の生産が行なわれていた。紀元前2700年頃の墳墓から精巧な染織品が発掘されている。養蚕は紀元前200年頃までに朝鮮半島や日本列島等に伝わったと考えられている。 「養蚕業」および「日本の染織工芸」も参照
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