保存整備
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地域の開発・自然的崩壊等の理由により、横穴を元来の形で留めることが難しくなったため、町は史跡柏谷横穴群保存整備委員会を組織し、史跡全体の保存処置を実施することにした。 開口したままでは現状の保存が難しいため、内部を埋め戻すことにより、保存を図る。埋め戻した後も、開口部がわかるような形を取り、閉塞石が残っている部分はそのまま復元する。 そもそも当時、保存処置時点の科学技術では現状保存が非常に困難であったため、将来有効的な保存方法が確立されるまでの暫定的な整備手法として、横穴及び外壁面に防水モルタルを吹き付けるという方法をとることになった。この方法は、県教育委員会文化課史跡整備担当者を通じ、文化庁により承認された。さらに崩落した地山の砂粒をモルタル表面に付けることにより、自然な色合いや質感を残すようにした。 また、元々高い樹木類が多く、森のようだった地内は、横穴に影響を及ぼす木や巨大な根が多い。そのため、横穴や壁面を崩すことがないように、慎重に一本一本を伐採した。
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保存・整備
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「佐倉城址公園」も参照 佐倉城の建物としては現在、門が一つ保存公開されている。この門は、簡易的な薬医門であり、城外へ移築されていたものを城内に戻したものであると推定される。国立歴史民俗博物館建設の際、敷地一帯の発掘調査と整備が行われ、連隊当時に平削・埋立された遺構の一部が復元されている。 明治時代初年頃に撮影された写真が比較的多く残っており、建物の跡には写真を載せた説明の看板が設置されている。また、佐倉市の市制50周年記念事業(2004年)として佐倉城再建促進協議会などにより佐倉城の再建計画が持ち上がっていたことがある。
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