市制とは? わかりやすく解説

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し‐せい【市制】

読み方:しせい

地方公共団体としての市の制度。「—をしく」

明治憲法下で、市の構成・組織機能監督などを定めた法律明治21年1888制定昭和22年1947地方自治法制定により廃止


市制

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/18 06:02 UTC 版)

市制(しせい)は、従前の郡区町村編制法に替わり、日本のの基本構造を定めた法律である。1888年明治21年)4月25日の「明治21年4月25日法律第1号」の前半により規定され、1911年(明治44年)4月7日の「明治44年4月7日法律第68号」により全部改正され、1947年昭和22年)5月3日の「地方自治法」の施行によって廃止された。


  1. ^ 2015年(平成27年)4月1日現在において、荏原郡品川町、南足立郡千住町は現・特別区部、西成郡難波村・曾根崎村、東成郡天王寺村・東平野町は現・大阪市、紀伊郡伏見町は現・京都市、愛知郡熱田町は現・名古屋市、橘樹郡神奈川町、久良岐郡戸太村は現・横浜市、安芸郡仁保島村は現・広島市、谿山郡谷山村、鹿児島郡伊敷村・吉野村は現・鹿児島市、首里、小禄間切は現・那覇市、有渡郡長田村は現・静岡市、赤間関市は現・下関市、南秋田郡土崎港町は現・秋田市、度会郡宇治山田町は現・伊勢市、三浦郡浦賀町は現・横須賀市、北会津郡若松町は現・会津若松市、中頸城郡高田町は現・上越市、頴娃郡頴娃村、給黎郡知覧村、河辺郡川辺村は現・南九州市、川辺郡東南方村は現・枕崎市、板野郡撫養町は現・鳴門市、日置郡串木野村は現・いちき串木野市、海上郡本銚子町は現・銚子市、阿多郡伊作村、日置郡東市来村は現・日置市、砂川間切は現・宮古島市、川辺郡西加世田村・加世田村・東加世田村・西南方村は現・南さつま市、南大隅郡垂水村は現・垂水市、雑太郡相川町は現・佐渡市、賀茂郡広村、安芸郡倉橋島村・蒲刈島村・瀬戸島村は現・呉市、阿拝郡上野町は現・伊賀市、添下郡郡山町は現・大和郡山市、都濃郡徳山村は現・周南市、松前郡福山は現・松前郡松前町、上都賀郡足尾町は現・日光市、出水郡上出水村は現・出水市、香取郡佐原町は現・香取市、山本郡能代港町は現・能代市、具志川間切は現・うるま市、姶良郡加治木村は現・姶良市、美里間切は現・沖縄市、大島郡家室西方村は現・大島郡周防大島町、安蘇郡田沼町は現・佐野市、那珂郡湊町は現・ひたちなか市、大里間切は現・南城市、熊毛郡北種子村は現・西之表市、読谷山間切は現・読谷村、南高来郡西有家村は現・南島原市、東囎唹郡末吉村は現・曽於市、坂井郡三国町は現・坂井市、佐波郡三田尻村は現・防府市、高城郡水引村は現・薩摩川内市、南巨摩郡増穂村は現・南巨摩郡富士川町、北足立郡浦和町は現・さいたま市、高座郡大野村は現・相模原市の一部となっている。
  2. ^ a b c d e 香川県の市制・町村制施行は翌年の1890年(明治23年)2月15日であり、本表では高松の人口として香川郡高松塩屋町外十五箇町連合・高松内町外十二箇町連合・高松西通町外十八箇町丁連合・高松天神前外十箇町連合・藤塚町(藤塚町は山村と共に、中村に役場を置く戸長役場連合を成していたが、山村・中村の人口は含まれない)の4つの連合戸長役場管轄町村と1つの町を併せた区域の人口を、丸亀の人口として那珂郡丸亀通町外二十二箇町丁連合・丸亀営所(陸軍第五師団歩兵第十二連隊の軍用地として接収された丸亀一番丁~四番丁)・中府村・地方村(両村は山北村と共に、中府村に役場を置く戸長役場連合を成していたが、山北村の人口は含まれない)を合わせた区域の人口をそれぞれ掲載し、順位は振らない。なお豊田郡観音寺村(伊吹島と連合戸長役場を形成していたが、本表記載の現住人口は観音寺村単独のもの)と阿野郡坂出村は単独で現住人口1万人以上の村であり、順位を振る。
  3. ^ a b c d e f 北海道では郡区町村編制法により函館区(44町)と札幌区(169町)は区制が敷かれ、本表でもそれぞれ区全域の人口を掲載し、順位を振る。一方郡部に関しては、江差の人口として檜山郡郡役所直轄町村のうち五勝手村を除く江差市街二十六箇町の人口を、小樽の人口として小樽郡郡役所直轄町村のうち高島郡色内町外七町村と小樽郡奥沢村を除く小樽市街二十九箇町の人口を、福山の人口として松前郡郡役所直轄町村である福山市街三十四箇町の人口をそれぞれ掲載し、順位は振らない。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m 沖縄県では郡区町村編制法が施行されず、琉球国時代の番所制が存続していた。本表では那覇の人口として、那覇東村外五箇村地・泊村・渡嘉敷村外三箇村(渡嘉敷間切)・座間味村外四箇村(座間味間切)・渡名喜島桃原村・伊平屋島伊是名村外七箇村・鳥島村粟国島浜村外二箇村を合わせた区域の人口を、首里の人口として首里当蔵村外十四箇村の人口を、他の沖縄県の諸間切の人口としてそれぞれの間切の人口を掲載するが、いずれも順位を振らない。なお当時宮古島番所は平良間切砂川間切下地間切多良間島の3間切1島38村(現住人口33,515人)、八重山島番所は大浜間切石垣間切宮良間切与那国島の3間切1島32村(現住人口14,746人)をそれぞれ管轄していたが、本表では那覇と首里を除き、間切・島ごとの人口を掲載する。



市制

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/11/10 13:53 UTC 版)

ダボ (ニューサウスウェールズ州)」の記事における「市制」の解説

現在のダボ市がある地域では、ある程度人数入植するまで土地権限不正確であったため、1848年小売商人のJean Emile Seriserが土地分売について請願した分売計画測量士G. Boyle Whiteによって翌年5月植民地政府測量士(en: Surveyor General of New South Wales)を設置する切っ掛けにもなった。1849年居住地指定され翌年最初土地とともに分譲地となり、1867年には最初銀行創立された。その後人口増加安定して進みダボ自治体布告した1872年時点には850人の人口擁し1881年2月1日に公式にニューサウスウェールズ州ウェリントンダボ間の鉄道開通した1897年までに、ダボには雑貨店搬送アーム(Carrier Arms)、新設裁判所設置され1925年5月、モロング(Molong)~ダボ間の鉄道開通したこうした発展の後、1966年ダボは公式に市政敷いた

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市制

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 07:55 UTC 版)

モレノバレー (カリフォルニア州)」の記事における「市制」の解説

モレノバレーは1980年代爆発的に成長した1970年人口18,871人、1984年49,702人だった。州経済活況によって家屋新築され、事業始められた。この成長で市制移行進められた。1963年1983年に市制執行失敗していたが、1984年住民投票では認められた。エッジモント、サニーミードおよびモレノ地域社会1983年12月3日統合され一般法都市としてのモレノバレー市が誕生した最初市政委員会選挙1984年行われ初代市長マーシャル・C・スコット就任した翌年市章モットー採択された。

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市制

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/08 06:03 UTC 版)

ゴリータ (カリフォルニア州)」の記事における「市制」の解説

ゴリータは市制を執行するための試み何度も行われた後の2002年に市制が布かれた。ゴリータとサンタバーバラ市の間にかなりの広さ都市化地域が未編入残ったままであり、そこは2002年以前住民投票で市制執行反対してきた地域大半である(これらの地域は市制執行案を通すために市域から外された)。この地域併合する議論もあり、サンタバーバラ市からは「ノーリータ」というあだ名呼ばれることもある。また直ぐ南にあるアイラビスタの学生が多い町は意図的に外された。ここは郵便番号多く社会資源などはゴリータと共有している。LAFCOの執行役員はその理由として「政治的不可能性」を挙げている。ただし、この問題に関する過去住民投票結果は、アイラビスタを含むゴリータ市が住民投票掛けられ場合通過した可能性があることを示している。現在のゴリータ市市域は地図で見ることができる。 2000年国勢調査では国勢調査指定地域としてのゴリータの数字挙げられており、市制を布いたゴリータよりかなり大きい。2002年推計での市人口はカリフォルニア州知事計画研究所拠れば30,904人だった。

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市制

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 20:52 UTC 版)

「唐」の記事における「市制」の解説

都市政府管理する商店や行商が集まる市があり、長安東西二つの市、洛陽南北西、三市存在していた。この市は政府から決められた市制により管理された。市制では、市は早朝から日没まで開けられ商取引正午の鼓の合図から、日没より前に終わる制度となっていた。 長安存在していた東西の市は、周囲を約1km四方土壁囲まれた「坊」と呼ばれる区画一つずつ占拠していた。市のある坊は、道路十字の形をしていた他の坊と違い、市では路が東西南北に2路ずつあり、路が井の字の形をしていた(これが「市井」の語源となった説がある)。市の中心部には、政府太府寺属す市署平準署があった。市署では商取引や市の門の鍵を管理し平準署政府物資売買し物価調整する役割があった。 地方都市にある市も市署なければ商取引はできず、毎年8月商品検査なされた市署は市籍に登録され商人職人管理し、この戸籍をもとに戸税や庸役がかけられた。市には他の土地ら行商も来て、市籍に載る土地坐商通じて商売行った。肆や舗と呼ばれる商店区画が行ごとに定められた。市で売買される商品価格表示義務づけられていた。また、貿易行っている都市では、市令、市丞が貿易管理した政府商工政策はかなり管理的なものであった政府目的は、市場価格一定させ、特定の商人商取引独占し売買強制することを取り締まり一般商人保護し商取引円滑に行うことを意図していたとされる。 市ではない坊でも店舗存在し商取引行われ、行に属しない特殊な商品を扱う商人零細な行商飲食店多かった。そこでは、夜店運営できた。安史の乱後、時代が進むにつれ、店が城内広がり、市の営業時間守られなくなり、市制は次第有名無実化した。 唐代中期以降は、都市以外にも、水陸交通の要衝である城外や港の近くなど行商往来激し地域に、自然発生的に草市墟市)という市が生まれた草市は、水運発達した江南地方中心に広がった両税法制定され農家銭納義務づけられたことや、などの商品作物存在によって、商品経済農村にまで広がり農村交易一般化していったため、草市定着していった。政府は鎮を設けて管理した草市発展し、州県の所在地までになることもあった。 唐代末期には、坊の壁は破られ、行の管理もゆるんでいき、市制は機能しなくなっていった。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 14:30 UTC 版)

北京政府の行政区分」の記事における「市制」の解説

辛亥革命直後一部県の都市部地方自治萌芽し市が誕生したが、北京政府地方自治停止命令江蘇省等に設置され各地市政府は廃止された。 北京政府時代中華民国最初に設置された市は広東省広州市である。1920年民国9年11月広州本拠地とする中華民国軍政府により陳炯明広東省長に任命される広州独立した行政区にすることを計画孫科対し関連法整備研究指示し広州市暫行条例』を制定翌年2月には省署公議会を通過させ中国初の市制施行決定1921年民国10年2月15日広州市正式に成立した同年3月には『汕頭市暫行条例』を制定汕頭市設置されている。 これらの市制施行広州省という地方政府よるものであり、他省に市設置趨勢伝播することはなかった。しかし北京政府広州に於ける市制施行重視同年7月3日には『市自治制』を公布全国的な設置法的根拠示した。 『市自治制』では内務部により設置される県級行政区同等とされた特別市と、人口1万人以上の地区自由に設置でき、県知事監督下に置かれる普通市の2種類規定した。これにより翌年京都特別市青島特別市設置された。特別市市長当初国務総理により指名され大総統により任命されていたが、後に市民により3名が選出され内務総長国務総理大総統により1名が指名される制度改められた。その後各省でも普通市に対す市長選規定定められ、特に聯省自治運動間中には湖南省などでは市長住民直接公選実現している。 北京政府による市制は結果的に限定的なものであり、大都市部には市政府に類似した督弁商埠公署などが設置されている例もある。

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市制

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 19:15 UTC 版)

満洲国の地方行政区画」の記事における「市制」の解説

1932年大同元年3月10日満洲国政府長春首都とする事を宣言金壁東長春特別市市長任命3月14日には長春新京改称8月17日には『特別市制』及び『特別市官制』を公布翌年4月19日新京特別市誕生した。これとは別に1933年大同2年7月1日北満特別区満洲国返還に伴い哈爾浜特別市設置され国務院直轄とされたが、1937年康徳4年7月1日に普通市に降格し浜江省移管されている。 満洲国成立以前中華民国時代でも各省都市部市制施行のための準備が行われていた。満洲国政府都市部への市制導入図り1936年康徳3年4月1日に『市制』及び『市官制』を公布奉天吉林斉斉哈爾を普通市と定めた。普通市でも管轄区域内の一般行政事務徴税事務行い職責においては特別市と同様であったが、国務院直轄でなく省政府の監督を受ける点で異なっていた。1937年康徳4年12月1日南満洲鉄道付属地の満洲国へ返還に伴い付属地内鞍山撫順遼陽営口鉄嶺四平街1941年四平改称)、錦州安東佳木斯牡丹江10市が新に指定1939年康徳6年11月1日には本渓市1940年康徳7年1月1日には阜新市5月1日には海拉爾市1941年康徳8年1月4日には満洲里市1942年康徳9年1月1日には公主嶺通化の2市、1943年康徳10年4月1日には間島市満洲国末期までに23市が設置された(表3)。 表3 : 満洲国特別市・普通市区上部行政区市名設置備考特別市 国務院 新京特別市 1933年4月19日 前身1932年3月10日成立長春特別市 哈爾浜特別市 1934年7月1日 1937年7月1日に普通市に改編 普通市 吉林省 吉林市 1936年12月1日 竜江省 斉斉哈爾市 1936年12月1日 牡丹江省 牡丹江市 1937年12月1日 間島省 間島市 1943年4月1日 三江省 佳木斯市 1937年12月1日 浜江省 哈爾浜市 1937年12月1日 特別市より改編 通化省 通化市 1942年1月1日 四平省 四平市 1937年12月1日 1941年四平街市より改称 奉天省 奉天市 1936年12月1日 鞍山市 1937年12月1日 営口市 鉄嶺市 撫順市 遼陽市 本渓湖市 1939年10月1日 錦州省 錦州市 1937年12月1日 阜新市 1940年1月1日 興安総省 海拉爾市 1940年5月1日 満洲里市 1941年1月1日

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