市制施行まで
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2010年実施の国勢調査で、石川県が2011年2月14日が発表した速報では市制施行の要件である人口が5万人を突破したため、2011年11月11日に市制施行した。新しい市の名称は野々市市(ののいちし)。 町長の粟貴章は市制施行の会見において、 数字の1は物事の始まりであり、市制スタートの日にふさわしい。 人や物、情報、知識が集まる町を目指す野々市の『市』(いち)の意味合いもある。 11月11日の誕生花は町花木ツバキであり、将来まで記憶に残る日にしたい。 県内で11番目の市となる というように市制施行日を同日に予定した理由を説明している。 2011年4月28日に開催した町議会において市制移行を決議し、5月2日石川県に市制移行を申請した。8月12日付の官報において、総務省は野々市町の市制移行を告示し、11月11日に野々市市が誕生することになった。石川県内の地方公共団体の単独での市制移行は、1970年に松任町が市制移行し誕生した松任市(現・白山市)以来となる。 市制施行までは全国の町村の中では岩手県岩手郡滝沢村、愛知県愛知郡長久手町(いずれも当時)に次いで3番目に人口が多かった。
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市制施行まで
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江戸時代は鹿児島城下下町のうちであった。宝暦年間の「通昭録巻七」によれば、下町十一町のうちとして新町が掲載されている。天保年間に編纂された「天保切絵図」には菩薩堂通の南に新町と記載されているのが見え、さらに南方には大門口番所が描かれている。 明治時代初期の新町は平民が多く住んでおり、町人街であった。明治時代になると信教の自由が発令され、鹿児島にも東本願寺によって布教が行われるようになり、西南戦争後の1878年(明治11年)に東本願寺の仮別院が設立され、1890年(明治23年)に別院の本堂が竣工した。1884年(明治17年)に戸長役場区画の変更に伴い、町内に15町を管轄とする鹿児島郡の戸長役場が設置されていた。
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市制施行まで
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1889年(明治22年)4月1日 - 矢野口・東長沼・大丸・百村・平尾・坂浜の各村が合併し、神奈川県南多摩郡稲城村の成立(町村制の施行)。当時の人口3,750人、戸数593戸。 1893年(明治26年)4月1日 - 東京府南多摩郡稲城村(三多摩の東京府移管)。 1943年(昭和18年)7月1日 - 東京都制施行。 1949年(昭和24年)xx月xx日 - 北多摩郡多磨村(現府中市)から押立・常久の一部(多摩川右岸部出作地)を編入。 1957年(昭和32年)4月1日 - 町制施行。東京都南多摩郡稲城町となる。 1967年(昭和42年)10月14日 - 現在の市章となる町章を制定する。 1971年(昭和46年)11月1日 - 市制施行。東京都稲城市となる。
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市制施行まで
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松戸市域は、1889年(明治22年)の町村制施行の時点では、東葛飾郡松戸町(まつどまち)、明村(あきらむら)、八柱村、馬橋村(まばしむら)、高木村、小金町などの町村に属していた。また、東葛飾郡土村、南相馬郡風早村、埼玉県北葛飾郡八木郷村の各一部も松戸市域に含まれている。なお、明村の「明」は当時の年号である「明治」に由来するものであり、八柱村の「八柱」は旧8村の合併に因むものであって、古くからの地名ではない。 松戸町は1933年(昭和8年)に明村と合併、1938年(昭和13年)には八柱村と合併した。合併後の松戸町は、1943年(昭和18年)、馬橋村、高木村と合併するとともに市制を施行し、松戸市が成立した。前述の旧町村に属していた計45の大字(おおあざ)は、松戸市の大字として引き継がれた。これらの大字は、1889年の町村制施行以前の旧村に相当する。1943年の市制施行時の松戸市の大字を旧町村ごとに列挙すると次のとおりである。 旧松戸町(明村との合併以前) 松戸、小山、上矢切、中矢切、下矢切、栗山 旧明村 上本郷、南花島、松戸新田、岩瀬、小根本、竹ケ花、根本、古ケ崎(こがさき)、伝兵衛新田、中和倉飛地、樋野口(1905年、埼玉県北葛飾郡八木郷村から明村に編入) 旧八柱村 紙敷、和名ケ谷、大橋、秋山、高塚新田、河原塚、串崎新田、串崎南町、田中新田 旧馬橋村 馬橋、中根、新作、三ケ月(みこぜ)、幸谷(こうや)、七右衛門新田、三村新田、主水新田(もんとしんでん)、九郎左衛門新田、外河原、大谷口新田、小金飛地 旧高木村 中和倉、八ケ崎、千駄堀、日暮(ひぐらし)、金ケ作、栗ケ沢、五香六実(ごこうむつみ)、松飛台、初富飛地(旧町名、現在は五香西3付近。)
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