市制施行と成長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 23:49 UTC 版)
「デモイン (アイオワ州)」の記事における「市制施行と成長」の解説
1851年9月22日、フォート・デモインは自らの設立条項によって正式な市となり、10月18日に投票により市制施行が承認された。1857年には、フォート・デモインの市名は単に「デモイン」のみに縮められた。また、この年には、アイオワ州の州都がアイオワシティからデモインに移された。南北戦争の最中には市の成長のペースが鈍化したが、1866年に鉄道が開通すると、市は人口規模的にも重要度の面でも、爆発的な成長を遂げた。1886年には15年の歳月を費やして建設されたアイオワ州会議事堂が完成した。 鉄道の開通に加えて、次々と発見された炭鉱も市の成長を促した。1864年、デモイン石炭会社はこの地域において、初めて計画的な採掘を始めた。市の北部、デモイン川の西岸にあった、同社が発見した最初の鉱床は1873年に枯渇した。ウェスト7thストリート橋の南詰の近くに発見されたブラック・ダイアモンド炭鉱では、深さ約45mの縦坑を掘り、厚さ1.5mの鉱床から石炭を掘り上げた。1876年頃には、この炭鉱は150人の坑夫を雇い、1日あたり貨車20台分の石炭を算出していた。1885年頃には、市域内には数多くの縦坑が掘られ、また周辺地域でも採掘が始められていた。1893年頃には、この地域には23ヶ所の炭鉱が存在した。しかし、1908年頃には、デモインの石炭資源はほとんど枯渇した。 1900年には、デモインは人口62,139人を数え、ダビュークやダベンポートを抜いてアイオワ州最大の都市に成長していた。
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