鉄道の開通
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 05:16 UTC 版)
ウェスト・コーンウォール鉄道(英語版)の終点、ペンザンス駅は港の東側に1852年3月11日に開業したが、列車は当初ラドルード(英語版)までの運行であった。1852年8月25日にトゥルーロまで延長されたが、プリマスと結ぶコーンウォール鉄道(英語版)と連絡されたのは1859年5月4日のことであった。ウェスト・コーンウォール鉄道は4フィート8.5インチの標準軌を採用していたのに対して、コーンウォール鉄道は7フィート0.25インチの広軌を採用していたので、旅客も貨物もトゥルーロで乗り換える必要があった。ウェスト・コーンウォール鉄道を設立する根拠となった法律では、他の広軌路線と接続されたら改軌することを定めた条項があったが、会社はその資金を捻出できなかった。 1866年3月1日にこの路線は、グレート・ウェスタン鉄道およびその関連会社であるブリストル・アンド・エクセター鉄道(英語版)、サウス・デボン鉄道(英語版)に対して売却された。新会社ではすぐに三線軌条化して、広軌と標準軌の両方の列車が走れるようにした。広軌の列車はこの年の11月から運行を開始し、ロンドンへの直通列車は1867年3月1日から運行されるようになった。ロンドンのパディントン駅を1892年5月20日10時15分に出発した最後の広軌列車がペンザンスに到着したのは、その日の20時49分のことであった。1076型(英語版)の1256号と3521型(英語版)の3557号の2両の機関車がスウィンドン工場へ客車を21時57分に回送していき、それ以降はすべての列車が標準軌となった。 鉄道によりブリストル、ロンドン、マンチェスターなどの遠くの市場へ生鮮品を運べるようになったことで、地方の農民や漁民は多くの商品をよい価格で販売できるようになった。特別な生鮮品列車がこの鉄道の特徴となった。この列車は高速な臨時貨物列車で、ジャガイモ、ブロッコリー、魚など季節に応じた品を運んだ。1861年8月には、この駅から1,787トンのジャガイモ、867トンのブロッコリー、1,063トンの魚が発送された。果物や花なども輸送された。ペンザンスやシリー諸島などの穏やかな気候は、他より早くこうした品物を市場へ出荷できることを意味し、高い価格をほしいままにすることができた。 コーンウォールを縦貫する鉄道の完成により、観光客や病人がペンザンスの穏やかな気候で過ごすことが容易になった。ビーチでの水着への着替えをするレンタルの簡易更衣室の宣伝は1823年には見られ、町は「その快適さ、空気が健康に良いこと、自然が美しいこと」などで有名になっていた。町の最初の公式ガイドブックは1860年に発行され、海辺のクイーンズ・ホテルはその翌年に開業した。ホテルは大盛況で、1871年と1908年に拡張されている。
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