鉄道の開業までとは? わかりやすく解説

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鉄道の開業まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/29 03:20 UTC 版)

岩井町営軌道」の記事における「鉄道の開業まで」の解説

当初認可では、翌1922年大正11年5月いっぱい軌道敷工事終わらせることになっていた。ところが技術者不足測量すらままならず完成期限の2週間前になって着工時期延期願を出すはめになった。このときは「同年8月いっぱい」までに着工するとしていたが、実際にはもっと先まで着工に至らなかった。 この間1923年大正12年)に鉱山王の久原房之助荒金鉱山買収し鉱山久原鉱業傘下になった久原設備投資行い坑内近代化図った岩井村軌道敷設工事目処立ったのも久原よるものだった。系列会社久原軌道工業から送り込んだ鉄道技術者によって1925年大正14年6月末から工事始まり12月完成した竣工届の日付は翌1926年大正15年1月4日付)。「運輸開始日」は1926年大正15年1月20日となっている。 鉄道事業申請時の趣意書には、温泉客は「一ヶ年延人員10万人を踰(こ)え」なおも「著しく激増趨勢」としている。一方鉱山については「年産額約8000トン」としながらも、「近年経済界恐慌」のため「搬出中絶」しているとある。当初、国に提出した案では鉱石輸送頼らずとも、温泉客と若干農産物輸送黒字見込めるという計画だった。しかし工事頓挫し荒金鉱山久原傘下となったのち、事業計画大きく変更になった岩井温泉駅の位置大きく変えるとともに鉱山鉱石輸送の便をはかることになったこれに伴い当初予定していた敷設距離「2マイル半(≒4.02km)」から、「2マイル18チェーン(≒3.58km)」に変更になっている。 「岩井町営軌道秘録」を著した安保彰夫は、こうした変更当初から織り込み済みだっただろうと指摘している。安保によれば、本来は「旅客輸送」のための路線で、しかも路線規模小さいにもかかわらず無蓋貨車が「異様に多く客車保有数が3輛に対して無蓋貨車は9輛となっていた。この鉄道事業には県の補助金や町の公金あてがわれていて、商工会久原鉱業からの寄付金含めると、補助金寄付金収入鉄道事業そのもの営業収入とほぼ同額のぼっている。安保は、これらの公的補助金を受けるために、当初私企業である久原鉱業が関わっていないような形で認可得たのだろうと推測している。安保は、申請上は旅客輸送のための路線として認可受けているが、実態鉱石輸送が「主たる目的」だったと述べている。

※この「鉄道の開業まで」の解説は、「岩井町営軌道」の解説の一部です。
「鉄道の開業まで」を含む「岩井町営軌道」の記事については、「岩井町営軌道」の概要を参照ください。

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