鉄道の開通とホロモイの無人化
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「神路 (中川町)」の記事における「鉄道の開通とホロモイの無人化」の解説
林内植民地への入植と前後して、1916年(大正5年)には鉄道省天塩線(のちの宗谷本線)音威子府から誉平(現:天塩中川)までの延伸工事が着工し、線路が右岸側を通過することとなった。このため演習林の強い要望もあって木材搬出のために神路駅が設置されることとなった。駅自体の工事は1922年(大正11年)5月15日に着工し、8月24日に竣工、同年11月8日の延伸開業と同時に営業を開始した。 このころにホロモイに入植していた全員は駅ができた神路駅側に移住することとなり、彼らと林内植民者、鉄道官舎に住む鉄道員が神路の基礎をつくることとなる。 このころの様子について『北海道鉄道各駅要覧』 (1923)では次のように記している(漢字は新字体、仮名遣いは現代仮名遣いに直し、数字はアラビア数字とした)。 この地は大正11年の秋に鉄道が開通したばかりの土地で、未だ何等拓殖の見るべきものもないが、天塩川沿岸江山絶勝の地である。長江天塩川の清流は、左転右向紆余曲折してこの地を貫流し、両岸に相迫る層巒連嶺は翠緑を積み新緑を連ね、殊に秋霜一度到れば満山全谿悉く燃えたつばかりに紅葉して、ところどころ松柏の緑を交え、山光水色いうばかりなき絶景を現出し、車窓の行客の眼を楽しましむることも一入である。沿岸一帯は北海道帝国大学の演習林を初め御料林、公有林等の広大なる山林で、椴松、蝦夷松、桂、楓等が繁茂していて木材の産出も相当多い。 — 『北海道鉄道各駅要覧』 (1923, p. 470) この時点での住民数は、各種文献において7戸36名と記されている。
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