鉄道の電化と電力供給事業への進出
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「関西私鉄の電力供給事業」の記事における「鉄道の電化と電力供給事業への進出」の解説
1904年(明治37年)に関東の甲武鉄道が蒸気機関車から電車へ転換し、翌年には関西でも阪神電鉄が運転を始めたのを受け、南海鉄道も路線の電化と複線化を開始する。電化に必要な電力は住之江に出力500KWの発電機2基を有する(うち1基は予備)発電所を建設して、1907年(明治40年)8月21日に難波-浜寺公園間の電化が完成した。その後電化区間は高石・貝塚と伸びて行き1911年(明治44年)11月21日に和歌山市駅まで全線の電化が完了した。全線電化に合わせて住之江発電所に1000kWの発電機2基を増設して(うち1基は予備)対応した。 電化工事中の1906年に電灯電力供給事業への進出を決定し、1912年(大正元年)8月から事業を開始した。供給区域はまず泉南郡・泉北郡、次に和歌山県海草郡に広げて行き、1915年(大正4年)8月に鉄道・電力ともにライバル関係にあった阪堺電気軌道を合併して大和川北側の供給区域を継承した。さらに1918年(大正7年)2月に九度山水力発電所を持ち大阪府南部に電力を供給していた和泉水力電気株式会社を合併して、それまで大阪府と和歌山県に二分されていた本線沿線の供給区域を統一した。なお供給した交流電気は当初25ヘルツであったが、1919年(大正8年)に全て60ヘルツに統一した。
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