複線化
複線化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/10/28 09:39 UTC 版)
複線化(ふくせんか)
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複線化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 05:26 UTC 版)
1889年7月1日東海道本線新橋駅 - 神戸駅間が開通。その後、逢坂山隧道を含む京都駅 - 馬場駅間は両側共に25‰の急勾配区間があり、輸送上のネックとなっていたために、東海道本線の中でも優先して複線化が計画された。1897年3月5日に大谷駅 - 京都駅間に下り線を増設し、1898年4月15日には馬場駅 - 大谷駅間の上り線増設に伴い上り隧道が開通した。 その後、勾配を緩和した東山トンネルと新逢坂山トンネルが開通し、同区間の新線が1921年8月1日に開業すると、同時に逢坂山隧道は鉄道トンネルとしての使命を終えたが、太平洋戦争中の昭和20年、B29の爆撃に対しての工場疎開としてトンネル内に工作機械が置かれ航空機部品工場として敗戦まで使用された。現在は、トンネル東口は京都大学がトンネル内に設置した地震計への通路となっており、西口は「旧大谷駅」と共に名神高速道路の盛り土の下に大半が埋まっているが、名神高速道路(上り線側)蝉丸トンネルの西側入口左横に逢坂山隧道西口の遺構を確認出来る。(なお、夏季は雑草が生い茂っており視認し辛いが冬季は比較的容易に視認可能である。)
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