鉄道の高速化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 15:22 UTC 版)
国鉄在来線や各私鉄は1970年頃までに決めた最高速度120 km/hを20年以上更新しなかった。しかし他の交通機関に対抗して乗客を確保するため、各鉄道会社は昭和の最後の頃から再度スピードアップに取り組み始めた。まず1988年に近鉄が新幹線から乗客を取り戻すために名古屋と難波を2時間で結ぶダイヤを設定し、「アーバンライナー」21000系電車を投入して(区間限定ではあるが)最高速度130 km/hで走り始めた。翌年JR東日本の651系電車「スーパーひたち」が130 km/h運転を開始した。この列車は日本の在来線で初めて表定速度が100 km/hを上回った。JR九州は1992年にビュッフェなどの乗客サービスを充実させた新型特急787系電車を「特急つばめ」としてデビューさせ、高速バスや九州内の航空便に対応した。 その後JR各社で上記技術的改良を取り入れた特急列車が製造され、130 km/h運転が広がった。特急車以外ではJR西日本の新快速が、1995年に投入された223系1000番台で130 km/h運転を行っている。例外としてJR西日本の681系電車が、新幹線に準じた規格で作られているほくほく線内で160 km/h運転を行っていた。 また新幹線では、1992年から300系電車を使用した「のぞみ」が運行され、最高速度のアップと到達時間の短縮が達成された。その後登場した500系電車は更に速くなったが、スピードを重視しすぎて居住性が低下して乗客の不評を買ったため生産数は伸びず、その後は速度と居住性を両立させた700系電車に移行している。
※この「鉄道の高速化」の解説は、「日本の鉄道史」の解説の一部です。
「鉄道の高速化」を含む「日本の鉄道史」の記事については、「日本の鉄道史」の概要を参照ください。
鉄道の高速化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/23 15:16 UTC 版)
鉄道の高速化については、国土が狭いことから、周辺のフランス、ドイツ、イタリアなどと異なり、高速新線の建設ではなく、在来線の改良による高速化を選択した。これは、必ずしも最高速度の向上だけでなく、複線化などの線路増設や駅構内の改良、路線間を結ぶ短絡線の建設など複数の施策を組み合わせ、乗り換え利便性を向上させることによって路線網としての利便性を向上し、所要時間を短縮することを目的としている。当初の計画目標年次が2000年であったことから、バーン2000計画(ドイツ語で「Bahn 2000」、英語にすると「Rail2000」)と呼ばれている。 唯一の例外として建設された高速新線は、チューリッヒ - ベルン間の幹線の一部である、オルテン - ベルン間約60kmの別線(マットシュテッテン-ロートリスト新線)である。1995年にベルン駅付近の隘路を解消するため約5kmが先行して開通、2004年12月に全線が開通し、在来路線と比べ、約1割の距離短縮を実現した。信号システムの開発が遅れていたため最高速度が160km/hに抑えられていたが、ETCS Level 2の運用が開始され、2007年12月から最高速度200km/hでの運転が開始された。その他、高速新線以外の区間においても、一部で160km/h運転が実施されている他、ローカル列車を含めて140km/h程度の高速運転を実施している区間も多い。 車両面では、バーン2000計画のシンボルとも言える、貨客両用・200km/h対応のRe460型電気機関車と、IC2000型二階建客車のほか、カーブの多い亜幹線用として開発された振り子式電車ICN(RABDe500型)が高速列車と言えるが、その他にも160km/h運転が可能な車両は多い。また、昨今ではTGV・ICE(ICE-1、ICE-3、ICE-T)・チザルピーノ(ETR470)といった、周辺諸国の高速列車も乗り入れるようになってきているが、スイス国内では特別な高速運転を行っているわけではない。
※この「鉄道の高速化」の解説は、「スイスの鉄道」の解説の一部です。
「鉄道の高速化」を含む「スイスの鉄道」の記事については、「スイスの鉄道」の概要を参照ください。
- 鉄道の高速化のページへのリンク