東二見車両基地
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座標: 北緯34度42分11.23秒 東経134度53分6.5秒 東二見車両基地(ひがしふたみしゃりょうきち)は、兵庫県明石市に所在する山陽電気鉄道の車両基地。車両工場と車庫を併設する。
- ^ 1951年9月7日に西代車庫で火災が発生し、新造間もない特急用ロマンスカー2編成4両(800形825・826および850形854・855)を含む14両が被災した。この火災は、戦災から立ち直りつつあった山陽電気鉄道にとって打撃となるものであったが、工場施設は移転済みであったため被災を免れた。
- ^ 別会社の神明急行電鉄として1920年1月に湊川 ― 明石間の地方鉄道免許を出願、取得している。
- ^ 1945年6月9日、明石3回目の空襲では車両工場に爆弾が落ち、学徒動員された中学生を含む31名が犠牲になった。同年7月7日、明石6回目の空襲では工場施設だけでなく当工場にあった車両20両以上が全焼した。1978年、鉄道会社及び同労働組合が犠牲者の冥福を祈る為、同場所に「空爆犠牲者之碑」が建てられた。跡地は駅駐輪場、ふくやま病院(2016年11月開業)である。
- ^ 1968年の神戸高速鉄道開業に際しては19m級の3000系が1964年に6両、1967年から1968年にかけて33両新造され、在来車も1958年以降、神戸高速鉄道の開業までに合計58両が15m(300形)・17m((250形270番台)・19m(2700系)級全金属製車体をそれぞれ川崎車輛で新造、これに既存の機器を整備の上で艤装する車体更新工事が実施されている。特に在来車の車体更新は、旧車体からの機器取り外しと川崎車輛への発送、抜け殻となった旧車体の解体、川崎車輛から納入された更新車の受け入れ検査と試運転、など通常の検査業務の合間を縫って膨大な作業工数と作業スペースを要求され、1950年代末以降、明石車庫および明石車両工場は能力の限界を迎えつつあった。なお、300形1次車の300 - 305についてはコスト削減のために構体を川崎車輛から購入、明石車両工場で艤装が実施されたが、これは明石車両工場に大変な負担となり車両の竣工も遅れたことから、以後は川崎車輛に機器を送付して艤装も同社で実施する方式に切り替えられている。
- ^ 西代起点27.3km。
- ^ 明石車両工場の跡地は保線基地に転用された。
- ^ 列車検査については、飾磨車庫や西代車庫でも実施されていた。
- ^ 当時、電鉄兵庫 - 西代間に併用軌道が存在し、軌道法の制約から編成長には最大30mの制限があった。これは戦後すぐの国鉄モハ63形(800形→700形)導入の際に緊急避難的に最大40mまで上限が引き上げられ、その後、所轄警察署などとの長い折衝の末に、近い将来に神戸高速鉄道開業で併用軌道が廃止となることを前提とする暫定措置として特認を受けてようやく19m級車による3両編成(57m)が実現できたほどに厳しい制限であった。
- ^ むしろ64,437平方メートルに敷地面積が縮小している。
- ^ そればかりか、構内には車体更新で不要となった700形の旧車体や250形の廃車体が置かれ、倉庫などとして使用されていた。このうち250形256の廃車体は現存する。
- ^ その過程で、当時既に世界的に希少となっていたボールドウィン78-25Aタイプの釣り合い梁式台車とゼネラル・エレクトリック社製電動機を芝浦製作所がライセンス生産した芝浦SE-107電動機、それにブレーキ弁などの機器(神戸姫路電気鉄道1形電車や宇治川電気51形電車に由来する更新車の300形や電動貨車に装着されていたもの)が救い出され、これらの台車や機器を求めるアメリカの鉄道博物館や阪神電気鉄道などに寄贈・譲渡された。
- ^ 安全報告書より 山陽電鉄ホームページ(PDF)
- 1 東二見車両基地とは
- 2 東二見車両基地の概要
- 3 その他
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