5次車(200番台)
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「JR東日本253系電車」の記事における「5次車(200番台)」の解説
5次車の車内(グリーン車) 5次車の車内(普通車) 2002年(平成14年)にFIFAワールドカップ開催に伴う輸送力増強のために新製された車両で、6両編成2本(計12両。Ne201,202編成)が東急車輛製造で製造された。このグループは、台車や車内設備の変更により200番台(M1車は300番台)に区分されている。 この頃には、電車の制御システムとしてVVVFインバータ制御が既に一般化していたが、従来車と共通に運用する関係上、制御方式は界磁添加励磁制御が踏襲された。これには、中央・総武緩行線で運用していた205系をVVVFインバータ制御に改造し武蔵野線に転用する際、捻出された主電動機、主制御器、励磁装置、断流器、誘導分流器を再用した。台車は軸梁式のDT69/TR254に、行先表示器は従来の幕式からLED式に変更されている。 内装関係は抜本的に見直しが行われた。全般的にはバリアフリーに配慮して座席への手掛けの設置やドアチャイムの設置、出入り台にはプロテクターを兼ねた手すりを増設している。 グリーン車は、コンパートメントは存置されたものの、開放室については座席間隔は1,090mmのままとして座席を2+1人掛け(両端は1+1人掛け)に変更し、開放室の定員は28人となった。荷物棚についても乗客の使い勝手やメンテナンス性を考慮して開放型とし、それに伴って蛍光灯カバーの形状を変更した。 普通車については、従来の固定式クロスシートから2人掛けの回転リクライニングシートに変更した。このため、座席付近の荷物の収容空間は少なくなった。荷物棚、蛍光灯カバー形状の変更についてはグリーン車と同様である。洗面所は、設置方向を使い勝手に配慮してグリーン車同様の長手方向に変更し、カーテンを追加した。
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5次車(1966年製造)
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「西鉄600形電車 (鉄道・2代)」の記事における「5次車(1966年製造)」の解説
614-664 - 616-666の2両編成3本が製造された。
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5次車(新アルミ車)
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「山陽電気鉄道3000系電車」の記事における「5次車(新アルミ車)」の解説
新アルミ無塗装車(2021年1月 山陽塩屋駅 - 須磨浦公園駅間) アルミ車に合わせた灰色塗装の3600形3619号車(2007年10月 舞子公園駅) 1981年6月には、3068編成が全車アルミ車体の4両編成で増備され、ヘアライン仕上げの無塗装が採用された。続いて1982年から1984年にかけて4両編成3本 (3070編成 - 3074編成) と付随車1両 (3538) が製造された。 3068-3069-3539-3639 (1981年6月23日竣工) 3070-3071-3540-3640 (1982年6月25日竣工) 3072-3073-3541-3641 (1983年6月17日竣工) 3074-3075-3542-3642 (1984年6月21日竣工) 3100-3101 (1983年6月17日竣工) 3538 (1984年6月8日竣工) 側面窓下には幅100mmの赤帯を入れ、正面には左右窓下に幅450mmの赤帯を入れた。客用扉と正面貫通扉はステンレス製の無塗装となり、赤色の飾帯は着色フィルムでの貼り付けとなった。3538は3066編成の付随車3508号と組み替えられ、同編成に合わせて塗装されている。 3534以来久々の新造となった付随車は、3630形に合わせて車両番号が3539から付与されており、後に追加新造された3538を除く3535 - 3537については欠番となっている。台車はM'c・M車はアルミ試作車と同じKW-35、Tc・T車はKW-36Aである。 1983年に製造された3100・3101のユニットは、将来のラッシュ時の増結による5両・6両編成運転を想定した増結車として計画された。3101の姫路方に簡易運転台の設置準備工事を実施、連結器は自動連結開放が可能な電気連結器付き密着式連結器を装備した。 当初は増結運用の予定がなかったため、鋼製車の3600形3619との3両編成(3100-3101+3619)を組成した。3619は非運転台側に電気連結器を装備、アルミ車に合わせた明灰色で塗装しているほか、客用扉もステンレス無塗装仕様に交換された。その後の増結運用の実績はなく、連結器も棒連結器となった。 3100の補助電源装置はMGに代えて120kVAのGTOサイリスタによる静止形インバータ(SIV)が初採用され、以後の新造・冷房化改造車にも踏襲された。
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5次車(1977年製)
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「営団5000系電車」の記事における「5次車(1977年製)」の解説
5101 - 5115号・5335 - 5349号・5901 - 5921号 東西線開業後は沿線開発によって西船橋方面から都心方面への乗客が激増した。このため、1977年(昭和52年)10月実施の輸送力増強時に一部列車を10両編成化させるための中間車を51両増備した。この結果、暫定的な8両・9両編成は解かれ、車両編成は7両編成と10両編成になった。 基本的には従来の7両編成に、新製した5200形 - 5100形 - 5900形を直接組み込んで10両編成化した(15編成)。このほかに、5900形のみを6編成分製作し、別な7両編成から抜き出した5200形 - 5600形を組み合わせて10両編成化した(6編成)。この7両編成から中間車2両が抜かれて5両編成となった編成(6編成)は、2本を連結して10両編成化した。この時点で7両編成14本と10両編成24本(10両貫通編成21本・5両+5両編成3本)となった。 5次車以降は深川検車区の連絡レールが撤去されたため、中野駅からの搬入となった。以後の東西線車両はすべてこのルートから搬入されている。 新形式の5100形と5900形が製造され、検車区内で車両を分割する必要があることから簡易運転台を設置した。また、コストダウンのため戸袋窓の廃止、5200形両端の貫通扉省略や信頼性を落とさずに一部材料の材質変更などが実施された。 台車はミンデンドイツ式からS形ミンデン式(片板ばね式FS502形)に変更し、固定軸距2,100 mmから2,200 mmとなった。このほか、新製時より保安ブレーキ装置を設置した。また、空気圧縮機は以降、ロータリー式からレシプロ式に変更した。 このほか、前述の竜巻脱線事故で廃車となった5818、5252号車も、この5次車と同様の仕様で代替新造された。この車両は製造時期から5次車2両口として呼称されている。
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5次車(3000V形)
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「横浜市交通局3000形電車」の記事における「5次車(3000V形)」の解説
製造から25年が経過した3000A形が老朽化のため大規模修繕が行われることとなり、入場中の予備車確保を目的として登場し、5次車の「5」をローマ数字で表すと「V」となるため「3000V形」と呼称される。当初は3000A形の更新時の予備車として導入が予定されていた。ブルーラインとしては11年ぶりの新型車両で、2017年4月9日より営業運転を開始した。第1編成の価格は1編成24億5000万円であったが、その後川崎重工が3000V形2次車(4000形へ変更。後述)として受注した際は7編成で約69億円まで下がっている。 3・4次車と同様に日本車輌製造製であり、6両編成1本(第61編成)のみが在籍する。3次車以降と同じく、側構体を日車式ブロック工法により組立てられた、オールステンレス車体であり、外板を無塗装ヘアライン仕上げとしている。 先頭形状は3000R形以降と同一でありこの形態は銀色仕上げが採用されたが、前照灯がLED化され、形状も変更されている。デザインコンセプトは「ヨコハマを象徴する海を連想させるデザイン」としており、車体側面の帯は上部水色、下部青色を横方向に配色して水平線をイメージし、各客用ドアの横にはヨットの帆をイメージしたグラデーションのカラーバンドを貼り付け、側面幕板部にカモメのシルエットを配置することで、水平線上に浮かぶヨットとその上空を飛ぶカモメを表現した立体感と躍動感を持たせている。 車内は従来までのオレンジ色のシートと暖色系のデザインからなるインテリアから、路線名であるブルーを基調したインテリアに変更され、座席や床面は青色としている。妻面の貫通扉は、各連結部により異なる横浜の観光名所の図柄を入れた全面ガラスを採用している。座席の袖仕切りは透明なポリカーボネート製とし、立席客と着席客との干渉防止と客室内の点検時の効率化を図っている。車内照明はLED照明による直接照明と間接照明を組み合わせたハイブリッド照明であり、3000A形以来の間接照明となる。また、全車に従来の3000形4次車以前の車椅子スペースに加え、ベビーカーエリアも設置した「車椅子・ベビーカースペース」を設置しており、腰当付きの握り棒と固定ベルトを設けている。非常通報装置は各車に4つ設置されており、「車椅子・ベビーカースペース」に設置されているものは、低い位置に設置されている。 客用ドア上部の車内旅客案内表示器は、3000形4次車以前のLED文字スクロール式から17.5インチの液晶表示器に変更され、各ドア上に2画面が配置されており、左側に神奈川新聞ニュースや広告、右側に停車駅や4ヶ国語(日本語・英語・中国語・韓国語)での次駅案内が表示される。この案内表示器はコイト電工製の「パッとビジョン」である。全線の路線図は、従来であれば全てのドア上に設置されていたが、1,6号車の先頭車の先頭部以外のドア上に千鳥配置されている。 また、車両側面と前面に設置されている行先表示器は、3000形4次車以前の3色LEDからフルカラーLEDに変更され、側面は種別、行先、上段に「ブルーライン」下段に次駅、前述の表記の英語版の4種類を順繰りに表示、前面は「ブルーライン」、行先を交互に表示している。3000形2 - 4次車で採用されていた次駅のドアが開く側を表示していたランプは無くなり、代わりにドアの鴨居部に赤色の開閉予告表示灯が付き、開閉時に点滅する仕様となっている。 台車は従来車と同じくボルスタレス台車としているが、湘南台寄りのTc1車とあざみ野寄りのTc6車の連結面寄りの台車には、PQモニタリング台車を装備している、これは、車輪の輪重Pと横圧Qの比で脱線に対する安全性を評価しているが、これを営業運転する車両で測定する台車であり、輪重は軸ばねの変位により、横圧は車輪の横変位をセンサーで測定するとともに、車輪の軸箱などの振動加速度を測定して、これらの測定されたデータを基に車両と軌道の管理に活用していくことを目的としている。このため、車輪は他の台車の車輪が一体圧延波打ち車輪であるのに対してPQモニタリング台車は車輪を平形車輪としている。 制御装置はVVVFインバータ制御としているが、素子にハイブリッドSiCモジュールを使用しており、制御方式は応荷重機能付きのベクトル制御としている。1つのインバータで1両分の4台の主電動機を制御する1C4M構成としたものを1群とし、これを2群搭載しており、故障時での異常時では、各インバータ箱で群単位での解放を可能としている。 補助電源装置は定格出力135kVAの素子にフルSiCモジュールを使用した静止形インバータ(SIV)であり、編成前後の各3両に給電するが、いずれの1台が故障した場合には、相互に受給電が可能としている。 主電動機には、定格出力140kWの三相かご形誘導電動機を採用しているが、素材に低損失材料を使用しており、電磁界解析による最適損失設計より、高効率と省電力化を図っている。 運転室はワンマン運転開始後に初めて導入した車両であるため、限られたスペースの中で操作性や視認性などに配慮して、従来の機器配置を全面的に見直している。ホーム監視用モニターは運転台の速度計等の上に6.4インチの液晶表示器4画面で設置されており、前面窓上部に設置されていた従来車と比べて見上げなくとも監視できるようになっている。マスコンは従来車のデッドマン装置を組込んだ右手T字型ワンハンドルマスコンからL字型に変更された。速度計はATC車内信号付のデジタル表示であり、他編成と比べて大きな変更点はない。 試運転中の5次車(3000V形) 5次車(3000V形)(2017年1月) 3000形5次車(3000V形)の運転台
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5次車 (7241F - 7261F)
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「東京臨海新交通7000系電車」の記事における「5次車 (7241F - 7261F)」の解説
2001年(平成13年)に導入された。製造数は3編成(18両)。前面の模様が変更された他は4次車と同一である。
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5次車(アルミカー)
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「山陽電気鉄道2000系電車」の記事における「5次車(アルミカー)」の解説
1962年(昭和37年)に製造された3両編成2本のうち、2000形2012・2013、2500形2505による編成が該当する。今回からラッシュ対策として3扉ロングシート車となり、窓配置は「d1D (1) 2 (1) D3 (1) D1」および「1 (1) D3 (1) D3 (1) D2」に変更された。 車体は川崎車輛がドイツのWMD社と提携して、そのライセンスの下で製作した。5000番台・6000番台のアルミニウム合金の押し出し材が全面採用され、オールアルミ製車両となった。本グループのアルミ合金化は川崎車輛によるテストベッドとしての性格が強かったこともあって徹底しており、貫通路桟板を含め車体の金属製部品の大半がアルミ化されていた。 これら3両の製造時点ではアルミ合金の溶接その他の設計加工技術が材質研究を含め半ば手探り状態であったこともあり、骨組の重要部分には慎重を期してリベット接合が併用され、しかも車体のひずみを目立たなくさせるためにウロコ状の模様を描く加工・バフ掛けが側板に施されていた。さらに、外板はパンタグラフの摺動によって飛散した銅粉の付着などで車体が腐食するのを恐れてクリアラッカーでオーバーコーティングされていたが、これは就役後洗車を定期的かつ高頻度に行えば不要と判明し早期に中止されている。 台車は新設計されたがコストダウンのためか空気ばねは継承されず、Mc車はOK-25、T車はOK-21Aといずれも枕ばねをコイルばねとした軸梁式台車となり、主電動機は更なる改良でMB-3037-A3となった。また、前照灯は当初よりシールドビームが採用された。ライトケースはライトが小さくなったことにより上下の幅が縮小され、逆に横方向は2灯を横並びに配したため、若干長くなった。 新造後、3000系が出揃うまでは特急を中心に充当され、阪急・阪神への乗り入れ運用にも就いていたが、以後は普通用として他の2000系各車とともに神戸高速鉄道乗り入れ運用を含む本線・網干線の運用に充当された。 このグループも前面に行先表示器の取付が行われ、貫通路の桟板などアルミ製で耐摩耗性や耐久性の面から問題が発生した幾つかの部品が鋼製品に交換された以外は、ほぼ原形を保ったまま運用に就いたのち5000系増備に伴い1990年(平成2年)に廃車・除籍となった。廃車後も歴史的・産業考古学的な価値が高いことから東二見車庫の構内に保管されており、2000年代以降は整備されてイベント時に公開されることも多く、事故・災害等の訓練でも活用されている。ただし、車籍が無いので本線走行はできない。
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5次車(第2次ステンレスカー)
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「山陽電気鉄道2000系電車」の記事における「5次車(第2次ステンレスカー)」の解説
1962年に製造された3両編成2本のうち、2000形2014・2015、2500形2506による編成が該当する。 ステンレス車とアルミ車の有効性を比較検討するために、アルミ製5次車と同形態のスキンステンレス製車体として製造された車両である。そのため、窓配置はアルミ車と全く同じで、装備品や機器配置も極力同一とされている。ただし、構体骨組が鋼製で重量がやや重く、台車はアルミ車と同仕様ながら軸ばねのばね定数その他が強化されたOK-25AおよびOK-21Bを装着し、主電動機はMB-3037-A3がそのまま採用されている。 運用状況は他の2000系各車と同様であったが、アルミ製5次車に先駆けて1989年(平成元年)に除籍された。廃車後は東二見車両基地構内の片隅に長らく保管されていた。その後、2001年(平成13年)に5030系の増備で構内が手狭になったことから2014・2015は解体された。中間車である2506のみは倉庫として現存していたが、2017年1月頃に3000系3003との置き換えで撤去され、解体されている。これによって、山陽からステンレス車両が全滅した。 このグループについてもMB-3037系電動機をはじめとする一部電装品が2300系や3200形に転用されている。
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