ワンハンドルマスコン
ワンハンドルマスコン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 07:00 UTC 版)
「マスター・コントローラー」の記事における「ワンハンドルマスコン」の解説
本来別々に設置されているマスコンとブレーキレバーを一体構造としたものである。運転操作を極力簡易にするための発想で、既に1930年代にはシネストン・コントローラー (Cineston Controller)と呼ばれる、SMEE/HSC電磁直通ブレーキ用ブレーキ制御弁にマスコンの電気接点を組み込んだ制御器システムがアメリカのWH社の手で開発され、遅くとも1940年代後半までにはニューヨーク、シカゴ、ボストン市などの地下鉄および高架鉄道で営業運転に供されている。 ワンハンドルマスコンの実現には、主幹制御器側で操作される発電・回生ブレーキと、ブレーキ弁で操作される空気ブレーキ系が電気的・機械的に確実に同期動作する必要がある。このため、当時の技術では、WH社が開発したセルフラップ式ブレーキ弁と、同じくWH社開発の締切電磁弁 (Lock Out Valve:LOV)や射込弁(Inshot Valve:連動込め弁とも)の併用が事実上必須であった。 日本では1952年の高松琴平電気鉄道10000形が電空一体型ワンハンドルマスコンの最初の採用例(制御装置は日立製作所笠戸工場製)であるが、この時点ではセルフラップ弁を持たない、通常の直通ブレーキ上にシステムが構築されており、その操作は極めて特殊であった。しかも、LOV相当の機構も欠落していたことから発電ブレーキと直通ブレーキの同期に難があり、この日立製ワンハンドルマスコンシステムは普及しなかった。 日本においてワンハンドルマスコンが本格的に採用されたのは、1960年代後半であり、従来の空気ブレーキがブレーキ弁の操作により指令を行う空気指令方式から、マスコンと同じく、カム軸の操作により複数のスイッチ接点をオン/オフさせて低圧の電気で指令を行う電気指令式が採用されたことによるものであり、ブレーキ弁を持たないことからブレーキ制御器と呼ばれている。これにより、マスコンとブレーキ制御器を一体化して、一本のハンドルで操作できることが可能となった。
※この「ワンハンドルマスコン」の解説は、「マスター・コントローラー」の解説の一部です。
「ワンハンドルマスコン」を含む「マスター・コントローラー」の記事については、「マスター・コントローラー」の概要を参照ください。
- ワンハンドルマスコンのページへのリンク